top |
|
| |||||||||
索引(日系人も入れました。順不同) | |||||||||
|
|||||||||
男優 | |||||||||
マコ・イワマツ(マコ)本名:岩松信 世界で最も知られた日本人俳優だろう。1933〜神戸生まれ。父はプロレタリア画家・絵本作家八島太郎。母光子。両親が戦前アメリカに亡命。マコは戦後15才の時渡米、戦後のアメリカの永住権をとった最初の日本人だったという。パサディナ演劇学校で学ぶ(ダスティン・ホフマンと同期)。アジア系劇団「イースト・ウエスト・プレイヤーズ」を旗揚げ(この劇団には後にパット・ノリユキ・モリタやジョン・ローンらも在籍し活躍していた)。その劇団での舞台『羅生門』で盗賊役をやっていたマコをロバート・ワイズ監督が見て『砲艦サンパブロ』1966に大抜擢。映画デビュー作にしてアカデミ−助演男優候補になる。ウオーク・オブ・フェームに手形を残し、東洋人俳優のドンのような存在であった。 代表作は 『セブン・イヤーズ・イン・チベット』1997ジャン・ジャック・アノー監督 『武士道ブレード』1980 『THE BIG BRAWL』ROBERT CLOUSE監督 『大洋のかなたに』1970トム・グライス監督 『トラ!トラ!トラ!』1970 『キラーエリート』1975 『バトルクリーク・ブロー』1980 『コナン・ザ・グレート』1982 『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』1984 『タッカー』1988 『パシフィック・ハイツ』1990 『ヒトハタ』1980 ロバート・ナカムラ監督 『ウォッシュ』1988 マイケル・トシユキ・ウノ監督 『ロボコップ3』1992 カネミツ役 『ライジング・サン』1993 『ハイランダー3 超戦士大決戦』1995 『パールハーバー』2001の山本五十六役 『SAYURI』2005 など。 『刑事コロンボ 美食の報酬』などテレビでのチョイ役も多数。 『アンリマーカブル・ライフ』1989 アミン・Q・チョウドリイ監督、シェリー・ウインターズ、パトリシア・ニール主演のドラマではエミー賞候補になった。 日本では 蔵原惟繕監督の『ストロベリーロード』 きうちかずひろ監督『共犯者』1999 三池崇史監督『中国の鳥人』1998 篠田正浩監督とは『沈黙 SILENCE』1971 『梟の城』1999(豊臣秀吉役)の2本、他に 山田洋次脚本のテレビムービー『祖国』2005などに出演。 妻の星静子(スージー)も女優・演出家で『愛と哀しみの旅路』タムリン・トミタの母役などで知られる。夫婦でTVムービー『ヒロシマ』に主演した。アニメ『サムライジャック』で悪のヒーロー「アク」役の声優をしている。顔が出ないのだから、日本人俳優にやらせなくてもよさそうなもんだがなあ。 以下、椣平夢若様からの投稿 マコ・イワマツさんの作品に『グリーン・ホーネット』劇場版’75を加えてはいかがでしょうか?ブリース・リーが日本人(ケイトー)をマコが(悪い)中国人を演じているということで。 小石川養生所榊原伊織様の投稿では 「ブルース・リー」は『グリーン・ホーネット』という連続テレビドラマで日本人召使役で出演していました。このドラマにはチャイナタウンが舞台のエピソードがあり、これには「マコ岩松」が中国人役で出演し、ラストでは日本人役の「ブルース・リー」とクンフー対決をしています。 アメリカ国籍の中国人の「ブルース・リー」が日本人役で日本人の「マコ」が中国人役と役柄が【逆転】しているのが見ていてなんとも不思議で面白いです。 なおこのエピは映画にもなっており、現在国内正規DVDでの視聴が可能です。 椣平夢若様、小石川養生所榊原伊織様(分かってますよお、このハンドルネーム!)ありがとうございました。 アジア系なら誰でもいいというハリウッド的考えですね。 2006年7月21日、食道ガンのため逝去。72歳。『コナン・ザ・グレート』で共演したシュワルツェネッガー州知事が追悼の声明を述べた。 http://d.hatena.ne.jp/yunioshi/20060724 mako http://d.hatena.ne.jp/yunioshi/20060724 |
アメリカを生きる―紋切り型日系人像を突きぬけろ マコ・イワマツ著
中国の鳥人 イースト・ミーツ・ウエスト―マコとスージーの日米物語 |
||||||||
| |||||||||
三船敏郎 世界で最も知られる日本人俳優。 三船の実家は戦前、中国大陸で写真屋をやっており、彼はその写真技術を活かそうとPCL(東宝の前身で撮影所と現像所があった)に志願書を出した。ところが係の手違いで新人俳優のオーディションに廻されてしまった。芝居など全く興味なかった彼は不機嫌極まりなく、仏頂面で面接に臨んだが、それが監督たちの気に入り、合格となってとうとう俳優にされてしまったという。谷口千吉監督・黒澤明脚本『銀嶺の果て』(1947)でデビュー。黒澤はこの映画で編集作業を手伝っていて、三船の才能を見出した。後に、めったに俳優に惚れることなどなかった黒澤明が「三船にはまいった」と自伝『蝦蟇の油』に書いている。黒澤映画のみならず内外の映画に出演。演技にとやかく言う人はいるが日本が世界に誇る最高峰の俳優であるのは間違いない。 外国映画出演は 『価値ある男』 『レッド・サン』 『ミッドウェイ』 『1941』 『グラン・プリ』 『太平洋の地獄』 『太陽にかける橋ペーパータイガー』 『将軍』 『ザ・チャレンジ最後のサムライ』 『武士道ブレード』 『ウィンターキルズ』 『シャドウ・オブ・ウルフ』 『大統領の堕ちた日』 『ピクチャーブライド』 など多数。 主演した日本映画で国際的賞を得たのは 『宮本武蔵』(稲垣浩監督) 『無法松の一生』(稲垣浩監督) 『西鶴一代女』(溝口健二監督) 『上意討ち 拝領妻始末』(小林正樹監督 『千利休 本覺坊遺文』(熊井啓監督) 『羅生門』 『七人の侍』 『隠し砦の三悪人』 『用心棒』 『赤ひげ』(以上黒澤明監督 黒澤映画・受賞歴はこちら) とこちらも多数! 日本映画の代表作としては戦後の稲垣浩監督作のほとんどや、岡本喜八監督『独立愚連隊』(1959)、石原裕次郎と共演した『黒部の太陽』(1968 熊井啓監督)、『人間の証明』(1977 佐藤純彌監督)、『赤穂城断絶』(1978 深作欣二監督)、『二百三高地』(1980 舛田利雄監督)、マコ、パット・モリタと共演した『ストロベリーロード』(1991 蔵原惟繕監督)など多数。 僕は山田洋次監督の『男はつらいよ知床慕情』の三船が大好きです。 『ミフネ』という三船をリスペクトした外国映画もある。 ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』のダース・ベイダー役(一説にオビ=ワン・ケノービ)には、当初から三船を想定していたが、三船が断った(まだルーカスは無名で、B級のSF映画だと考えたらしい)ため、たまたまハリウッドに来ていた英国の重鎮俳優アレック・ギネスになってしまったという経緯がある。なお、『ベスト・キッド』シリーズのミヤギ役も断ったといわれている。公式サイト mifune | 参考資料他:『三船敏郎―さいごのサムライ (毎日ムック)』 『「映画を愛した二人」黒沢明 三船敏郎』 『東宝砧撮影所物語―三船敏郎の時代』など。
|
||||||||
