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ハーフマニア
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chouchin日本映画に出演した外国スター&制作スタッフ(日系人含む)
日本と関係の深いスター&映画関係者は下の方

 
索引

関係の深い人

ピーター・フォンダ
『だいじょうぶマイフレンド』
おいおいおいおいおい。ハリウッドの大物が…。本当にだいじょうぶ?因みに役名は宇宙人ゴンジー・トロイメライだそうで、クリプトン星(これオリジナル・アメコミと同じ設定)からやって来たスーパーパワーを失ったスーパーマンを演じている。彼と彼を守ろうとする少年少女、ゴンジーの能力を狙う謎の組織・ドアーズ(ボスが根津甚八)とのやりとりを描く。このスーパーマン、トマトが苦手でトマトに囲まれるとパワーが出ない。何故か突然皆が踊りだしたり、力を取り戻したり、最初から最後まで疑問が疑問を呼ぶ映画だが、原作で意味を探ろうなどと読んではいけない。よけい頭痛がするはずだ。
芥川賞作家村上龍の初監督作。日本映画史上に残るトンデモ映画の評判が高い。特に「精液飛ばし」シーンが有名で…。(当時、火薬が暴発してスタッフらが大火傷を負う事故があった)。フォンダはCM出演あり
ブリジット・フォンダ
上記ピーターの娘である。叔母さんはジェーン、お祖父さんはヘンリーだ。
吉田博昭監督の『アイアン・メイズ/ピッツバーグの幻想IRON MAZE 1991に主演。製作総指揮はオリバー・ストーン。『グラインドハウス』に出ていたジェフ・フェイヒーも出演。芥川竜之介『薮の中』が原作のサスペンス映画だった。残念ながら『羅生門』とは月とスッポンだったが。ブリジットは日本人ビジネスマン(村上弘明)の妻で、レイプされる役どころ(京マチ子ですか)。何とも「本当に」意味不明の映画で、寂れた街という設定のピッツバーグに何故日本人がやって来て、何故遊園地を建てようとするのか?(ディズニーランドを生んだ国に何を作るのか?)、そもそもこの役を日本人にする必要があるのか?さっぱり分からなかった。しかもこの日本人、本当に嫌な奴で、ホテルのルームサービスにドル札を放り投げ、「チップだ拾え!」などと言ったりする。まだ外国人監督が撮ったトンデモ映画の方がマシなような気もする。
アイアン・メイズ〜ピッツバーグの幻想〜
リチャード・ギア 
『八月の狂詩曲(ラプソディー)』(1991)
ハワイの日系人役。カタコトの日本語で原爆落としたのを謝ったりする…。東洋人みたいな顔してるし仏教徒だからまあいいか。黒澤を人生の師として尊敬していた。撮影終了後、映画に出て来た畑の中の小さなお堂を記念に貰い持って帰ったそうだ。さすがハリウッドスターだ。屋敷に置いてあるのだろうか?『トリビアの泉』では蟻と共演した時、蟻の「演技待ち」でかなり頭にきていたなどと紹介されていたけど。世界中の俳優が望んだクロサワ映画に出演した唯一の外国人俳優である(監督が本業のスコセッシや端役は別)。当時日本はバブル真最中で自動車市場での高成長やアメリカの不動産の買占め、ハリウッド資本への参入などの日本経済の勢いがジャパンバッシングを呼んでいた。真珠湾攻撃から50年目の年に「ノーモアヒロシマ」を掲げたこの作品に対する風当たりは、嫌日派や旧軍人を中心にとても強く、実はギアにも相当なバッシングがあったといわれる。だからかあまりハリウッドではこの映画の話をしないらしい。『リチャード・ギア―Mr.セクシーの真実と嘘』などから。

ハリウッドリメイク作『Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?』CM出演あり。2008年にはハチ公物語をリメイクした『HACHI 約束の犬』を製作・主演した。

ビック・モロー(ヴィク・モロー)
深作欣二監督『宇宙からのメッセージ』
何故か日本語の吹き替えでしゃべくる(声優:若山源蔵)。いい役者だったが、映画界では今一つ。スピルバーグ映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』で最後に一花咲かせるかと思われたところで撮影中に事故死してしまった。(ヘリコプターが彼を直撃する記録映像を見た事がある。ショックだった)。
因みにこの『宇宙からのメッセージ』の最大の見どころは天本英世が(東大中退だぞ)銀粉を塗りたくった宇宙人の(しかも婆さん)役で出ていることだと思う。他にも外人俳優は出ているがその後みんなどうしているのだろう。

決闘シーン。…だから笑っちゃいけないって
 Vic Morrow - Message From Space(これは英語版)
宇宙からのメッセージ
チャールトン・ヘストン 
いきなり余談だがこの人の『ウェインズ・ワールド2』(日本劇場未公開)の出演シーンは凄い!あれほどのキャリアの人が…。だからハリウッドは侮れない。
『クライシス2050』
に出演。この映画は学研とNHKが製作した大作だが、マニアの間ではトホホ映画として有名。監督は『バニシング・ポイント』のリチャード・サラフィアン(ただしアメリカでの公開時では名を伏せてしまった(アラン・スミシー名。そうだろうなあ)。この映画、マンガ『鉄腕アトム』のラストみたいなオチだった。ジャック・パランスも出演している。また『ブレードランナー』で有名なシド・ミードが宇宙船などのデザインを、リチャード・エドランドがSFXを担当している。最近は俳優業より全米ライフル協会の会長として有名でマイケル・ムーア監督の標的にされていたりする。『猿の惑星』『ミッドウェイ』『アルマゲドン』に出演。2008年4月5日、84歳で死去。

原作

太陽大爆発クライシス2050

さすがに『クライシス2050』のビデオは無いなあ…
マーチン・スコセッシ 
映画監督だが自作にもよく顔を出す。黒澤明『夢』にゴッホ役で出演。黒澤はゴッホ役は本物の芸術家でないとできないという考えを持っており、スコセッシと初めて会った時の印象(早口でせっかち)がぴったりだったので起用した。本人は大喜びで出演。ロケ現場では『ゴジラ』で有名な憧れの本多猪四郎監督補佐と仲良く記念写真を撮ったりしていた。それをスピルバーグだかルーカスだかに自慢してたそうです。かわいい。それにしてもゴッホって英語しゃべるのか?

天国と地獄』のハリウッド版リメイクを進めているらしい。
2007年、香港映画のリメイク『ディパーテッド』で念願のアカデミー監督賞を受賞したが、実は本人は「雇われ仕事」で本当は撮りたくなかったと言って周囲をあわてさせた。長年の企画である遠藤周作の『沈黙』の映画化を進めている。

ハーブ・エデルマン
山田洋次監督『男はつらいよ寅次郎春の夢』1979シリーズ第24作(レナード・シュレーダーが脚本に参加)。
アリゾナから来たビタミン剤のセールスマンが日本とアメリカの文化の違いに戸惑うといった役で、準主役である。居候のエデルマンに気を使ってとらや一同は朝食にパンを用意する。それを見た寅さんが「何だパンか。日本人が朝からこんなもん喰ったら喉につかえちゃうよ」などと言うシーンがおかしい。因みにこの第24作では林寛子(黒澤明家の嫁ですな)が英語をしゃべる!エデルマンは『フロント・ページ』『裸足で散歩』『おかしな二人』などに出演し、ニール・サイモン&レモン&マッソーの一派の名脇役だった。レナード・シュレーダー脚本の『ザ・ヤクザ』にも出演しているのでその縁で寅さんに出たようだ。故人。
デビッド・ボウイ、トム・コンティ
大島渚監督『戦場のメリークリスマス』
「ハラ軍曹、アナタニモ チェルシー、アゲタイ」(違うって)。この時代のボウイは映画に連続して出演していた。僕はデビッド・ボウイの大ファンだし『戦場にかける橋』のような作品を期待して観たのだが、少し期待はずれだった。今どきこんなにガリガリの外人ばかりよく集めたなというのが第一印象だった。『ラスト・エンペラー』のジェレミー・トーマスが製作者。大島渚監督作。坂本龍一ビートたけしが共演。その他、ヒックス役のジャック・トンプソンは『スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』にアナキンの継父クリーグ・ラーズ役で出演している。原作は実際に日本の捕虜だったローレンス・ヴァン・デル・ポストの小説の一部で映画の原題は『Merry Christmas, Mr. Lawrence』である。

