●補足
真珠湾攻撃を発案したといわれる海軍大将(連合艦隊長官)山本五十六は海軍少佐時代アメリカに駐在、ハーバード大学に留学経験があり(1919〜1921年)、アメリカの軍備を含めた国力を熟知していた。そのため日独伊三国軍事同盟や日米開戦には最後まで反対していた。また航空機の戦闘力と作戦を研究し、来るべく戦争は戦力の中心が戦闘機になると予見、巨艦建造にも反対し、戦闘機の製造に力を入れるべきと主張していた。真珠湾攻撃は、山本が近衛文麿首相に述べたという「初め半年や一年は随分暴れてご覧に入れます。しかしながら、二年、三年となれば全く確信は持てません」という言葉からも分かるように、零戦など戦闘機による先制攻撃で戦艦を破壊し敵が混乱している間に和平を結ぶという想定で、あくまでも短期決戦のつもりで編み出した作戦であった。真珠湾攻撃は成功はしたが、しかし日清・日露で戦艦での勝利を経験している海軍・陸軍の上層部・政府は巨費を投じて武蔵・大和などの巨艦を建造しており、なお戦艦の力を信じ戦争を推進した。 従ってミッドウェイ海戦などで日本海軍が誇る戦艦・空母が次々と撃沈されると一気に日本が劣勢に回ることになり、破滅の道を辿ってしまった。皮肉なことに山本長官は戦艦でなく、戦闘機で移動中に敵戦闘機によって撃墜され戦死している。なお、戦争当時新潟県でアメリカに空爆されたのは山本の生地である長岡市だけである(民間人を含む無差別攻撃としては)。長岡市は約1500人の市民が犠牲になった。それを偲んで毎年8月1日に行われるのが有名な長岡花火である。伝えられる山本五十六は非常に人間的な魅力にあふれる人物で、黒澤明は彼にほれ込んで一気に『トラ!トラ!トラ!』のシナリオを書いたが、戦闘シーンよりも山本の人間像を重視し精緻に描いたものであった。
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