早川雪洲 (1889-1973)千葉県出身。1908年渡米、シカゴ大学に入学。インス、デミルといった製作者・監督に重用され、1915年『チート』で地位を確立した。『チート』では女に焼印を押す非情な悪役だった。しかし、世界初のアイドル系映画スターだということは日本ではあまり知られていない。ルドルフ・ヴァレンチノやハンフリー・ボガードが彼に憧れて映画界入りしたといわれているほどである。淀川長治の話だと当時彼の周りは若い女(もちろんあちらの)が群がり大変だったそうだ。ファンが、車から降りた雪洲が靴を濡らさないようにと毛皮のコートを水たまりに投げ入れ、その上を歩かせたという。本当かな?『戦場にかける橋』(彼はオスカーノミネート)が最も一般に知られている作品。 他に『新しき土』、 『東京ジョー』、 『東京暗黒街竹の家』、 『底抜け慰問屋行ったり来たり』、 『大津波』 など。余談だが、日米の映画製作の現場で「せっしゅう」と言えば、背の低い男優のために台を用意することである。今日でも使用されている業界用語だが、これは、彼が外国人俳優と共演する時に実際に台に乗って身長のバランスをとっていたことに由来する。妻は青木鶴子。ウォーク・オブ・フェイムに名を連ねる数少ない日本人のひとりである。 ”は”さんからいただいた投稿は以下です。 こんにちは。初めて書き込みます。豊富な情報量には脱帽ですね。これからも期待しています。さて、HP内で早川雪洲の「洲」が「舟」になっており、気になりました。 雪洲は1910年代のハリウッドにおいてチャップリンと並ぶ大スターだったわけであり、過去も、それから未来も日本人がハリッドの頂点に立つことはもうありえないと思います。 現在の渡辺謙や三船敏郎、ジェームズ繁田、MAKO、上山草人、ショー・コスギなども世界的に知られた日本人俳優ですが、そもそも雪洲は一段違うレベルにいます。『東京ジョー』や『戦場にかける橋』くらいしか観たことのない方は、そんなイメージはないのかも知れませんが、ぜひDVDででている1915年の『チート』を観てください。セシル・B・デミルと組んだ雪洲の出世作です。 雪洲は悪役ですが、この強烈さは後の『ターミネーター』のシュワツェネッガーをも陵駕し、これ一作で一気に全米のマチネーアイドルになりました。パラマウントなる危ない配給会社も、この特大ヒットにより命を与えられ、現在の大メジャーに落ち着いています。ルドルフ・ヴァレンチノもボギーも雪洲に憧れてこの世界を目指しました。パラマウント作品では米DVDで1917年の『シークレットゲーム』なども発売されています。現在の貨幣価値で年間40億円のギャラを貰っていた10年代後半から20年代前半が絶頂期ですが、同期のスターがみな落ちぶれていく中で、雪洲だけは1960年代までハリウッドで現役で活躍しました。チャップリンでさえ追放されてしまったわけですから、その息の長さが分かります。ぜひ「洲」への訂正をお願いします。 日本人がもっと誇るべき日本人のひとりですね!雪洲訂正しました。お恥ずかしい次第です。それにしても「雪舟」や「雪州」とか間違っていることが多いですね。 また、通りすがりの爺さんから『三人の帰宅』についても投稿いただきました。ありがとうございました!参考資料は『『聖林(ハリウッド)の王 早川雪洲』など。 『東京暗黒街 竹の家』 | 十誡/チート |
||||||||
関根勤 元ラビット関根(古い)。モンティ・パイソンの大ファン。テリー・ジョーンズが『エリック・ザ・バイキング』を撮る時日本人俳優を探していることを聞き、自分の出ているビデオを送りつけて出演を決めた。ところがまだ何役か決まってなかったそうで、どんな役がいい?と聞かれた彼は、すかさず「王様の脇で仕える鍼灸師」と答えた。鍼を過って打ってしまって王様の手が変に動いてしまうというギャグを提案したそうだ。テリーはそのアイデアを気に入ったのだが、撮影スケジュールがどうしても合わず没になった。後日の撮影で、しかたなく奴隷船のマスター役となり、日本語で「てめえら人間じゃねえ!」とか言いながら船を漕ぐ白人たちに鞭打つという演技とあいなった。その演技を見てテリーは「うふっふっふっふ」と笑ったそうで、関根いわく「野球に例えればバッターが長嶋監督に”グッドですねえ”と誉められるようなもの」で、すこぶる感動したという。因みに関根の台詞には英語の字幕が入るが日本語を正確には翻訳していない。実は誰も関根の日本語を理解してなかったらしく、数年後テリ−と再会した関根は「あれは何て言ってたの?」と尋ねられたという。以上、『エリック・ザ・バイキング』TV放映時の本人の解説から。 関根はこの他『悪魔の毒々モンスター2』にも出演している。忙しいかもしれないけどまだまだ海外進出を狙えるポジションにいるのだからがんばって欲しい。 | エリック・ザ・バイキング バルハラへの航海 悪魔の毒々モンスター 東京へ行く 映画について造詣が深く、著書に『関根勤×江戸木純 シネマ十番勝負』、『関根勤のフルコンタクト映画館』、その他エッセイ『バカポジティブ』やお笑い本など多数。 |
||||||||
パット・ノリユキ・モリタ(1932-2005 日本語表記:森田沢之) スタンダップ・コメディアンとしてキャリアを積み、『ハッピーデイズ』(ロン・ハワード監督が俳優だった頃の主演ドラマ)のレギュラー:マツオ・アーノルド・タカハシ役で注目を浴び、端役だが映画、テレビシリーズに多数出演した。『ミッドウェイ』の草鹿龍之介役、SF『世界崩壊の序曲』サム役などを経て、『ベストキッド』(原題はKarate kid)シリーズのミヤギ役に抜擢され、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど一気に知名度を挙げ、4までシリーズ化された。因みにこの役は最初三船敏郎にオファーされていた。日本映画『ストロベリーロード』(監督:蔵原惟繕)では三船敏郎、マコと共演している。『キングコブラ』1999などB級映画にも多数出演。日系アメリカ人2世で日本語はほとんど話せなかった。 Pat Morita Tribute | |||||||||
石橋貴明 『メジャーリーグ2』『メジャーリーグ3』では謎の日本人選手タカ・タナカ役、『悪魔たち天使たち』に出演。そのせいか彼は数年ずっと日本のタレント部門高額納税者1位だった。とんねるずの相棒の木梨とギャラでかなり差がついた。 ハリウッド映画とは関係ないが面白かったので↓ Thunberdirds (parody of Thunderbirds in japan) とんねるず公式サイト とんねるずの結成から出演作、交友関係までは『貴明と憲武』(1995刊)がある。 | |||||||||
別所哲也 英語ができるのを得意としている俳優だが、目立った出演作は残念だが日米合作のSF『クライシス2050』くらい。何年か前にアカデミー賞授賞式の番組(NHKだったと思う)にレポーターとして出演していた。今まさに会場入りする大スター達に「知っている日本人俳優は誰?」とかマヌケな質問をかましていた。答える方はそのあまりに唐突な質問に戸惑いながらも(カメラが回っているので)仕方なく笑顔で「ミフネ…」とか答えていた。空しい…。 ショートフィルムの新進作家を発掘するプロジェクト「ショートショートフィルムフェスティバル」の主催者で、こちらは評価したい。中京テレビの料理番組の司会を務め、料理についての造詣も深い→ 公式サイト | |||||||||
吉田栄作 Vシネマ『THAT SUMMER IN L.A』に主演。90年代はトレンディドラマや歌手として一世を風靡した。一時日本の芸能界を休業し渡米、俳優修行をする。最近は『亡国のイージス』『ミッドナイトイーグル』などスケールの大きな日本映画で存在感を示している。もう少し思い切ったイメチェンをすれば、抜群な活躍ができる役者だと思うのだが。 公式ブログ | 『ZERO―EISAKU YOSHIDA (Junon books)』 など写真集も出版されている。 |
||||||||
ハロルド坂田 (1920-1982)ハワイ生まれ。本名トシユキ・サカタ。ロンドンオリンピックでアメリカ代表の重量挙げの銀メダリストとなった日系人。後にプロレスラーに転進、アメリカでは同じ日系人プロレスラー、グレート東郷の弟「トシ東郷」を名乗り「東郷ブラザーズ」としてヒールで活躍。1951年にGHQ主導のプロレス興行(慈善事業の一種)のため日本に招かれ、力道山と試合をした。その後アントニオ猪木などとも試合をしている。映画は『007ゴールドフィンガー』で強烈な印象を残したが、そのほかに『The Death of Jaws』『キラー・インパルス殺しの日本刀』Impulce1974に出演。 ロバート・ホワイティングのルポタージュ『東京アンダーワールド』によると、力道山が相撲を辞めて毎日ヤクザやチンピラを相手に喧嘩をしかけるような荒んだ生活をしていた時、偶然出逢ったハロルド坂田にコテンパンに負けてしまった。力道山が初めて喧嘩で負けた相手だった。しかしこれが縁で二人は親友となり、坂田の勧めでプロレスラーの道に進んだという(これは作り話という噂もある)。力道山本人が出演し自らの半生を演じてた1955年の伝記映画『力道山物語 怒濤の男』ではこの辺が美化されていて、力道山が相撲を辞めてどうしようかと悩んでいた時に偶然プロレスの興行を見てプロレスラーに転じることを決意、プロレス道場に赴くが、その道場で指南役のレスラーに「どのくらい力があるのか?」と聞かれた力道山がそのレスラーを軽々持ち上げてしまい、レスラーが感服して即入門を許すということになっていた。そのプロレスラー役がハロルド坂田であった。また、映画のラスト近く、力道山が日本チャンピオンになり、神様ルー・テーズに挑戦しに向かう壮行会パーティのシーンにも坂田はゲストの美空ひばりと共にチョイ出している。 ハロルド坂田 | |||||||||