参考資料:佐藤忠男著:映画で読み解く「世界の戦争」―昂揚、反戦から和解への道 (ベスト新書)

シャーロット・ランプリング、アンソニー・ヒギンズ
『マックス・モン・アムール』
犬も歩けば猿も恋に落ちる。『愛のコリーダ』『愛の亡霊』カンヌ映画祭監督賞受賞、『戦場のメリークリスマス』と世界に知られた、日本の大監督ナギサ・オオシマの本格的海外進出第一作。これじゃ『御法度』まで干されるわけだよ。
マックス、モン・アムール
ロバート・ボーン、オリビア・ハッセー、ボー・スベンソン、ジョージ・ケネディ、グレン・フォード、エドワード・ジェームズ・オルモス
深作欣二監督『復活の日』
おお超大作。当時の広告に「世界の熱い視線を浴びて、今’80年代の代表作が生まれようとしている」とあるのが悲しい。原作は面白かったのだが。主題曲は当時人気のジャニス・イアン。
オリビア・ハッセーは布施明と結婚してかえって価値を下げてしまったのではないだろうか。その後ふるわないがどうしてるのか。マイケル・ジャクソンのプロモビデオ(スピルバーグだのスターがゴロゴロ出て来るやつ)にカメオ出演していたのを見たのが最後だ。とおもったらマザー・テレサの伝記映画に出ていた。
エドワード・ジェームズ・オルモス
村川透監督『白昼の死角』1979に出演。『ブレードランナー』でデッガードを呼びに来る男の役(例の二つで充分ですよ)のシーンでファンにはおなじみ。『アメリカン・ミー』を監督した才人である。

ロバート・ボーン、シドニー・ローム
山下耕作監督『アナザーウェイD機関情報』
ロバート・ボーンはTVシリーズ『ナポレオン・ソロ』以来日本ではすごい人気だ。吹き替えはやっぱり矢島正明。『宇宙の7人』は『七人の侍』=『荒野の七人』の焼き直しだが、『荒野〜』にも出ていた彼は同じような役(ニヒルなガンマン)で出演していたのには苦笑した。『復活の日』にも出演。
アナザーウェイ
ボー・スべンソン
『ユキエ』1997
倍賞美津子、主演 製作・監督:松井久子
吉目晴彦の芥川賞受賞作品『寂寥郊野』を巨匠新藤兼人が脚色。朝鮮戦争時に米軍パイロットと恋におち、彼と結婚し人種差別の厳しいアメリカ南部の町に渡った「戦争花嫁」ユキエ。波乱と愛に満ちた半生の末、彼女は突然アルツハイマーを発症するが…。草村礼子、羽野晶紀らが共演。夫役のボー・スベンソンはスウェーデン出身の中堅俳優で上記『復活の日』『キル・ビル』『キル・ビルvol.2』、2004年のテレビシリーズ『人間の証明』などに出演。

『キル・ビル』特集ページを作りました。
トロイ・ドナヒュー
『漂流教室』
大林宣彦監督によるトンデモ映画の誉れ高き作品。
ゴキブリがかわいい映画でしたね。今をときめく三田佳子も出演、息子役の子役にいきなり乳を揉まれていた。息子の教育には充分配慮が必要だ。原作『漂流教室』(楳図かずお)にもうちょっと忠実に映画化したら(難しい注文だが)大変な傑作になったかもね。ドナヒューさんは教師役(原作にはない)。故人。
漂流教室
ジョアンナ・パクラ
和泉聖治監督『プライベート・レッスン』1993 
SMAPと共演。稲垣吾郎を誘惑し恋の手ほどきをするお姉様役。ウディ・アレンの『夫たち、妻たち』などに出演していた女優だが、最近はSFとかホラーとかアクションのB級映画が多い。
ジョイ・ウォン
佐藤純彌『北京原人 Who are you?』
あの『シベリア超特急』と並び称されるアレ映画。天下の美女もだいなしだな。こんなんに出てちゃ。その証拠にこの後の映画がぱったりと日本で公開されなくなってしまった。宮沢りえ主演の『華の愛 遊園驚夢』で久々見た。CM出演あり。
ジュリアーノ・ジェンマ
和泉聖治監督『フィレンツェの風に吹かれて』

あまりにもこけたので、全然見ることができないな。
若村麻由美の大胆シーンがある。鎌倉のお嬢様ジャーナリスト(若村)が取材に行ったフィレンツェで、ある中年紳士(ジェンマ)に出逢い豪邸に招かれる。その紳士はイタリアの大物デザイナーで、かつて家族を捨てた過去があり、彼の息子は父と対立している。若村は息子に同情するうちに恋心が芽生えるが…というような話だったような気がする。
荒野の1ドル銀貨』などに出演、イーストウッドやフランコ・ネロと並ぶマカロニ・ウエスタンの雄だった。日本のCM出演も。
フィレンツェの風に抱かれて
ジョージ・ケネディ
佐藤純彌監督『人間の証明』
かなりの巨漢だったんですね(193センチ)。隣の松田優作が小さく見える。近年は『裸の銃を持つ男』シリーズの印象が強いが、昔は悪漢(もう死語かもしれないがこの言葉が最も相応しい)役で数々の傑作に出ていた。『暴力脱獄』でアカデミー助演男優賞を受賞した名優。『大地震』とか『大空港』シリーズ以降は、頼もしい上司とか刑事役が多くなった。第二次世界大戦中は士官としてパットン将軍に仕えたが、後に映画『ブラス・ターゲット』では当のパットン将軍を演じていた。僕は『特攻大作戦』が大好きです。
リック・ジェイソン
『人間の証明』
佐藤純彌監督)
この人も大きい人だ(193センチ)。TVシリーズ『コンバット COMBAT!』のヘンリ−少尉役でおなじみ。ガンを苦に2000年にピストル自殺してしまった。大映の森一生監督作『鉄砲伝来記』1968に出演中、平安神宮で5度目の結婚式をあげて話題になっている。また、1983には森谷司郎監督の小説吉田学校に出演、マッカーサー役を演じている。
ブロデリック・クロフォード
『人間の証明』
佐藤純彌監督)
オール・ザ・キングスメン』でオスカー受賞した名優も出演。
ブルック・シールズ
『セブンス・フロア』
加藤雅也主演のVシネマ。ルイ・マルの『プリティ・ベビー』で12歳の娼婦役で話題を呼び、成長してからも天下の美女と騒がれ、日本でも映画雑誌の表紙の常連だったが、『エンドレス・ラブ』などトンデモ映画に恵まれて以来、ぱっとしなかったが、北村龍平監督の『ミッドナイト・ミート・トレイン』に出演している。CM出演あり。
セブンス・フロア
ジャクリーン・ビセット
『クライム・ブローカー/仮面の誘惑』日豪合作 1992
こちらも加藤雅也主演のVシネマ
英『ナック』で鮮烈なデビューを飾り、マックイーンと共演した『ブリット(1968)』や『オリエント急行殺人事件 (1974)』、『映画に愛をこめて アメリカの夜 (1973)』などかつては佳作・大作に引っ張りだこの女優だった。
クライムブローカー~仮面の誘惑~(吹替版
ブリジット・ニールセン 
Vシネマ『ザ・サイレンサー』
千葉真一主演。ジャン=マイケル・ヴィンセントがチョイ役で出ている。
スタローンの元妻(念のため)です。元はモデルで、筋肉モリモリの体格を活かして、女悪役みたいな役が多かった。『ロッキー4/炎の友情(1985)』『コブラ(1986)』『ビバリーヒルズ・コップ2 (1987)』などに出演したが最近は見ないなあ。  
サイレンサー
バージニア・マドセン 
刺青IREZUMI(Blue Tiger)』1994
ノーベルト・バーバ監督、中村トオル、石橋凌、オクモト・ユウジ主演のVシネマ。『デューン/砂の惑星』の彼女はもの凄くきれいだった。『キル・ビル』のマイケル・マドセンは実兄だが全然似てない!
刺青~IREZUMI~(字幕スーパー版)
ラッセル・クロウ 
『逃走遊戯/NO WAY BACK』1996 
豊川悦司が主役の東映Vシネマ。マフィア関係者の殺人犯をめぐり、FBI・ヤクザ・マフィアが繰り広げる壮絶な戦いを描いたアクション。ラッセルは友人を殺されたFBI捜査官役。『グラディエーター』や『ビューティフル・マインド』などアクションも繊細なドラマもこなし、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの彼も大ブレーク寸前にはこんな映画に出ていたのね。Heaven's Burningでは工藤夕貴と共演していた。オーストラリア時代には『アンボンで何が裁かれたか』1990に出演。若くて痩せている彼に出会える。
逃走遊戯 NO WAY BACK