丹波哲郎 なんといっても『007はニ度死ぬ』が有名だが、他にもハリウッド映画主演は多数ある。 『太陽にかける橋』 『第七の暁』 『マルコ・ポーロ』 『五人の軍隊』 『SEVEN NIGHTS IN JAPAN』 『Bridge to the Sun』 『武士道ブレード』など。 ルイス・ギルバート監督繋がりが多いようだ。丹波さんの家柄は天平から伝わる薬師。祖父は東京帝国大学名誉教授で薬学博士、男爵(東京薬科大学の創設者のひとり)。父は陸軍薬務官から転向した日本画家だそうで、本人は中大法学部在学中(戦後まもないころ)に進駐軍のGHQの通訳をしていたという。だから筋金入りの「国際派」なのだ。ただの霊界広告マンではない!皆もっと尊敬するように。とはいえ実は英語が出来なかった?『007はニ度死ぬ』の話で。 多作のため、日本の出演作は名作も多いが、珍作も多く、また霊界系?の映画を自ら監督もしている。これがまた…→『大霊界~死んだらどうなる』死ぬまでに一回は観ておこう! 2006年9月24日死去。享年84。もともと歯に衣着せぬ人で、マイペースを貫く性格は若い頃から。特に大御所俳優になった晩年は恐いもの知らずで、キネマ旬報に連載した映画界の裏話は『丹波哲郎の好きなヤツ嫌いなヤツ』にまとまって出版されている。それによれば泣く子も黙る各映画会社の社長や撮影所長(永田雅一、大蔵貢、城戸四郎、大川博、藤本真澄、岡田茂ら)との交流?やジャック阿部(阿部豊)、今村昌平、五社英雄、舛田利雄、深作欣二、伊丹十三ら大監督・高倉健、三船敏郎、勝新太郎ら大物俳優たちとの関係が書かれている。三船敏郎と仲代達矢が喧嘩した時の話や、高倉健に催眠術を教えた話なども興味深い。また、『大俳優 丹波哲郎』にはハリウッド映画に出た経緯や『ザ・ヤクザ』から降ろされた話などが詳しく述べられている。 日本では問題があって観ることができなくなってしまいました『ノストラダムスの大予言』のドイツ版。 Weltkatastrophe 1999 - Die Prophezeiung des Nostradamus 公式サイト「丹波哲郎の霊界サロン」 | 代表作はこれだと思うんだけど↓ |
||||||||
仲代達矢 黒澤映画や小林正樹監督の『人間の條件』シリーズなどで日本はもとより世界に知られる名優だが、ハリウッド映画出演は意外に少ないようだ。『戦場に架ける橋2』では捕虜たちに理解ある司令官原田少佐を演じる。マカロニ・ウエスタン『野獣暁に死す』では何と悪役として主演。青龍刀を振り回し『椿三十郎』を凌ぐ殺陣を披露する!ロケでイタリアの空港に着いた時、迎えに来たスタッフが「なんだチョンマゲは置いて来たのか」とがっかりしたという逸話が残っている。 この他は香港のツイ・ハーク製作『妖獣都市〜香港魔界篇〜』 (1992)に出演。 また、海外で受賞した日本映画には 『七人の侍』(歩いてるだけのエキストラ) 『用心棒』 『影武者』 『乱』(以上黒澤明監督) 『人間の條件』 『切腹』 『怪談』 『上意討ち 拝領妻始末』(以上小林正樹監督) 『鍵』(市川崑監督) 『裸の太陽』(家城巳代治監督)がある。 俳優座出身で、テレビ・映画だけでなく、舞台俳優としても現在日本の頂点に立つ俳優である。また、仲代自身、故宮崎恭子夫人とともに劇団無名塾を主宰し、舞台演出や後進の育成に努めている。無名塾からは『影武者』で共演した隆大介や役所広司、益岡徹らを輩出した。無名塾公式サイト イタリア人声優の吹替が拙い↓ 『野獣暁に死す』 自伝に『役者memo―1955-1980 (1980年)』『役者―MEMO 1995‐1980 (道草文庫)』、亡き妻のことなどを綴った著書『遺し書き』がある。 | |||||||||
| エッセイがまた絶品! | ||||||||
高倉健(1931-2014) 日本映画界屈指の大物俳優であり世界のケン・タカクラ!三船敏郎・萬屋錦之助・勝新太郎・石原裕次郎・渥美清と並び、数少ない主役を張れる「映画スター」のひとりだった。 福岡の名家の生まれ。若い頃から福岡駐在のアメリカ人家族との交流があり、そこである程度英会話などを学んだらしい。貿易商を目指し、明治大学商学部に学ぶ。大学時代は相撲部のマネージャーになり、そうとうヤンチャなことをしたらしい。大卒後東映にニューフェイスとして入社。翌1956年には異例の早さで『電光空手打ち』の主役に抜擢され、華々しくデビュー。しかしその後はしばらく低迷し、片岡千恵蔵や美空ひばり主演映画などの多くの小作品に客演した。内田吐夢監督の『宮本武蔵』シリーズ(1963)での佐々木小次郎役、同監督の『飢餓海峡』(1965)に出演、徐々に実力と人気を高めていく。その後路線をヤクザ映画に転じた東映は高倉を『網走番外地』『昭和残侠伝』シリーズなどの主役に据え、これが爆発的な人気を呼び、高倉は東映の屋台骨を支えた。東映を退社しフリーとなってからは佐藤純彌監督の『新幹線大爆破』、森谷司郎監督の『八甲田山』『南極物語』『動乱』など大作映画で主役を演じた。また、山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』、『冬の華』『駅 STATION』『鉄道員(ぽっぽや)』(以上降旗康男監督作)など叙情的な作品でも緻密で重厚な演技を見せ、男女問わず幅広い世代から高い支持を受けている。「不器用ですから」という台詞が彼の代名詞である。 海外作品は 『燃える戦場』1970 『ザ・ヤクザ』1974 『ミスターベースボール』1992 『ブラックレイン』1989。 『鉄道員(ぽっぽや)』1999でモントリオール国際映画祭主演男優賞受賞。 『単騎、千里を走る。』2005 中国の名匠チャン・イーモウ監督作品でも主演。 親しい人には「高倉健」の名を彫った時計をプレゼントするという習慣があり、『ブラックレイン』で競演した松田優作の訃報を海外で聞いた高倉は帰国後松田邸まで出向き、夫人に時計を手渡した。「松田は世界に通用する俳優である」という高倉の想いで、時計は「グリニッジ標準時」に合わされていたという。 僕は昔よく東映の人と飲みに行ったが、彼らはカラオケではたいてい健さんの持ち歌『唐獅子牡丹』を「東映の社歌です」といって歌ってたっけ。歌手としての代表曲は『網走番外地』『唐獅子牡丹』『泣かせるぜ』など。 1998年紫綬褒章受賞、2006年文化功労者、2013年文化勲章受賞。 黒澤明の『乱』に出る予定だったが叶わなかった。出演していれば映画史が変わったかもしれないが。歌手の故江利チエミとは離婚しているが、毎年命日には墓前に花を手向けていたという噂である。 2014年11月、83歳で逝去。 the yakuza もうひとつ。 BLACK RAIN - Deutscher Trailer | 飢餓海峡
↑健さん自身が昔自分の代表作と言ってた。 エッセイ集『あなたに褒められたくて (集英社文庫)』は第13回日本文芸大賞エッセイ賞を受賞した。他に著書『旅の途中で (新潮文庫)』などがある。 伝記他は『俳優・高倉健―その足跡と美学』、『想sou―俳優生活五〇年』など。 |
||||||||
ビートたけし(北野武) 『HANA−BI』でベネチア映画祭金獅子賞(グランプリ!)を受賞した世界のたけし。「コマネチ!」の彼があんな大監督になるとは当時予想もつかなかった。もともとコメディアンの彼が作ったコメディ『みんな〜やってるか〜?』が最も駄作と言われているのが面白い。僕はこの映画結構好きなんだが(と言うと変態と思われる…)。『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督)、『JM』『Tokyo Eyes』(ジャン・ピエール・リモザン監督、武田真治と共演)などに出演。監督作『BROTHER』はジェレミー・トーマスがプロデュース。斬新な演出で話題を呼んだ『座頭市』はシッチェス・カタロニア国際映画祭グランプリ、ベネチア国際映画祭監督賞を受賞。2007年にはベネチア国際映画祭で北野の作品名に因んで新設された「監督・ばんざい!賞」を受賞した。明治大学特別卒業認定者である。俳優としては日本映画では『コミック雑誌なんかいらない』(1986 滝田洋二郎監督 内田裕也共演)、『夜叉』(1985 降旗康男監督 高倉健・田中裕子共演)、『バトル・ロワイアル』(2000 深作欣二監督)、『血と骨』(2004 崔洋一監督)などに出演し、異彩を放つ。 監督としての北野武はこちらへ。 ドラマ化された『たけしくん、ハイ! (新潮文庫)』など自叙伝、ギャグ本、エッセイ、小説、映画論など著書多数。 Johnny Mnemonic trailer オフィス北野公式サイト | |||||||||