『アンボンで何が裁かれたか』
レイモンド・バー 
怪獣王ゴジラ
東宝オリジナルの『ゴジラ』(本多猪四郎監督)を再編集したアメリカ版に記者役で主演。
後にTVシリーズ『ペリー・メイスン』『鬼警部アイアンサイド』で日本ではおなじみになった。

アメリカでは『ゴジラ』はサブカルチャーの代表キャラのひとつとして定着している。これは、エルビス・プレスリーの商品化で当てていたヘンリー・G・サパスタインが50年代に東宝と契約、早い時期から『ゴジラ』のアメリカでの配給と商品化権を独占し広めていったという功績による。もちろん彼自身も大もうけした。
1997年、ハリウッド版『Godzilla』では東宝がソニーと契約したため、彼は権利を手放すことになったが、コンサルタントとしてクレジットされている。この辺の事情はパトリック・マシアス著・町山智浩編訳の『オタク・イン・USA』に詳しい。
怪獣王ゴジラ〈海外版〉

ドナルド・サザーランド、ユンピョウ、ダイアン・レイン
 にっかつが創立80周年を記念して社運をかけて製作した『落陽』(伴野朗監督)に出演。音楽は大御所モーリス・ジャール。満州事変の中で過酷な運命に翻弄される人々を大スケールで描き、大コケした。この映画は斜陽にっかつにとどめをさしてしまい、本当に落陽してしまった。雑誌『映画秘宝底抜け超大作』で採録された評論家江戸木純が書いた幻のLD用解説が面白い(普通は誉めねばならぬのに本当のことをつい書いてしまった)。

石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、宍戸錠、吉永小百合、浅丘ルリ子、和泉雅子、松原智恵子ら大スターを生んだ、日活の栄光の歴史は 『日活1954‐1971―映像を創造する侍たち』に詳しい。
落陽
ジョン・ローン、サミ・デイビス、ビビアン・ウー、サム・ニール 
柳町光男監督作『チャイナ・シャドー』1990 に主演。香港を牛耳る男(ローン)の過去が暴かれていく。その過去には日本軍による中国人虐殺が背景にあり…といった内容で、全面香港ロケをした超大作だがトホホ映画だった。丸紅&日商岩井などが資本参加したバブルな作品。『ジュラシック・パーク』シリーズや『ピアノ・レッスン』に出たサム・ニールは『夢の涯てまでも』にも出演
ジョン・ローンは『ラスト・エンペラー』、『ハンテッド』、カナダ映画『ペーパームーン・アフェア』2005年では日本の女優清水美砂の夫役などで出演している。
チャイナ・シャドー
オマー・シャリフ 
舛田利雄監督『天国の大罪』で中国系マフィアのボスに扮し、吉永小百合(妻役)と共演した。『アラビアのロレンス』などで知られるシャリフはエジプトの貴族出身なのでとても中国系には見えないのだが…。田山力哉のインタビュー記事には「60才になって何か新しいことにチャレンジしたかった」とコメントしてた。清水の舞台から飛び下りるつもりでこんな日本映画に出演してしまったのか?何でも最初の企画段階では松田優作がキャスティングに予定されていたそうだ。ということは松田=シャリフだったのか!ふう。
マイケル・ケイン
槙坪夛鶴子監督『地球っ子いのちと愛のメッセージ』1993
2000年のアカデミー賞授賞式で司会のビリー・クリスタルに「『ハンナとその姉妹』でオスカーを貰ったけど『ジョーズ4/復讐篇』には出ないで欲しかった。休憩の時間を利用してもう1本映画に出演するんじゃない?」と思いっきり多出演をからかわれていたケインだが、日本映画にも出ていたのだ!
燃える戦場』では高倉健と共演。
『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』でも大活躍!
『地球っ子いのちと愛のメッセージ』は見当たらないので↓
ドン・テイラー
第十七捕虜収容所』、『花嫁の父』などで知られる二枚目俳優だった。

いわゆる「戦争花嫁」の悲劇を描いた東は東では山口淑子と共演。
『太平洋の虎鮫』では日本軍と戦った潜水艦乗りと親友の空軍中佐を、
太平洋作戦(太平洋航空作戦)』では日本軍と戦う戦闘機乗りに扮した。
後に監督に転向。
真珠湾攻撃直前の1941年にタイムスリップした原子力空母が零戦と戦うSF大作ファイナル・カウントダウン
丹波哲郎が剣の達人役で出演した五人の軍隊
戦場にかける橋』のピエール・ブール原作の『新・猿の惑星』などを演出した。


ファイナル・カウントダウン
ジョセフ・コットン
第三の男』などで知られる名優中の名優。本多猪四郎監督海底大戦争 緯度0大作戦LATITUDE ZERO 1969に主演(謎の海底軍艦の艦長役)。この映画は東宝がB級SFものでならしたドン・シャープ・プロと組んで作った日米合作。東宝は本多猪四郎・円谷英二・伊福部昭・宝田明・平田昭彦と黄金のメンバーを揃えた。
『特攻大作戦』(大好き!)のリチャード・ジャッケルや、戦前から活躍する名傍役シーザー・ロメロなども出演している。コットンは他に日米合作映画トラ!トラ!トラ!舛田利雄深作欣二共同監督)にも出演している。
チャン・ツィイー
『SAYURI』2005に主演、見事にゲイシャを演じた。
日本映画には鈴木清順監督の『オペレッタ狸御殿』2005に出演。
アジア映画『2046』2004では木村拓哉と、『LOVERS』2004では金城武と、『パープル・バタフライ』2003では仲村トオルと共演した。
現在アジア系女優では世界で最も注目されている人でしょう。日本のCMにも出演した。
ベン・ジョンソン
みやひろ様より投稿いただきました。