| |||||||||
千葉真一(サニー千葉) その昔は体育大学出身の本格アクションスターとして知られた。大ヒットしたTVシリーズ『キイハンター』では信じられないアクションを本人が演じている。(走る列車から飛び下りるとか、空中のロープウエイの屋根の上で殴り合いするとか毎回普通にやっていた!)アクション俳優養成学校・プロダクションのジャパンアクションクラブ(JAC)などを主宰し、真田広之や志穂美悦子の師匠でもある。香港映画の出演は多数でアジア映画界では日本人が想像する以上の大スターである。英語名のサニーはソニーに因んで付けられたらしい。ちょっと情けない。『エイセス アイアン・イーグル2』では零戦のパイロットとして主演。僕は大ファンなのでもっとハリウッドで活躍して欲しい。クエンティン・タランティーノの『キル・ビル』にも出演。『キル・ビル』特集ページ さて、繁田様より新情報。「私が昔(30年ほど前)読んだ本(極真空手の雑誌「現代カラテマガジン」だったと思う・・)には、千葉真一は、(当時の日本では)”千葉ちゃん”という愛称で呼ばれていたので、米国人もそれに倣って、”坊や”を意味する”sonny”を付けて、サニー・チバと呼んでいる。・・・世界企業のソニーと語感が似ており、米国人も覚え易いので、芸名に採用した」と書かれていたとのことでした。僕の記憶違いだったことが分かり、「英語名のサニーはソニーに因んで付けられたらしい。ちょっと情けない」をお詫びして訂正します。(一応残しておきますけど) サニー千葉について以下掲示板に投稿いただきましたので続報として掲載いたします。与太様ありがとうございました。 昼のテレビの再放送で千葉真一さんの影の軍団をやってまして これに加えてヤッホイ様のご意見 千葉真一の話ですが、「坊や」を意味するsonny は、SONY の語源にもなってます。したがって、SONYからサニー千葉になったと言ってもあながち間違いじゃないと思いますよ。 で、どうもサニ千葉エンタプライズという会社はあったみたいなので「サニ千葉」が正しいようですね。でも今さらメンドーなのでこのサイトではサニー千葉で統一します。ちなみに正式な英字表記は「J. J. Sonny Chiba」だそうです。J. J.は所属事務所のジャスティス・ジャパンのことでしょうか?ところで今思い出したのですが、僕が小学生の頃(もう35年くらい前)、近所に『キイハンター』のロケで千葉さんが来たことがあった。家(東京都中野区江古田)のすぐ近くに高い塀の屋敷があったが、そこの塀から飛び降りるというシーンだったそうだ。夜遅くの撮影だったらしく僕は全く知らず、次の日、現場を見た友達からその話を聞いて地団駄踏んでくやしがったものだ。見たかった!その後キイハンターを毎回食い入るように見たのだがそれらしきシーンはなかった。没になったのだろうか? ところでニコンと同じような話。ダットサンはダッツンと発音していた。 | ゴルゴ13 九竜の首 ↑このマンガがまだ連載中というのが凄い。 これは千葉さんのアクション全く無しなのにかっこいい! |
||||||||
石原裕次郎 1934年神戸生まれ。日本では一世を風靡した大スターだがハリウッド作は『素晴らしきヒコーキ野郎』のみ。以後が続かなかったのが惜しい。 慶応大学在学中に兄(作家、元都知事の石原慎太郎)の原作を映画化した『太陽の季節』で端役デビューし、川島雄三監督の大傑作『幕末太陽傳』で高い評価を受け、一躍トップスターとして『錆びたナイフ』(舛田利雄監督)、『赤いハンカチ』(舛田利雄監督)、『太平洋ひとりぼっち』(市川崑監督)、三船と共演した『黒部の太陽』(熊井啓監督)、『戦争と人間 第一部 運命の序曲)』(山本薩夫監督)など日本映画界をリードした。また、テレビ『太陽にほえろ!』『西部警察』などの傑作シリーズでも名演を見せた。また、歌手としても大ヒット曲多数。63年には石原プロを設立、熊井啓監督『黒部の太陽』や上記のテレビドラマ『西部警察』『大都会』などヒット作品をプロデュース。「タフガイ」がニックネームだったが1987年に52歳で死去。 石原プロ公式サイト 参考書は:『あにき―石原裕次郎写真集』、未亡人による『告白の記 逢いたい―夫・石原裕次郎と生きて…』、兄による『弟』、プロデューサーによる『みんな裕ちゃんが好きだった―ターキーと裕次郎と監督たち』、『素顔の石原裕次郎 ここだけの話』など多数。本人による自叙伝は『口伝 我が人生の辞』がある。 | |||||||||
金城武 最初僕は台湾の人だと思っていたのでキン・ジョウブさんと読んでいた。日本人の父、台湾人の母の間に生まれた彼を日本人俳優として扱っていいのかわからないがアジアを代表する映画スターなのは間違いない。『恋する惑星』、『天使の涙』『LOVERS』など、リー・チーガイ、ウォン・カーウァイ、チャン・イーモウ監督などの巨匠作品をはじめ台湾・香港映画出演多数!日本映画『MISTY〜ミスティ〜』『不夜城』でも主演。アクションから歴史劇、恋愛ドラマまで完璧にこなす。日本のテレビドラマにも出ているが、そんなのに出る暇があったらどんどん世界に雄飛して欲しい。 公式サイト 写真集『金城武写真集 Returner MIYAMOTO』『RYU KENICHI―金城武写真集』 参考書は→ | ウォン・カーウァイ監督のリリシズム! | ||||||||
中村敦夫 元:参議院議員! 東京外国語大学中退・ハワイ大学留学という経歴。アジアを中心に国際情勢などに詳しいインテリ俳優である。 『ザ・チャレンジ』1981 ジョン・フランケンハイマー監督作、 『南十字星』1983日豪合作に出演。 『木枯し紋次郎 』のイメージは今なお強いが、脚本家・作家としても活躍。政治手腕も期待したい。 自伝『俳優人生―振り返る日々』にフランケンハイマー監督の話などあり、これがまた面白い。 公式サイト 小説『チェンマイの首』や、社会問題などの評論集『ドブねずみを撃て!』『国会物語―たったひとりの正規軍』『時よ、怒れ!』などがある。 | 最後のサムライ ザ・チャレンジ | ||||||||
渡辺謙 (1959-)新潟生まれ。劇団円を経て篠田正浩監督の『瀬戸内少年野球団』(1984)で映画デビュー。伊丹十三監督『タンポポ』(1985)、熊井啓監督の『海と毒薬』(1986 ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)で注目を集め、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987)の主役伊達正宗を演じ国民的俳優となる。1987年角川の大作映画『天と地と』の主役に抜擢されるが急性白血病を発症し、降板。長い闘病生活を送り、1年後見事カムバックした。2003年、『ラストサムライ』でアカデミ−助演男優ノミネート。これはマコ・イワマツ以来の快挙。『バットマン ビギンズ』、『SAYURIさゆり』などへの出演の布石となった。2006年、クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』 に栗林忠道役で主演。)。2005年には米TIME誌の表紙にグラビアが掲載。また、米ピープル誌が企画する「最もセクシーな外国人男性」に選出されたりするなど、現在米国における知名度が最も高い日本人俳優の一人である。 2006年には『明日の記憶』を自らプロデュースして出演した。意外なことに映画主演はこの作品が最初である。 今後の出演作は『上海 Shanghai』(10年米公開、ミカエル・ハフストローム監督、ジョン・キューザック、チョウ・ユンファ、菊地凛子、コン・リーが共演)、作品の舞台は真珠湾攻撃が行われた1941年12月7日(米時間)から4カ月前の日本の占領下にある上海。ジャーナリスト役のキューザックが殺された友人の死のなぞを追ううちにリー演じる中国人女性と恋に落ち、やがてアメリカの陰謀に気付くというサスペンス映画。この他ダレンシャンシリーズの『シルク・ド・フリークCirque de Freak』のミスタートール役、この作品は、児童書のベストセラー『ダレン・シャン』シリーズ(全12巻)の第1作「奇妙なサーカス」の映画化。監督は『アバウト・ア・ボーイ』のポール・ワイツ、脚色は『ミスティック・リバー』のブライアン・ヘルゲランド。渡辺謙が演じるのは、タイトルにもなっているシルク・ド・フリーク(奇妙なサーカス団)のオーナー、ミスター・トール。親友の命を守るため半ヴァンパイアになる14歳の少年の運命を描く物語。渡辺にとっては、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』以来の米メジャー系作品となる。 あのダレン・シャンとは大期待ですね!でもミスタートールは「背が高い」という役なのに日本人?ダレン氏は来日した際に『ダレン・シャン イン ジャパン』という日本についての本も書いている。『インセプション Inception』(クリストファー・ノーラン監督、レオナルド・ディカプリオ主演、トム・ベレンジャー、マイケル・ケイン共演)に出演。これはSFサスペンス・アクションで、渡辺が演じるのはレオふんする主人公を脅迫する男。渡辺がハリウッド映画で悪役を演じるのはノーラン監督の映画『バットマン ビギンズ』に続いて2度目となる。マリオン・コティヤールがその妻役、エレン・ペイジがレオの助手になる大学院生役を演じる。キリアン・マーフィ、トム・ハーディ、マイケル・ケインも出演。 2010年には米中合作『シャンハイ』に出演。 今後も活躍を期待します!キンさん! the last samurai trailer 所属事務所の公式サイト 自伝・エッセイ:『誰?-WHO AM I?』 | 彼はこうゆう悪役の方が活躍の場が広がりそうだと思うけどな↓ |
||||||||
真田広之 『ラストサムライ』、 チェン・カイコー監督の『PROMISE』 ジェームズ・アイボリー監督の『上海の伯爵夫人』 次はダニー・ボイル監督の『サンシャイン2057 Sunshine』2006年 2009年『最終目的地 The City Of Your Final Destination』 英 ジェームズ・アイボリー監督、アンソニー・ホプキンス主演 チェン・カイコー監督の『PROMISE』 『ラッシュアワー3』(工藤夕貴も出演) 『マッハGoGoGo』のリメイク作『スピード・レーサー』などに出演。 日本での実力はもちろん折り紙付きだが、ここ数年で、本当に国際的に活躍する俳優になった! 遅すぎたくらい。まだまだ彼はこんなもんじゃない。 元は子役として活躍していたので芸暦は40年に及ぶことはあまり知られていない。千葉真一主催のJACに入って本格的な俳優活動を始める。芸名も千葉に付けてもらった。だから素晴らしい身体能力でアクションも何でもこなすので、若い頃は『宇宙からのメッセージ』『里見八犬伝』などの娯楽映画が多かったが、和田誠監督の『麻雀放浪記』あたりから『道頓堀川』『火宅の人』『リング』『たそがれ清兵衛』など演技派として素晴らしい演技を見せるようになった。舞台では蜷川幸雄、三谷幸喜演出作に出演。実力・人気とも現在の日本を代表する俳優と言える。 外国映画への出演も順調に続き、『ウルヴァリン: SAMURAI The Wolverine』(2013年、米豪)、『47RONIN』(2013年、米)、『レイルウェイ 運命の旅路 The Railway Man』(2013年、豪英)と、もはや師サニー千葉を越えた「日本人を代表する大スター」になった。 『ラッシュアワー3』 | 『ロォム―真田広之写真集』 |
||||||||
ショー・コスギ(小杉正一) 1948〜 高校卒業後120ドルだけを手に渡米。アルバイトで学費を稼ぎながらカリフォルニア州立大学を卒業。空手でアメリカ修行。663個のトロフィーを得る。8年に渡るエキストラ生活の中で『がんばれ!ベアーズ』『ゴッドファーザー PART II』などに出てたそうだ。『燃えよニンジャ』『ニンジャ2修羅の章』で一躍スターに。『Prayer For Death』1985で日本人初の100万ドルスターになる。若い人にはケイン・コスギのお父さんといったほうが分かりやすい?ハリウッドの3エーカーの”ニンジャ御殿”には、嫌がらせで生の魚が投げ込まれたことがあったそうだ。最近は空手&俳優学校ショー・コスギ塾を主宰してがんばっている。『ニンジャ転生ノ章』、『復讐遊戯』、『デス・オブ・ザ・ニンジャ』、製作・主演の『兜』、NHKの大河ドラマ『琉球の風』1993など。公式サイト ニンジャ映画については、大充実のサイト『ニンジャ映画の世界』へGO!
| ショー・コスギのニンジャ式人生必勝法―ハリウッド100万ドルスターが贈る夢を実現する人生飛躍の忍法 メイク・ドリームズ・カム・トゥルー |
||||||||
原田芳雄(1940-) 俳優座出身。芸能界きっての鉄道オタクとして知られる。 一時の彼はマイケル・ケイン並みに映画に出まくっていた。学生の自主製作映画まで顔を出していた。でもついにハリウッドからお呼びがかかったのだ!万歳!という訳で『ハンテッド』。 ジミ−様より以下の情報いただきました。 『シンガポールスリング』 ありがとうございました。調べましたところ、バンダイが作った日本製Vシネマの1本でした。歌手の徳永英明原案だそうで、オールオーストラリアロケが売り物でした。監督はこの手の映画の神様といえる若松孝二で、デビッド・ハドソンとレイフ・チャールトンという正体不明の俳優が出演していました。他にマンデーミチルこと秋吉満ちるが主演でした。右アマゾンでは「内容(「VIDEO INSIDER JAPAN」データベースより)総製作費6億円、大ヒットとなった劇場公開作。豪ロケ敢行、不可能を可能にした壮絶アクション作。」ということでした。あちゃあ〜やっちゃった!というわけで外国映画としてこれは扱えないのでこの位にしときます。プロデューサーのひとりは昔お世話になった人だし。見てないし。 | シンガポール・スリング 著書:『B級パラダイス―原田芳雄エッセイ集』 |
||||||||
藤岡弘、 余談だが僕が前勤めていた会社(TV・映画関係の会社)でエレベーターで一緒になったことがある。その時は「あっ仮面ライダーだ!」と思ったが、今考えると国際スターに対して失礼だったなあ。『SFソ−ドキル』はチョ−面白かったし、全編「ファイト〜一発!」みたいな山登り映画『K-2ハロルドとテイラー』1991も結構面白かった。徹子の部屋かなんかのトーク番組で、アメリカの俳優ユニオンに加盟したら待遇が信じられないくらい良くなったみたいなことをおっしゃっていた。がんばって欲しい。せがた三四郎(だっけ?)もいいけれど。『香港・東京特捜刑事』、『愛について東京』19921988(西脇美智子共演)、『ショーグン・コップ』1999、『さくや 妖怪伝』、『Angels』2000などにも出演。 俳優藤岡弘は正式な芸名は「藤岡弘、」だそうだ。読点がつくのは「流されないで立ち止まって自分を見つめる、という覚悟と『いまだ完成せず』の意味も込めて」だそうだ。実は10年も前につけていたそうで「モーニング娘。」に対抗したわけではないとのこと。というわけでこのサイトでも変更しました。日本映画では | 濃いです。 K2 愛と友情のザイル |
||||||||
坂本龍一 本業は音楽家だが(だと思うのだが。音楽家としての彼はこちら)、『戦場のメリークリスマス』ではデビッド・ボウイと特別な関係となる将校役、『ラスト・エンペラー』でも立派に俳優業をこなしている(音楽はアカデミー賞受賞)。『New Rose Hotel』1998にも出演。『戦場のメリークリスマス』の音楽は英国アカデミー賞作曲賞を受賞。 その他手がけた海外の映画音楽は 『シェルタリング・スカイ』1990(ゴールデン・グローブ賞作曲賞、LA映画批評家協会賞作曲賞受賞) ペドロ・アルモドバル監督のスペイン映画『ハイヒール』1991(スペイン・アカデミー賞の作曲賞受賞) 『嵐が丘』1992、 『リトル・ブッダ』1993、(グラミー賞映画音楽賞ノミネート) 『スネーク・アイズ』1998、 『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』など。 Merry Christmas Mr. Lawrence trailer 『音楽ライターが、書けなかった話』という本によれば、坂本は音楽も担当するという条件で『戦メリ』に出演したそうだ。自分の演技力を音楽で少しでも補おうという意図があったらしい。さすが、非常に賢い選択である。因みに最初この役は沢田研二が予定されていた。 | |||||||||