山本政志監督の『アトランタ・ブギ』にベン・ジョンソンが出演しています。町内会の運動会に、何故かベン・ジョンソンが参加するとゆうお話。お勧めはしませんが・・・

ありがとうございました。貧乏町と金持ち町が運動会で対決!だそうです。ベン・ジョンソン(オリンピック100メートル走の金メダリスト&世界記録者です。後にドーピングでメダルも記録も取り消された)が本人役で登場するそうだ。
アトランタ・ブギ
クラウス・キンスキー
『上海異人娼館/チャイナ・ドール LES FRUIS DE LS PASSION』
1981年、寺山修司が『愛のコリーダ』『ブリキの太鼓』のプロデューサー、A・ドーマンと組んで作った日仏合作。
原作は『O嬢の物語』の続編にあたる『城への帰還』だが、時代と舞台を大幅に変えて堂々テラヤマ・ワールドが展開する。クラウス・キンスキーは主人公を翻弄する富豪役で、濡れ場シーン(死語?)もこなしている。
ナレーションはフランスのベテラン俳優ジョルジュ・ウィルソン、編集はあの名作『かくも長き不在』の監督としても知られるアンリ・コルピ。主演の女優イザベル・イリエはモデル出身の新人。日本人俳優は劇団関係以外はピーター、故山口小夜子、高橋ひとみ、殿山泰司、石橋蓮司、故藤田敏八、蜷川幸雄ら異色の組合せ。
クロード・ジャド
1976年、辻邦生原作、熊井啓監督の『北の岬』に主演。2006年12月死去した女優。アルフレッド・ヒッチコック監督の『トパーズ』や・フランソワ・トリュフォー監督の『夜霧の恋人たち』、『家庭』にも出演。
北の岬 (1970年)
ニキータ・ミハルコフ 
旧ソ連の芸能一家に1945年に生まれる。父は作家でロシア国歌の作詞者のセルゲイ・ミハルコフ、黒澤明『暴走機関車』をアメリカで監督したアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキーは兄。俳優として若くから活躍するが、『光と影のバラード』(1974)で監督デビュー。以後ソ連映画界の重鎮として 『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』 (1976) 、『愛の奴隷』 (1976)、『黒い瞳』 (1987)、『ウルガ』(1991 ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞)、『太陽に灼かれて』(1994 アカデミー外国語映画賞・カンヌ国際映画祭グランプリ)などの名作を発表した。1990年、ソ連・東映合作・後藤俊夫監督の大作『オーロラの下で』に出演。ロシア革命直前のシベリアを舞台に、オオカミ犬を介して日本人のマタギ(役所広司)とロシアで政治犯を支援する漁師との交流を描く作品で、ミハルコフは漁師を演じた。この作品には丹波哲郎ガッツ石松、指揮者岩城宏之も共演。
フレッド・マックイーン
スティーブ・マックイーンの息子。消防士やパティシエを経て2005年ごろに俳優になったという。日本映画『明日への遺言』(小泉堯史監督)にバーネット検事役で出演。この役はロスでオーディションで射止めた。『明日への遺言』は太平洋戦争末期、名古屋を空爆し、その後撃墜された爆撃機の米兵を処刑したとして戦後B級戦犯として処刑された岡田資中将の裁判を描く。この映画には他に『Godzilla』(1998)、『プレシディオの男たち』(1988)、『レリック』(1997)のロバート・レッサー、テレビシリーズ『メルローズプレイス』などに出演していたリチャード・ニールも出演。 『20世紀少年 第2章<最後の希望> 』2008では国連事務総長役で出演。

ゲイリー・オールドマン

イギリス人俳優で、『シド&ナンシー』ではシド・ビシャスを、『ベートーヴェン不滅の恋』ではベートーベンを、その他『ドラキュラ』や『レオン』の悪徳刑事、『ハンニバル』ではレクターを殺そうとする富豪の役など幅広い芸域を持つ役者。バリー・アイスラーの原作『雨の牙』を日本で映画化した『レイン・フォール/雨の牙』に主人公の暗殺者ジョン・レイン(椎名桔平)と対決するCIA捜査官を演じた。

公式サイト

ジーン・シモンズ

『デトロイト・メタル・シティ』2008のジャック・イル・ダーク役として出演した。言わずと知れた米のロックバンド、キッス KISSのボーカル兼ベーシストで、ポール・スタンレーとともに、キッスのコンセプト構築・曲作り及びマーチャンダイジングやプロデュースを手がけている。歌舞伎の隈取を思わせる悪魔的なメークで、ど派手なコスチュームと斧を象ったオリジナルデザインのベースを使用し、ステージでは火を噴く、血を吐くなどのパフォーマンスで人気を集めた。素顔を公開してからは俳優としてテレビシリーズ『マイアミバイス』やハリウッド映画『未来警察』1985、『ウォンテッド』1986などに悪役で188cmの長身と不敵な面構えを活かし強烈な印象を残した。音楽プロデューサーとしてヴァン・ヘイレンやエンジェル(うぷぷ!)を発掘したことでも知られる。また、自らの名を冠したレコード会社、出版社、ファッション・レーベルの立ち上げ、女子プロレスリーグの主宰、テレビやラジオ番組の製作など多彩な分野で活躍する実業家としても知られる。キッスの名曲をタイトルにし、キッスに憧れる少年たちを主人公にした『デトロイト・ロック・シティ』(エドワード・ファーロング主演)という映画も自らプロデュースしている。『デトロイト・メタル・シティ』もキッスの『デトロイト・ロック・シティ』(アルバム『地獄の軍団』収録)をモチーフに、若杉公徳が描いたマンガであり、ジャック・イル・ダークはアメリカのブラックメタル界の帝王というキャラだが、それにしてもよく出演したものだ。意外だが、ニューヨークのリッチモンド大を卒業しキッスを結成する前は小学校で国語(英語)教師をしていたインテリで、ハンガリー語、ヘブライ語(母がハンガリー系ユダヤ人)、独語、日本語に堪能だという。映画撮影中のエピソードとして松山ケンイチの証言では「ジーンさんの衣装を直すことになり一旦撮影を止めたとき、彼が日本語で"ちょっと待ってねー"と言ったんです」。キッスは日本でも人気は高く、日本ゆかりのアルバムや、日本のCM出演の実績がある。日本のバンドEZOをプロデュースしたこともある。キッスは僕も大好きなバンドで1977年の初来日公演、1988年のブルース・キューリック、故エリック・カー在籍時、1997年のオリジナルメンバーによる再結成と3回も見に行っている…。



↑この役。
日本と関係の深いスター&映画関係者
シャーリー・マクレーン 
ハリウッドきっての日本びいきとして知られる。
青い目の蝶々さん

80日間世界一周
のロケ以来の日本好き。旦那は『青い〜』のプロデューサー、スティーブ・パーカーで、娘にサチコ(Stephanie Sachiko Parker)という名をつけたほど。今じゃ単なる「不思議体験おばさん」だが昔はきれいだったし(『アパートの鍵貸します』の美しさ!)、演技は最高だし(『愛と喝采の日々』の名演!)、踊りも抜群のエンターテイナーなのだ。『青い目の蝶々さん』で来日した時、ゲイシャに扮したマクレーンは黒い目のコンタクト(当時は貴重品!)をしたが、瞼にコンタクトの形が浮かび上がるのでアップが取れず困っていた。そこでスタッフの一人がアメリカから持参していたコンドームを目の形に斬り、瞼に張り付けその上にメイクをしたら、ばっちりだったそうだ。そう見るとやけにアホくさい。また、和服をたくしあげて日本式のトイレで用を足すのが大変で、ある時カツラが前の壁にぶつかり例のコンタクトを落としてしまった話や、共演者のイブ・モンタンとベッドを共にした話など自伝『マイラッキースターズ』に詳しく書かれている。余談だがシャーリーという名は彼女が生まれた時に大人気だった子役スター、シャーリ−・テンプルから付けられた。

 shirley maclaine my geisha(伊語吹替え版)

娘サチ・パーカーは女優になり、2008年、日本映画『西の魔女が死んだ』に出演。2歳から12歳まで父と日本で暮らしていたという経験を活かして日本語の台詞をこなしている。
『西の魔女が死んだ』公式サイト

オリビア・デ・ハビランド(1916-)、ジョーン・フォンテーン(1917-) 
東大教授だった父の元、姉妹とも東京生まれ(現在スウェーデン大使館のある所に屋敷があった)で聖心女学校に通っていた。が、10代でアメリカに帰国している。後にこの二人、大変仲の悪い姉妹としてハリウッドにその名を轟かせた。東京での幼児体験に問題があったのか!?後にデ・ハビランドは『遥かなるわが子』『女相続人』で、フォンテーンは『断崖』でアカデミー主演女優賞をそれぞれ受賞している。兄弟姉妹で活躍する役者はゴロゴロいるが、オスカーをもらっているのはこの姉妹ぐらいじゃないか?親子はあるけどね。他にハビランドは『風と共に去りぬ』のメラニー役、フォンテーンは『レベッカ』『旅愁』などに主演。
女相続人

チャールズ・チャップリン 
チャップリンは以前から小泉八雲の著作を読み日本に興味を持っていた。有名なキャラクター「放浪紳士」の持つ竹のステッキは日本製で、一時日本から30本も取り寄せていた。チャップリンは「あのスティックを思いついたのは私の最大の幸運だった」と自伝で述べている。
秘書は日本人高野虎市(こうのとらいち)。チャップリンは彼を「私のフライデー(ロビンソン・クルーソーの侍者の名前)」と呼び、彼には絶大な信用を寄せていた。(高野は、チャップリンの3人目の妻ポーレット・ゴダードがあまりにも金遣いが荒いのでたしなめたところ、チャップリンが私生活まで口出すなと激怒して、クビになった。その後チャップリンはゴダードと別れ、高野に謝罪し、戻るようにお願いしたが、高野は断った)
1932(昭和7)年、チャップリンは5月14日に来日、歓迎の人たちが約6万人も押し寄せ、東京駅前は交通マヒを引き起こしたほどだった。犬養毅首相は翌日首相官邸で歓迎会を予定していたが、たまたまチャップリンの気まぐれで時間が定まらずお流れとなった。ところがその当日、いわゆる5.15事件が起きて首相は暗殺されてしまう。後に逮捕された首謀者の古賀将校たちは、チャップリン歓迎会に集まる要人たちを襲う計画だったことを検察に述べている。チャップリン本人も暗殺リストに含まれていたという。正に危機一髪で難を逃れたわけだ。
2007年出版された『チャップリン暗殺 5.15事件で誰よりも狙われた男』にはよりその辺の事情が詳しく書かれています。秘書高野が当時語った話など初めて聞いた話がたくさんありました。この本によれば神戸港に初来日した時は、港にあふれかえったファンから「万歳!」で歓迎された。何とラジオの生中継があったそうだ。
チャップリンはその後1936年に二回(ポーレット・ゴダード同伴の世界漫遊旅行の途中で、一回めは2.26事件の直後、二回めは偶然船で一緒になったジャン・コクトーも共に来日)、1961年に来日している。狂言、相撲、茶道など東京・横浜・箱根・京都・神戸などを精力的に飛び回って日本の伝統芸能の数々に触れた。特に歌舞伎の大ファンでハリウッドの友人たちにその面白さを話しまくっていたそうな。海老の天麩羅が好物で毎日何十本も食べたらしい。チャップリン著『チャップリン自伝―若き日々 (新潮文庫)』『世界漫遊記』、『チャップリンが日本を走った』千葉伸夫著青蛙房刊、テレビ朝日の番組『チャップリン秘話 狙われたチャーリー!彼が見た34日15時間10分の日本』などに詳しい。

チャプリンが日本を走った



チャップリン暗殺 5.15事件で誰よりも狙われた男

大野裕之著
チャップリンの影 ~日本人秘書 高野虎市~
マリリン・モンロー 
1954年2月、メジャーリーグ選手のジョー・ディマジオと新婚旅行で来日した。宿舎帝国ホテルの前は群集で埋まり池に落ちた人もいた。浪越徳二郎の指圧を受けたという。ロス郊外の自宅で睡眠薬の飲み過ぎで死去(他殺説、自殺説も)。その検死にあたったのは日本人医師トーマス野口
ユル・ブリナー(ユル・ブリンナー)
彼は生前、「1915年樺太でスイス人と日本人のハーフとして生まれた」などと生い立ちを語っていたが、死後1989年になって彼の息子が書いた本が発表され、モンゴル系スイス人の父とロシア人の母の間にウラジオストクで生まれたということが明かされた。「徹子の部屋」に出演した時は、祖父の最初の妻が日本人で日本には親戚がたくさんいて、ユル本人もプライベートで日本によく来るというようなことを語っていた。あれだけの大スターでありながら実はその生い立ちなどについてはっきりとしなかった(させなかった)のは、ミステリアスでエキセントリックな俳優であることを(独特のヘアスタイルとともに)自分のセールスポイントにしたかったのであろうか?かつてはサーカスやジプシー楽団で活躍していたということで、『エド・サリバン・ショー』では見事なギター弾き語り(『二つのギター』。何語の歌?)を披露しているが、本当に不思議な人だ。日本でも非常に人気は高くCM出演もあった。黒澤映画への傾倒も強く主演した『荒野の七人』では製作も兼ね続編(原作は全く別物)も作った。『あしやからの飛行』という日本にからんだ映画もある。『王様と私』『十戒』『追想』の名演も忘れがたい。



参考書は↓ハーフマニア偽ハーフのコーナー。
リヴ・ウルマン
イングマール・ベルイマン監督作には欠かせないスウェーデン映画の大女優。ベルイマンの妻でもあった。ノルウェー人で技師だった父の仕事の都合で1939年東京に生まれた。その後はすぐにカナダなどで過ごしている。
ベルイマンと組んだ『仮面/ペルソナ』『ある結婚の風景』など名演多数。

自伝『チェンジング―リブ・ウルマン自伝』がある。

余談だが、女優リヴ・タイラー(エアロスミスのスティーブン・タイラーの娘)は、1977年に彼女が生まれた時、TVガイド誌の表紙がリヴ・ウルマンだったことであやかってリヴと名付けられた。スウェーデンなどスカンジナビア方面の言語で「life」の意である。
秋のソナタ

(僕の大好きな作品)
ドルフ・ラングレン 
スウェーデン生まれ。極真空手を習いに半年程日本で修行したそうだ。1979年にスウェーデン代表として世界大会で準優勝、二段となる(現在は三段)。『ロッキー4/炎の友情(1985)』でロッキーのライバルのボクサー役を演じて注目を浴びる。
リトルトーキョー殺人課
を見る限り日本語は勉強しなかったようだ。「空手の達人のヒ−ロー」ということでどうにも東洋人と戦う運命にあるらしい。
パニッシャー
JM
など日本となじみの(ヤクザを倒す!)映画の出演が目立つ。
ブラック・ソルジャーという映画では架空のアジアの国が舞台だが、敵の大将はケリ−・タガワである…。

スティーブン・セガール 
17歳で来日、15年ほど大阪で武道(合気道?)を修行した。CIAにいたとか怪しい噂も多く確かな経歴が不明。
刑事ニコ』などではかなり流暢な日本語を披露する。来日時のインタビューなども日本語で完璧オーケー(ただし大阪弁)。製作や監督もやるせいかなんか最近変な映画が多いような気がする。映画の中では絶対やられないし。ギター弾いたりするし。器用なのは分かったよ。日本在住時代に生まれた娘藤谷文子は平成ガメラシリーズ『ガメラ 大怪獣空中決戦』などに出演。息子剣太郎セガールも最近はCMなどに出演している。
CM出演あり。
リメイク版ザ・ヤクザ主演?どうもこれはガセネタらしく、『イントゥ・ザ・サン』のことらしい。(すみませんあるサイト情報をそのまま載せてしまいました)で、製作総指揮・原案・脚本・主演。http://us.imdb.com/title/tt0358294/のAlso Known Asによると。

参考書は→ハーフマニア藤谷文子のコーナーで。
ジャッキー・チェン 
キャノンボール』『キャノンボール2で日本人レーサーを演じていた。日本人役なんて嫌なんだろうな、本当は。でもようやく最近本格的にハリウッドに進出できてよかった。因みにジャッキーは来日するとインタビューで「ハイ、ドーモ」を連発するが、これは広東語で「毛の濃い、女のあそこ」を意味するそうなので本人はとても面白いらしい。トラックのCMに出ていたが、日野かいすゞか忘れてしまった。これ、三菱でした。(出っ歯に首からカメラ様の情報)
ジャッキー主演作(香港の)では日本人スターが多く出演している。日本人原作の『シティ・ハンター』もある。『ラッシュアワー3』では真田広之と共演。
カイル・マクラクラン
子供の頃日本に住んでいたことがあると聞いたことがあるが…?。誰か教えて。