ガッツ石松 元WBC世界ライト級チャンピオン。僕の高校生の頃、うちの隣の隣に引っ越して来た。まだ現役のチャンピオンで、家の駐車場には真ッ黄色のフェラーリだかのスーパーカーがあった。ある夜、彼は自宅が目の前なのに(東京都中野区の住宅街だぞ!)立ち小便をしていた。通りがかった僕と眼が合い、照れくさそうに「よっ!」と声をかけてくれた。そんな彼も今やハリウッドスターの仲間入りか…。『太陽の帝国』『ブラックレイン』に出演。日本映画では三國連太郎監督の『親鸞 白い道』(1987)、伊丹十三監督の『ミンボーの女』(1992)、ニキータ・ミハルコフと共演した『オーロラの下で』(後藤俊夫監督)や人気テレビドラマ『北の国から』シリーズの成田新吉役などで強烈な印象を残している。公式サイト Empire of the Sun, 1987 - Suo Gan 著書に右『人生はOK牧場! 』の他、『神様ありがとう俺の人生 (新装版)』、「太陽が昇るのは右からだろ」などさまざまなギャグのネタをまとめた『最驚!ガッツ伝説』などもある。 『ブラック・レイン』で全米映画俳優協会最優秀外国人俳優賞を受賞し、授賞式で英語でスピーチした云々という記事がネット上で見られるが、そんな賞は無いようなので何故そんな話が出たのか不明。 | |||||||||
内田裕也 言わずと知れた日本を代表するロック・ミュージシャンで親分的存在。本人曰く「俺はプレスリーとチャック・ベリーに犯されたという感じで音楽の世界に入った」そうで、高校時代から神戸のジャズ喫茶でボーカルとして活躍。ロカビリーの人気絶頂期の1960年に日劇ウェスタンカーニバルでデビュー。フランク・ザッパ日本公演や小野洋子が出演した伝説の『郡山ワンステップ・フェスティバル』、ジェフ・ベック(BBA)出演のワールドロックフェスのプロデュースなど歴史に残る業績が多数!映画との関わりあいも深く古い。恩地日出夫監督『素晴らしき悪女』1963年に出演以来、 『不連続殺人事件』 『水のないプール』 『十階のモスキート』 『戦場のメリークリスマス』 『ブラックレイン』などに出演。 『コミック雑誌なんかいらない!』以降製作や脚本業にも乗り出している。80年代半ばに僕は何の映画だったか全く思い出せないのだが仕事でにっかつの試写室で一緒に映画を観たことがある。恐くて口もきけませんでしたが。公式サイト 夜空の星 Yozora no Hoshi Wakadaisho 参考書:『その映画に墓はない―松田優作、金子正次、内田裕也、そして北野武』 | ワンステップ・フェスティバル1974 ビートルズ来日公演では前座を務めた↓ 最新の自伝↓ 裕也さんのヌード満載の↓ 上2冊はヤバイ話が満載! |
||||||||
若山富三郎(城健三朗) 『座頭市千両首』などで弟勝新太郎と共演(敵役で対決するのだ。ラストの落馬シーンは必見!)したこともある。身の軽さは弟以上で危険な立ち回りも吹き替え無しで演じた。『がんばれベアーズ!日本上陸』では少年日本チームのコーチ役で見事にトンボを切ってみせるシーンがある!黒田節も歌う。 『ブラック・レイン』ではド迫力のヤクザの親分役を好演。かっこいい! 主演した映画『子連れ狼』シリーズは『ショーグン・アサシン』として海外でも人気を呼んだ。残酷シーンはタランティーノも『キル・ビル』で引用している。 以下MINORU様の情報です。 ブラック・レインでの流暢な英語は吹き替えであると聞いたことがあります。確か『007は二度死ぬ』の丹波哲郎も吹き替えだったハズです。 真偽は不明ですが、吹替えだとしたら結構巧みにやってますね。でも何だかがっかりですねえ。 | |||||||||
勝新太郎 日本映画史に残る名優。特に『座頭市』シリーズは東南アジア中心に大人気で、大きな影響を与えていた。黒澤明の『影武者』の主役交代はあまりにも残念だ。世界映画史に残る名演が期待できたのに。『ハンテッド』の監督J・F・ロートンは座頭市をはじめとする時代劇マニアだそうだ。そういえば勝新じゃないが『ハンテッド』の中では『眠狂四郎』の一部が使われていた。上に書いた若山富三郎の弟。長唄三味線の名手杵屋勝東治の息子であり、兄弟ともに三味線・唄が堪能。妻は中村玉緒だが、玉緒は歌舞伎の名門の出(二世中村鴈治郎の娘)なので、歌舞伎の伴奏方である杵屋一門と結婚するということは相当周りの人々には抵抗があったらしい。(伝統を重んじる業界だから仕方がないが今はそれほどでもない) ジミー・ウォングが出演した『新座頭市 破れ! 唐人剣』↓ Zatoichi Meets the One Armed Swordsman trailer | 『座頭市千両首』では、兄弟対決のスタントマンなしアクション! 自伝『俺 勝新太郎―人生は回るフィルムのように (広済堂文庫―ヒューマンセレクト)』 評伝『勝新太郎 (別冊太陽)』、 『天才 勝新太郎 (文春新書)』など参考書は多数。 |
||||||||
時任三郎 香港映画多数出演。 おせっかい様より投稿いただきました。 松田優作の件とまとめて投稿しようと思ったのですが、ついうっかり時任三郎のことを書き忘れてしまいまして…。 時任三郎は『スパイ・ゲーム』の前年に同じツイ・ハークの監督作品『アゲイン 明日への誓い 男たちの挽歌III』(原題『英雄本色3夕陽之歌』)にも出ています。男たちの挽歌シリーズの3作目で、マーク(チョウ・ユンファ)の過去を描いたストーリーです。 ありがとうございました。もっと活躍して欲しい俳優ですね!芸名を「とき・にんざぶろう」と読んだ話を聞き、三谷幸喜が『警部補 古畑任三郎』シリーズのモチーフにしたのは有名。 撮影現場↓ 英雄本色III 夕陽之歌 越南拍攝花絮 公式サイト 著書にエッセイ『0の真ん中』、『時任三郎・ノンモン (大型本)』がある。 | アゲイン 明日への誓い 男たちの挽歌III | ||||||||
倉田保昭 中国・香港・台湾映画出演多数!日本劇場公開とビデオ発売の無いものについては(日本未公開)としました。 1971年 『悪客』 共演:デビッド・チャン、ティ・ロン(日本未公開) 『女ドラゴン!血闘の館』 『小拳王』(日本未公開) 1972年 『武道大連合 復讐のドラゴン』 『用心棒ドラゴン』 『麒麟掌』 共演:ブルース・リー。ブルース・リーに「ヌンチャク」を教えたという噂があった。 『四騎士』(日本未公開) 『餓虎狂龍』(日本未公開) 『猛虎下山』(日本未公開) 『黒色家変』 共演:ブルース・リィ 『ドラゴン対不死身の妖婆』共演:ジミー・ウォングと共演(日本未公開) 1973年 『用心棒ドラゴン』 『帰ってきたドラゴン』共演:ブルース・リャンと共演 『女ドラゴン 血闘の館』 『起盡殺絶』(日本未公開) 『死對頭』(日本未公開) 『両虎悪門』(日本未公開) 『七對一』(日本未公開) 『飛虎小霜王』(日本未公開) 『黒豹』(日本未公開) 『強中手』(日本未公開) 『上海猛虎』(日本未公開) 『虎拳』(日本未公開) 『狼対狼』(日本未公開) 1974年 『大小遊龍』(日本未公開) 『神拳飛龍』(日本未公開) 『無敵のゴッドファーザー ドラゴン世界を征く』共演:ブルース・リャン 1975年 『金三角龍虎門』(日本未公開) 『少林寺対忍者』 『撈家撈女撈上』(日本未公開) 『鳳舞雲天』(日本未公開) 『少林寺マスター』 1976年 『激突!少林拳対忍者』(日本未公開) 1978年 『懲罰』(日本未公開) 『激突!少林寺vs忍者』共演:リュウ・チャーフィ 『少林寺必殺舞扇拳』 1979年 『少林寺VS忍者』(日本未公開) 1980年 『愛的死』(日本未公開) 『上海灘大』(日本未公開) 『激突! キング・オブ・カンフー』共演:サイモン・ユエンJr 『忍者外伝』 『忍者之故事』 『レディー忍者2』 『ネイツォン』(日本未公開) 『地獄の忍者軍団 クノイチ部隊』 1981年 『レディ・ニンジャ2/夜霧の忍び凧』 『忍者外伝・倭冠掃蕩作戦』 1982年 『悪漢探偵2』共演:サミュエル・ホイ他 これは傑作!僕が当時ビデオ発売を担当しました。今をときめく『インファナル・アフェア』シリーズのサム役、エリック・ツァンが監督! 『激突!キング・オブ・カンフー』 1983年 『神出鬼没』(日本未公開) 『ニンジャ・サンダーボルト/裏切りと復讐の暗殺軍団』 1984年 『黒攻魂』(日本未公開) 1985年 『七福星』 共演:ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ 『MISHIMA:A Life in Four Chapters』米(日本未公開) 『冒険活劇/上海エクスプレス』 『悪漢列伝』 1986年 『セブンス・カース』 共演:チョウ・ユンファ 1987年 『イースタン・コンドル』 共演:サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ 1991年 『極道追踪』 共演:アンディ・ラウ、チェリー・チャン 1994年 『フィスト・オブ・レジェンド 怒りの鉄拳』 共演:ジェット・リー 2000年 『中華賭侠』 『暗門』(日本未公開) 2001年 『クローサー』 2002年 『Samurai』仏 2003年 『風雲! 格闘王』 ほとんどが悪役日本人役だが、見事な空手やカンフーアクションを見せてくれる。もっと日本人が知るべき「国際派俳優」であります! 著書に『和製ドラゴン放浪記 』 Jet Li's Jeet Kune Do vs. Karate 公式サイト http://www.kurata-pro.com/ |