みやひろ様からの投稿ではハイスクール時代交換留学生として短期滞在したらしい。
ありがとうございました。
デヴィッド・リンチの『デューン/砂の惑星』の主役以来、『ブルーベルベット』やTVシリーズ『ツイン・ピークス』などリンチ作品の常連。
CM出演あり
カイル・マクラクラン
エドワード・ノートン 
真実の行方』、『アメリカン・ヒストリーX』でオスカーにノミネートされた今最も注目を浴びている若手俳優。
『僕たちのアナ・バナナ』の監督など多才。
名門エール大卒業後、建築家の祖父の仕事を手伝うため、10年程前に大阪で数カ月働いていた。片言だが日本語が出来る。来日記者会見では日本語を披露した。
『僕たちのアナ・バナナ』にはカラオケシーンがあり、『ラウンダーズ』1998にはうどんを食べるシーンがある。『ファイト・クラブ』は面白かったなあ。
僕たちのアナ・バナナ
ダニー・ケイ 
まだ無名時代の戦前(1934年)、マーカス・ショー劇団の一員として日劇に出演していた。ある時本番中に停電があり、彼はろうそくの明かりで一人で踊って拍手喝采を浴びたことがあったそうだ。言うまでもなく「谷啓」はこの人の名にちなんでつけた芸名。『ホワイト・クリスマス』、『虹を掴む男』などロマンティック・コメディに多数出演、稀代のエンターテイナー。
5つの銅貨
テレンス・スタンプ 
若い頃は世界を放浪していたこともあり、日本にも滞在していたという。ロンドンの自宅には畳の部屋と檜の風呂(日本から取り寄せた)があるそうだ。
コレクター』『世にも怪奇な物語』の彼はサイコー。
シドニー・ポワチエ 
名作『夜の大捜査線』などで知られる「黒人俳優」の最高峰である。
現在のアメリカ映画では黒人が主役かまたは準主役で当たり前のように登場するが、彼の時代の映画は登場人物が「黒人」であることに意味がある作品でないと主演は難しかった。『夜の大捜査線』同様、次に挙げる代表作はすべてそれがモチーフで、ポワチエが重要な役目を果たしたことをよく物語っている。『野のユリ』では修道院で尼僧たちにうまく乗せられ奉仕させられる男を、『手錠のままの脱獄』では白人と手錠で繋がれたまま逃げる囚人、『招かれざる客』では白人女性と結婚する黒人の男、『いつも心に太陽を』では白人の不良中学生を教える教師を演じた。
2002年アカデミー賞名誉賞受賞。授賞式で「駐日バハマ大使」を歴任したと紹介されていた。ただし常駐ではない。なぜバハマかと思ったが両親がバハマのトマト栽培者だったのでバハマ国民(バハマはイギリス領なのでエリザベス女王から勲章とサーの称号を貰っている)である。「駐日」がなお不明。

黒澤明の『赤ひげ』の撮影を見学している。

 My Tribute to Sidney Poitier
ジェニファー・ロペス
1995大阪の花博で上演されていたミュージカル『シンクロニシティー』で芸能界デビューした。周防正行監督『Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?』のリメイク作日本のCMにも出演。
女優として映画『ザ・セル』などに主演するだけでなく、歌手として世界的な大ヒットとなったアルバム『On The 6』など、両方で活躍。
スティーブン・スピルバーグ
黒澤明の信奉者だからか、日本に関係した映画が多い。因みに彼が最も影響を受けた黒澤映画は『生きる』『隠し砦の三悪人』蜘蛛巣城』だそうだ。『七人の侍』『羅生門』でないところが意外。
出世作『ジョーズ』、唯一の失敗作と言われる『1941』(三船が出演!)、もろ太平洋戦争を描いた『太陽の帝国』(山田隆夫が出演!)、そして『A.I.』。
SAYURI
父親たちの星条旗
『硫黄島からの手紙』
『トランスフォーマー』2007(続編も製作決定)、『Ghost Soldiers』2008?の製作にかかわっている。



フランシス・フォード・コッポラジョージ・ルーカス
スピルバーグ同様黒澤の信奉者である。二人は『影武者』の外国版プロデューサーを務めた。また、共同でMISHIMA』、『タッカー』の製作総指揮を務めた。
ルーカスは母校南カリフォルニア大学の映画科に多大な寄付をしているが、その中に「黒澤明ステージ」と名付けたデジタル合成用スタジオ設備がある。ルーカスは日本のCM出演もある。代表作『スター・ウォ−ズ』は黒澤の影響が大きい。

コッポラは幼い頃『ゴジラ』を観て映画作りに興味を抱いたといわれ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)時代に黒澤映画に深く感銘を受けた彼は「ノーベル賞に映画賞を新設し、最初の受賞者は黒澤明にすべきだ」とマジで手紙をノーベル事務局へ送ったそうだ。コッポラの日本関連作品は娘のソフィアの『ロスト・イン・トランスレーション』の製作総指揮、監督として『ドラキュラ』『地獄の黙示録』などがある。三島由紀夫の『鏡子の家』の映画化権も持っているらしい。



レナード・シュレーダー
蜘蛛女のキス』(1985)でアカデミー賞脚本賞にノミネートされた脚本家。1969年〜1973年の5年間同志社大学、京都大学でアメリカ文学を講義していた。その時日本映画(特にヤクザ映画)を見まくったそうだ。『ザ・ヤクザ(1974)』の原作・脚本を担当、現在日本に関する脚本を書かせたらハリウッドでは彼が第一人者である。
日本映画への脚本執筆も長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男
山田洋次監督の『男はつらいよ寅次郎の夢
相米慎二監督の『ションベン・ライダー』など多く、また三島由紀夫本人とも親交があり、後に『MISHIMA』(奥さんのチエコも共同脚本)も手がける。これらポール・シュレーダーとの共同作品も多数。また、弟ポールは『タクシードライバー』『レイジング・ブル』などの脚本家・『アメリカン・ジゴロ』などの監督として知られているが、小津安二郎の熱烈な信奉者としても有名。
この兄弟は『ザ・ヤクザ』での成功がバネになってメジャーに雄飛した。レナードは2006年死去した。

参考書は→ハーフマニア国際結婚のコーナーでも紹介。
H.R.ギガー
エマーソン・レイク&パーマーの『恐怖の頭脳改革』のカバーイラストなど独自の境地を行くイラストレーター。映画への関与も深く、『エイリアン』シリーズのエイリアンデザインの他、『デューン/砂の惑星』『スピーシーズ 種の起源』の醜悪でなお妖艶な宇宙人・怪物のデザインなどで活躍する。日本映画帝都物語実相寺昭雄監督)でクリチャーデザインを手がけている。

←これはちょっと欲しい。ギガーデザインのアイバニーズ!