倉田保昭 七福星 極道追踪 |
||||||||
岡田英次 フランス映画の傑作『二十四時間の情事』に出演。ほとんど二人だけの出演という映画だが、フランス語の台詞をこなしていた。また『侵略』ではマーロン・ブランドと堂々の共演。これは英語の長い台詞の応酬があった。その他は『ザ・ヤクザ』の高倉健と敵対する親分東野役など。 日本映画だが、主演した勅使河原宏監督の『砂の女』はカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞した。 安部公房原作・勅使河原宏監督とのコンビでは『他人の顔』(1966)もある。 その他日本映画では 今井正監督作への出演は多く、ガラス窓越しのキスシーンが有名で、出世作となった『また逢う日まで』(1950)、や『ひめゆりの塔』(1953)がある。 また、 山本薩夫監督とは『真空地帯』 (1952)、『皇帝のいない八月』(1978)など、篠田正浩監督とは『暗殺』(1964)、『沈黙 SILENCE』 (1971)など、 また、蔵原惟繕監督とは大ヒット作『キタキツネ物語』 (1978 ナレーション)、『南極物語』(1983)がある。この他の代表作に 『雲ながるる果てに』(1953 家城巳代治) 『黒部の太陽』(1968 熊井啓) 『修羅雪姫』(1973 藤田敏八) 『大地の子守歌』(1976 増村保造) 『青春の門 自立篇』(1977 浦山桐郎)など多数。 数々のテレビドラマでも名脇役として大活躍した。 Hiroshima mon Amour part1 二十四時間の情事(この動画は年齢認証が必要です) | 日本映画屈指の傑作↓砂の女 特別版 |
||||||||
山村聰(聡) 重厚な役、威厳ある父親役として活躍した。東大出のインテリで、監督としても『黒い潮』(この時の助監督は鈴木清順、今村昌平、浦山桐郎、鍛冶昇!)など社会派ドラマを得意とした才人だった。ハリウッド映画では『忘れえぬ慕情』、『黒船』の下田奉行、『トラ!トラ!トラ!』の山本五十六役、『ガンホー!』の自動車会社のオーナー役など。2000年、90才で亡くなった。 溝口健二、小津安二郎の両巨頭に重用され、溝口健二監督作品では『女優須磨子の恋』(1947)、『武蔵野夫人』(1951)、『楊貴妃』(1955)など、小津安二郎監督作品では『宗方姉妹』(1950)『東京物語』(1953)、『早春』(1956)、『東京暮色』(1957)に出演。その他も日本映画界の巨匠作に多数出演した。代表的な作品に成瀬巳喜男の『めし』(1951)、『山の音』(1954)、市川崑の『足にさわった女』(1952)、『穴』(1957)、今井正の『にごりえ』(1953)、『真昼の暗黒』(1956)、小林正樹の『人間の條件』(1959)、川島雄三の『あした来る人』(1955)、『女は二度生まれる』(1961)、吉田喜重の『秋津温泉』(1962)、山本薩夫の『傷だらけの山河』(1964)、篠田正浩の『美しさと哀しみと』(1965)など。 自伝・エッセイに『迷走千里―年々歳々今を尊く生きる 』がある。 Gung Ho Clip | |||||||||
ケリー・ヒロユキ・タガワ(田川洋行 1950-) 日系人俳優。東京都東麻布生まれ。父親は米軍に勤務する日系二世、母親は宝塚出身の女優。5歳でアメリカに移住してアメリカ国籍を持っている。高校生の時から演劇に興味を持ち、南カリフォルニア大学で学び、早稲田大学に1年間留学。今や超売れっ子といえるが、中国人など東洋人役ならなんでも演じる。『ライジング・サン』『リトル・ト−キョ−殺人課』など凶悪犯役(実際恐い顔してる)が多い。他に『ヒマラヤ杉に降る雪』『ピクチャー・ブライド』、『CAMP NINJA』『JOHNNY TUNAMI』、『パールハーバー』、ティム・バ−トン版『猿の惑星』。TVでも活躍し、ドン・ジョンソン主演の『刑事ナッシュ』ではシマムラ警部補役でレギュラー出演している。ウィキペディアによると「あるロシア人の通訳だと偽って、取引相手の”ナゴヤ・ヤクザ・ガイ”「トシキ・エンドウ」に近づき、「エンドウさんですか?私シマダと申します。セトラキュアンの通訳です。」と直接日本語で話し掛けた事もあった。」 そうです。意味不明だが。 バ−トン版『猿の惑星』の公開時にはキャンペーンで来日し、バラエティ番組(確か『笑っていいとも!』だったと思うが)に猿の着ぐるみを着て出演していた。素顔は恐そうな顔をしているのに目はとても優しくて、かわいかった。日本語は全然ダメなのかと思ったら結構流暢に話していた! ↓『リトルトーキョー殺人課』だがこれも凄いぞ。一般市民が集まるお祭りのど真ん中でチャンバラ。タガワの最期はこれまた。第一こういう花火は日本では見かけませんよね?? Showdown in Little Tokyo : final sword fight | |||||||||
松田優作 人気刑事ドラマ『太陽にほえろ! 』のジーパン刑事役として本格デビュー。殉職シーンで「何じゃこりゃあ!」という台詞がファンの間で伝説となった。長身を活かしたアクション俳優として『最も危険な遊戯』や『蘇える金狼』のような映画で非常に人気が高かったが、『家族ゲーム』で見せた独特のユーモアセンスや『それから』のように繊細な演技も抜群に素晴らしく、本当にこれから真に華が開くと思われた俳優だった。特に『ブラックレイン』での迫力ある演技。もしかしたら早川・三船・マコに並ぶ国際スターになるのではと思った。普通、アメリカ映画に出た日本人俳優(正確にはハーフだが)はどこか違和感があるものだが、彼にはそれがあまり感じられなかったからだ。彼は若い頃デビュー前にアメリカの大学に通っていた。それが多少、生地になっていたのかもしれない。1988年、『ブラックレイン』のオーディションを受け、300人の日本人俳優の中から選ばれた。この時、膀胱癌であることを周囲に隠して撮影に臨んでいた。1989年40歳で死去。 おせっかい様からの投稿 日本人スターの中の松田優作に関する記述で、デビュー前にアメリカの大学に通っていた、 とありますが、正確には大学の附属高校です。 優作は1968年に日本の高校を中退してサンフランシスコの叔母を頼って渡米。シーサイド大学付属高校に留学するも挫折して帰国、翌69年に豊島高校夜間部を卒業、70年に関東学院大学英文科に入学しています。 それと蛇足ですが、優作は主演映画『ひとごろし』(1976年)で、臆病な武士の役も好演しています。上意討ちを命じられ、剣豪(丹波哲郎演)をせこせこと追いまわし、ユニークな作戦で追い詰めていきます。ある意味では、リアルな時代劇です。 ありがとうございました。実際はどのくらいの英語力があったかわかりませんが、『人間の証明』でも分かるように長身で見栄えするし、演技力は確かだったのでもっと早い段階でハリウッドに進出していたらと思いました。『ブラックレイン』の後、ハリウッドからはショーン・コネリーが監督を務めロバート・デ・ニーロと共演する作品のオファーが来ていたらしいです。山本周五郎原作の『ひとごろし』は僕も大好きな映画でした。彼が出演を断ったのは和田誠監督の『麻雀放浪記』の鹿賀丈史がやった役(この時は映画プロデューサーを殴ってやめたという業界では有名な伝説があります)、伊丹十三監督の『お葬式』で江戸家猫八が演じた葬儀屋の役がある。『太陽にほえろ! 』も良いが、彼の映画で僕が好きなのは上に挙げたもの以外に『最も危険な遊戯』『野獣死すべし』、鈴木清順の『陽炎座』、監督もした意欲作『ア・ホーマンス』。二人の息子松田龍平、翔太の活躍にも期待したいですね。 参考書は→ | 演技の妙の面白さだけでなく、常識を撃ち破ったカメラワーク、音楽を一切使用しないなど実験的な試みが数々あった。 伝記としては、 『完全なる飼育』の作家で最初の奥さんの松田美智子の書いた『越境者松田優作』、 未亡人になった松田美由紀の『松田優作全集』、 本人の語録をまとめた『松田優作、語る』、 ドキュメンタリー作家・大下英治の『蘇える松田優作』、 劇画『松田優作物語―ふりかえればアイツがいた! (01)』などがある。 |