ジェレミー・トーマス
イギリスの映画プロデューサー。『戦場のメリー・クリスマス』1983で大島渚の映画を、『BROTHER』2000 で北野武監督の映画を手がける。そのほか『ラスト・エンペラー』『シェルタリング・スカイ』など日本に深い関わりがある。
リュック・ベッソン 
1959年パリ生まれ。17歳でフランスの名門ゴーモン社の助監督となる。その後ハリウッドで映画修行。帰国後自主映画『最後の戦い』でアボリアッツ国際ファンタスティック映画祭で話題を呼び注目される。1988年には『グレート・ブルー』(オリジナル版である『グラン・ブルー』も)が世界で大ヒット。続いて『二キータ』もヒット(後に米国でブリジット・フォンダ主演の『アサシン 暗・殺・者』としてリメイクされた)、『レオン』、『フィフス・エレメント』、『ジャンヌ・ダルク』などジャンルを問わず精力的に映画を撮り続けている。フランス映画独特の詩情に、アメリカ映画のダイナミズムを加えた作風は、世界で強く支持されている。最近では製作や脚本で辣腕を奮い、『TAXi』や『キス・オブ・ザ・ドラゴン』『YAMAKASI』など話題作・ヒット作を連発している。俳優ジャン・レノ、音楽エリック・セラとのコンビも抜群。元妻はアンヌ・パリロー、ミラ・ジョヴォヴィッチ(二人とも主演女優だ)。日本ビクターやパイオニア、ヘラルドなどが若い頃から彼の映画に出資しており、日本を意識した映画が多い。『神風』『グラン・ブルー』『TAXi2『フィフス・エレメント』、そして極め付けが『WASABI』。
ピーター・ローレ
1904年ハンガリー生まれ。家出してウイーンで劇団に入って演技を磨き、チューリッヒで俳優デビューした。オーストリア、スイスなどを放浪したのち、1928年ドイツに渡り映画出演。1931年にフリッツ・ラング監督の『』に主演、少女を狙う殺人鬼を演じ一躍世界的なスターになる。台頭してきたナチを避けて渡英、ヒッチコック映画などに出演。1935年にはハリウッドに渡り、数々の映画に出演。ハンフリー・ボガードの『マルタの鷹』『カサブランカ』や『毒薬と老嬢』など、サスペンスからコメディまでこなす名傍役として活躍した。彼は身長が約168センチ(5フィート5インチ)と白人にしては低く、また特異な風貌(僕はどうしても犬の狆を連想してしまうのだが)を活かした役が多い。『M』や『カサブランカ』のように、物凄いワルというのではなく、少し弱いところがある「小悪党」っぽい役にこの人の魅力があると思う。さて、彼は渡米して主役として当り役となったのが日本人探偵ミスター・モト』シリーズ(原作ジョン・P・マーカンド)である。これは大受けして1937年からおよそ二年間で8本も作られた。欧米人には彼に対するそのイメージはかなり強いようで、日本人ボーイ役として出演した80日間世界一周、『忍者と悪女』(これは日本人は関係なしだが)など「日本人」を感じさせるキャラもある。余談だが、彼の母国ハンガリーは東ヨーロッパにあるが、言語はウラル・アルタイ語系で、日本語と共通するところがある。「塩」は「ショー」といい、塩が足りないことを「ショータリン」と言うそうだ。面白い。
ジョン・フランケンハイマー 
1930年ニューヨーク生まれ。空軍映画部を経てテレビ界(CBS)に。1950年代後半にテレビディレクターとして頭角を表し、エミー賞に5年連続でノミネートされた。その後映画界に移り、バート・ランカスター主演の『明日なき十代』『終身犯』で一躍トップ・ディレクターとなった。骨太の男たちを描くアクションやサスペンスに力を発揮する人で、『大列車作戦』『グラン・プリ』フレンチ・コネクション2』『ブラック・サンデー』『イヤー・オブ・ザ・ガン『RONIN』などが代表作。2002年7月に死去。
フランケンハイマーは身長が190センチ以上ある大男で、かなり迫力のある人だったらしい。ハリウッドでもうるさい俳優として知られるランカスター(映画製作者としても活躍した)と、若きフランケンハイマーは相当やりあったことが『世界の映画作家2』(キネマ旬報刊)に載っている。しかしランカスターは彼の映画に5本も出演しており、彼を信頼していたのがよく分かる。『ザ・チャレンジ最後のサムライ』の時は中村敦夫の話によるとアル中だったそうで、この前後あたりから作品の出来不出来の波が激しいのは残念(『ザ・チャレンジ』の項参照)。
それにしてもハリウッドの大監督となるとギャラが凄い。億単位の監督料を貰っていながら、ロケ先の日本では彼一人の食費は10万円、宿泊費は20万円(一日あたりの上限金額です。ひと月じゃないぞ!)の予算が組まれていたそうだ(これも中村敦夫の本より)。
グラン・プリ』で日本に興味を持った彼は、『非凡な船員THE EXTRORDINARY SEAMEN』(日本未公開)、『RONIN』と日本に関係した映画を撮っている。なお、カポーティーは『ティファニーで朝食を』マリリン・モンローを想定して書いており、彼女が主演で、フランケンハイマー監督で映画化される予定だった。その場合、YUNIOSHIは誰がやる予定だったのか?

デビッド・キャラダイン
『復讐は俺がやる』DISTANT JUSTICE
1992 日米合作

菅原文太がごく普通のサラリーマン役。妻(野際陽子)と娘(文太の本当の娘らしい)とアメリカに旅行に出かける。文太が旧友のジョージ・ケネディと旧交を温めている時、妻子は買い物に出かける。しかし偶然麻薬の売人の写真を撮ってしまい、妻は射殺され、娘は誘拐されてしまった。復讐を誓い、銃を手にした文太は、娘の奪還に命をかける。彼は、市長候補(デビッド・キャラダイン)が麻薬売人を保護していることを知り、キャラダインを拉致する。だが、上にはもっと巨悪な組織がいた。キャラダインは仲間に射殺され、文太は投獄される。何とか牢獄から脱出した文太は大型トレーラーを奪取し、組織のアジトに突っ込んで行く!と、まあここまで書いたら分かると思うが、よくある復讐ものアクションのパターンですね。東映と東映ビデオが始めた「Vシネマ」がグレードアップし、ハリウッドで製作したものを「Vアメリカ」と称してビデオ発売した。そのシリーズ(何本あるのか?)の記念すべき第1作(監督村川透)。日本では東京ファンタスティック映画祭’92で公開されている。日本映画では破格の予算をかけた超大作だが、ハリウッド映画にしては破格の低予算映画なのだろう。B級感がそこここに漂う。ビデオは残念ながら吹替版で、菅原文太の台詞もアフレコで入れ換えられている。監督は松田優作主演のアクション映画などでならした村川透。無理矢理ハリウッドで撮らなくても日本で同じ予算をかけたらもっといいのが出来そうだ。プロデューサーは『人間の証明』などのサイモン・ツェーで、その繋がりでジョージ・ケネディが出演したようだ。

デビッド・キャラダインは名傍役ジョン・キャラダイン(『駅馬車』!)の息子で(弟たちキース、ロバートも俳優。『ロング・ライダーズ』は3兄弟が主演の西部劇。お父上はさぞお喜びのことでしたでしょう。この映画兄弟俳優ばかりソロゾロ主演ですが)、テレビシリーズ『燃えよ ! カンフー』でカンフーマスターを演じて以来「BC級映画の猛者」(僕が命名。以前彼が出演する日本未公開映画を何本かビデオ発売で手がけました。)だ。『キル・ビル』にも出演!さすがタランティーノよくわかっている!

『キル・ビル』特集ページ


2009年6月4日、映画『ストレッチ Stretch』出演のため滞在中のタイ・バンコク市内のホテルのクローゼット内で、死体で見つかった。首と性器にロープが巻きつけられた状態であった。地元警察では自慰行為中の事故と見ているが、ベッドの上にあった足跡がキャラダインの靴とは一致しないことや、キャラダインが後ろ手で縛られていたことなどから、他殺の疑いもあると見て、捜査が進められている。う〜ん、ショックですね。


デビッドは2の方で登場!
マーク・レスター
小さな恋のメロディ』が日本でバカヒットして一躍有名になった子役俳優。といいますかアイドルですね。当時の「ロードショー」「スクリーン」誌には毎月特集コーナーがあったといえば、その人気もわかるでしょう。その彼の人気絶頂期に日本に招いて映画を撮っていた!おそるべし日本映画界(東宝)。それが『卒業旅行』Little Adventure 1973である。監督はアイドル映画の巨匠、出目昌伸。中年には懐かしい「チャコちゃん」こと四方晴美が共演している。主題曲は元ベンチャーズのノーキー・エドワーズ。ロンドンから日本にやって来た少年が少女と出逢い、楽しい日々を過ごすが、その少女には麻薬密輸団がつきまとい二人は危険にさらされる…というストーリー。何だか小学生が考えそうな話である。
びっくりなのは、マーク・レスターファンだった当時13歳の原田美枝子が 新聞の夕刊に載っていた「マーク・レスターの相手役募集」の広告を見て応募をし、最終オーディションまで行ったが落選してしまったという事実。後に「クロサワ映画」などで活躍する実力派女優の彼女の意外な過去である。さて肝腎のレスター君はさっさと引退して(日本以外ではさっぱり売れなかったもん)整骨医になって確かロンドンでcarltonclinicという病院を経営している。「あの人は今?」みたいな番組でやっていた。

『小さな恋のメロディ』の原作・脚本はのちに『フェーム』『ミッドナイト・エクスプレス『愛と哀しみの旅路』ザ・コミットメンツ』などで知られるアラン・パーカー監督。

『卒業旅行』はないので。
ヴィム・ヴェンダース
ドイツ出身の国際的映画監督。『パリ、テキサス』、『ベルリン・天使の詩』などの代表作がある。小津安二郎監督の熱烈な信奉者として知られ、オマージュを捧げた『東京画』『夢の涯てまでも』という監督作品の他、世界の映画関係者が出演したドキュメンタリー『小津と語る』1993でも熱い思いを語った。
クエンティン・タランティーノ
言わずと知れた「日本のB級映画大好き外国人」である。ロスのビデオ店の店員時代に映画を見まくった時の影響だという。製作、脚本、監督、俳優をこなす。日本に関係した作品は
『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(脚本のみ)1994
監督作に
『パルプ・フィクション』1994
『キル・ビル』2003
『キル・ビル Vol.2』2004
『シン・シティ』2005などがある。

三池崇史監督の『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』2007に出演して話題を呼んだ。日本人俳優が全編英語で台詞を言うこの映画でタラちゃんは日本語で「サヨナラだけが人生だ」と言う。ご丁寧に日本語字幕まで出るのだが、この台詞、三池監督の師匠今村昌平が、そのまた師匠・僕の大先輩でもある川島雄三について書いた本のタイトルである(文言は井伏鱒二。確か漢詩の訳)。これがわかった人はかなりの日本映画通であろう。
クエンティン・タランティーノは日本のCM出演の実績も。
公式サイト:
http://www.sonypictures.jp/movies/sukiyakiwesterndjango/index.html

『キル・ビル』特集ページを作りました。


ジョン・ウェイン
日本映画に出たわけではないが、「アメリカを代表するヒーロー像を演じる俳優」として活躍したので、軍人役も多く、従って太平洋戦争を舞台に日本軍を相手に戦う映画が(戦時中に「戦意高揚」を目的に製作されたものも含め)以下のようにゾロゾロある。

『フライング・タイガー』1942
『バターンを奪回せよ』1944
『血戦奇襲部隊』1944
『コレヒドール戦記』1945
『硫黄島の砂』1949 この映画でアカデミー主演男優賞ノミネート。
『太平洋航空作戦 (初公開時タイトル:太平洋作戦)』1951
『太平洋機動作戦』1951 こちらは潜水艦の艦長役。

1958年には親日映画、 『黒船』に出演。時代を追ってみると日米関係の変遷が分かりますね。
もちろん『駅馬車 』『勇気ある追跡 』『捜索者 』『偉大な生涯の物語 』など西部劇・歴史劇のヒーロー、『マックQ 』『ジョン・ウェイン/ブラニガン 』など正義感熱い刑事なども多数出演。アメリカ映画史上屈指の俳優。アメリカカリフォルニア州には彼の名を使った空港がある。
ちなみに僕が一番好きなジョン・ウェイン映画は『静かなる男』です。日本で初めてビデオ化された時、僕がその担当者でした。字幕翻訳を戸田奈津子さんに依頼したら、「この映画大好き!うれしい」といってくれた思い出があります。この映画、「変な日本」には一切関係ないけどお薦めです!


マイケル・アリアス
アメリカ出身のCGクリエイター、映画監督。1968年、雑誌記者の父、IBMの技術者だった母の元、ロサンゼルスに生まれる。子供の頃から自主特撮映画を作っていた。大学で日本語を学び、その後父の伝手で1987年、ハリウッドのドリームクエスト社に入社。主にモーションコントロールカメラの操作などの技術者として働き、、ジェームズ・キャメロンの『アビス』(1989)、ポール・バーホーベンの『トータル・リコール』(1990)のカメラアシスタントを務める。その後特殊効果の巨匠ダグラス・トランブル監修のユニバーサルスタジオのアトラクション『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』の製作などに従事、その時共に仕事をした日本人スタッフの影響で日本に興味を抱き、1991年に来日、イマジカ特撮映像部で働きアニメーション・ソフトウエアの開発を担当。その後独立してニューヨークに拠点を移し、『クルックリン』『未来は 今』(1994年)などのCG部分を制作し、多くの賞を獲得。再び日本に戻り、ソフトイマージ社のプログラマーとして、CGと手書きのアニメの融合を目指したソフトを開発。日米合作のアニメ『アニマトリックス』では、ウォシャウスキー兄弟の指名でプロデューサーを担当。宮崎駿監督『もののけ姫』のCG部分の製作にも関わった。『アニマトリックス』の時に関係したスタジオ4℃の企画、松本大洋原作の『鉄コン筋クリート』アニメ化企画に着手。3年の月日をかけて2006年に完成。これがマイケルの映画監督デビュー作となり、第57回ベルリン国際映画祭に正式出品され、その年の日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞他を受賞するなど高い評価を得た。2009年には実写『ヘブンズ・ドア スタンダード・エディション』(出演:長瀬智也、福田麻由子)を手がけた。
クリント・イーストウッド
アメリカを代表する映画俳優であり、また且つ映画監督としても素晴らしい作品をいくつもものにし歴史に残る人物である。俳優兼監督はどっちつかずで大成しないという印象があるが、彼とチャップリンだけは別のようだ。特に70歳を越えて、この数年の『ミスティック・リバー』『ミリオンダラー・ベイビー』『グラン・トリノ』と続く作品の質の高さは圧巻。
デビュー当時はユニバーサルのB級ホラー映画に端役出演するなど長く低迷していた。日本でも一躍知名度を上げたのはテレビの西部劇シリーズ『ローハイド』からで、主役ではないがロディという青年役(声は山田康雄)を好演。1962年には番組のキャンペーンで主役たちとともに来日し大歓迎を受けている。しかし、その後はハリウッドで続かず、再び低迷時代が訪れる。そんな彼を救ったのはイタリア映画界で、セルジオ・レオーネらがいわゆるマカロニ・ウエスタンの主役に招き、『荒野の用心棒』1964に出演。これが全世界で大当たりし、続く『夕陽のガンマン』も大ヒット、イーストウッドはこうして世界の映画スターとしての地盤を作った。1971年にはハリウッドでドン・シーゲル監督の『ダーティ・ハリー』に主演。型破りなハリー・キャラハン刑事役はイーストウッドの当たり役となり、シリーズ化されいずれも大ヒットしている。同じ頃『恐怖のメロディ』を初監督、地味だが堅実な演出の手腕も注目を浴びるようになった。彼を育てたレオーネ、シーゲル両監督に捧げて監督・主演した『許されざる者』1992は「西部劇の復権」といわれるほどの傑作に仕上がり、アカデミー賞監督賞、作品賞を受賞。また2004年には『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー作品賞・監督賞を受賞。監督としても超一流と認められた。
彼が世界で大ブレークするきっかけとなった『荒野の用心棒』は言うまでもなく黒澤明監督の『用心棒』が原作であり、イーストウッド本人は最も敬愛する監督としてよくクロサワの名を挙げる。カンヌ映画祭で『夢』が上映された時、イーストウッドは黒澤に握手を求め、「あなたがいなかったら今の私はいなかった」と熱い思いを告げたと言われる。2006年には第二次世界大戦の硫黄島での激戦を描いた連作『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』を監督。日米の両側の視点で描いたこの二作も高い評価を得た。この作品の演出中も「クロサワだったらここはどう撮るかな?」といつも気にしていたそうだ。2009年、日本政府より「映画製作を通じた日本とアメリカ合衆国との相互理解の促進に寄与」とした功績により、旭日中綬章を受章した。因みに現在の妻ダイナには何分の1か日本人の血が流れている。

参考書は→ハーフマニア意外なハーフたちのコーナーで。


孤高の騎士クリント・イーストウッド (映画作家が自身を語る)

クリント・イーストウッド伝説

参考書一覧

参考書パート2

特集:
外国人が見る日本と日本人(前編)

特集:
外国人が見る日本と日本人(後編)

参考書パート4

CMで使われた洋楽

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