||||||||
笠智衆 日本映画界の至宝ともいえる大名優。 お寺のうちに生まれ、「りゅうちしゅう」と読む日本人でも変わった名前は本名。1925年(大正14年)に松竹キネマ蒲田撮影所の第一期研究生となり、端役で数多くの映画に出演。運命を変えたのは32歳で老け役を演じた小津安二郎監督『一人息子』(1936年)で、以後『父ありき』から『秋刀魚の味』まで小津映画には欠かせない、穏やかで淡々とした父親役・老人役が当たり役となった。 小津の『東京物語』が最高傑作とされるが、小津以外にも 木下恵介監督の『二十四の瞳』、『カルメン故郷に帰る』、『野菊の如き君なりき』 稲垣浩監督の『無法松の一生(三船敏郎版)』 黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』、『赤ひげ』、『夢』 岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』、『肉弾』 山田洋次監督『家族』、『故郷』 野村芳太郎監督『砂の器』 などなど国際的な映画賞を受賞した作品や日本映画の巨匠たちに採用され、庶民から将軍まで演じた。 『男はつらいよ』シリーズでは第一作からずっと御前様役で人気を博した。 (この件でのエピソードはこちらの日記で) 海外でも彼の知名度は非常に高く、ヴィム・ヴェンダース監督『東京画』、『夢の涯てまでも』に出演している。 黒澤明がアカデミー名誉賞を受賞した時は、衛星中継で「黒澤さん、コングラチュレーション!」とお祝いを述べ、会場を大いに沸かしている。1993年、88歳で死去。 自伝俳優になろうか―「私の履歴書」 A scene from Tokyo Story (1953) | 日本が真に世界に誇れる文化遺産。 ↑彼が日本人にとって「あこがれの老人」ということ。 |
||||||||
ジョージ・タケイ 日系人俳優としてはチャイニーズ・シアター前に手型を残す数少ない3人のうちのひとり。TVシリーズ『宇宙大作戦スタートレック』のレギュラーキャラクター、スールー役でおなじみ。スールーの吹き替えは故富山敬(ちびまる子のおじいちゃんの声もやっていた)だった。関係ないか。 1938年ロス生まれ。戦中は日系人収容キャンプで暮らした。UCLA在学中『北海の果て』で映画デビュー。『スタートレック』の映画化作品の他、主な出演映画は以下の通り。 『魚雷艇109』1963 『LIVING BY THE FIST』1993 シリオ・h・サンチャゴ監督 TVシリーズ『Treasure of the Twilight Zone Series』1959〜64 『歩け走るな!』1966 『アンボンで何が裁かれたか』1990 『Prisoner of the Sun』1991豪 『戦場にかける橋2』 TVシリーズ『ヒーローズ』2006〜2010 『ニンジャ★チアリーダー』2008など。 George Takei video music remix 公式サイト(英語) | 星に向かって―ジョージ・タケイ自叙伝 |
||||||||
ゲディ・ワタナベ 『ガン・ホー』の主役。TVシリーズにもなったが、同じ役で主演している。『グレムリン2/新・種・誕・生』1990、『Psycho Sushi』 1997、『エドTV』1999、、TVシリーズ『ER』などに出演する。ディズニーアニメ『ムーラン』1998には声のみ出演。このアニメの声優は日系人多数で、パット・モリタ、ジェームズ繁田、ジョージ・タケイも出ている。中国が舞台なのにねえ。 Classic Sesame Street - Hiroshi paints Oscar | |||||||||
薩摩剣八郎(元の芸名は中山剣吾) 『ゴジラ』俳優として有名。元は日活の大部屋俳優→三船プロの時代劇の斬られ役などのアクションやスタントを担当。1971年『ゴジラ対へドラ』でヘドラのスーツアクターを務めた時に好評を得、その後は中島春雄に次ぐ“2代目ゴジラ役者”となった。1985年、北朝鮮映画『大怪獣プルガサリ』でプルガサリの中に入って演じた。エッセー『ゴジラが見た北朝鮮―金正日映画に主演した怪獣役者の世にも不思議な体験記』に詳しい。(特撮は中野昭慶) 公式サイト Pulgasari 笑ってはいけない。かなりマジで作っている! |
その他著書に『ゴジラのなかみ (ちくまプリマーブックス)』、『ゴジラついに大往生』、『俺は俳優だ―着グルミ役者と呼ばれて30年』がある。 |
||||||||
橋本力 『ドラゴン怒りの鉄拳』でブルース・リーと敵対する日本人武術家を熱演。大映で数々の名作時代劇で鍛えた殺陣の技を披露している。因みに『大魔神』(元マリナーズ佐々木じゃないぞ)の中身(繰演)もこの人だ! 以下李白龍様からの投稿です。橋本力のスタントがジャッキーなんて初耳でした!ありがとうございました。 DATE: 12月17日(水)21時14分51秒 蹴り殺される悪い日本人を演じたのは「大魔神」の中身の人で、そのスタントをしたのは。ジャッキー・チェンでした。 さらにジミ−様からの情報。このサイトは一応お断りしていますが、残念ながらアジア映画は別件にしているので、超有名作品しか掲載していません。でも『ドラゴン怒りの鉄拳』はこのページにありましたよ! DATE: 12月13日(土)15時44分8秒 アの有名なドラゴン怒りの鉄拳がな〜い!。悪い日本人は、鈴木(宗男かは不明)さん、田中(真紀子かは不明)さんなどのベタな名前で呼ばれていた。 | |||||||||
香川照之 2000年カンヌ映画祭審査員特別大賞(グランプリ)作の中国映画『鬼が来た!』に、日本兵役で主演。2004年、中国映画『故郷(ふるさと)の香り』に準主演、東京国際映画祭男優賞を受賞。 東大出で父市川猿之助、母浜木綿子で、デビュー当時は七光り的な感じがしたが、今やそんな声は全く聞かれないくらい実力のある俳優になった。僕も大好きな俳優で、アジア映画だけでなくもっともっと世界に雄飛してほしいね!キネ旬の連載も面白く、『日本魅録』としてまとめられて出版されている。 鬼子来了 | 鬼が来た! | ||||||||
澤田謙也 『ストリートファイター』(主演:ジャン・クロード・ヴァンダム)キャプテン・サワダ役、『デッド・ヒート』1996(主演:ジャッキー・チェン)密売組織のボス黒澤役、『野獣の瞳』1997(制作:ジョン・ウー 主演:アーロン・クォック)キックボクシングチャンピオン山田役、『ホーク B計画』2000(監督:ブルース・ロー)主演 鷹見刑事役、『カラー・オブ・ペイン 野狼』2001年 主演:龍也役 共演:サム・リー テレンス・イン 後藤理紗、『鬼が来た!』 2000年カンヌ国際映画グランプリ(監督・主演:姜文)などに出演。 | デッド・ヒート | ||||||||
ナインティナインの岡村隆史 香港映画『無問題(マオマンタイ)』『無問題2』に出演。サモ・ハン・キンポーやユン・ピョウと共演した。 | 無問題(モウマンタイ) | ||||||||
ジェームズ繁田 1933ハワイ生まれ。ニューヨーク大学に入学したが、ひょんな事からナイトクラブで歌うようになる。52年に朝鮮戦争に従軍。除隊後はLAのクラブに出演するミュージカルスターだった。やがてTVにも出るように。『クリムゾン・キモノ』で映画デビュー。TVシリーズへの出演を続けながら『フラワー・ドラム・ソング』(ロジャース&ハマースタインの東洋風ミュージカル!)、『太陽にかける橋』『ミッドウエイ』、『ザ・ヤクザ』など。一時期業界から遠ざかったが、88年の『ダイ・ハード』で日系企業の社長を演じて再び脚光を浴びた。最近ではアニメ『ムーラン(声のみ出演)』、北野武監督の『BROTHER』で会計士に扮して顔を出している。中国人役も多いが、マコと並ぶ日本人俳優の代表格である。 僕はこの映画スターが元歌手だったなんて知らなかった!『ハワイアン・パラダイス』ではエルビス・プレスリーと共演している。また、57年・58年と2年連続で紅白歌合戦に出場している(最初は『魅惑のワルツ』、2年目は『ヴォラーレ』というスタンダード・ナンバーを歌っている)!それとも同姓同名の人なのでしょうか?? | |||||||||
ヨシ笈田 『ピーター・グリーンナウェイの枕草子』『WASABI』ほかに日本映画『あつもの』などに出演。パリ在住。文学座と劇団四季を経て1968年渡仏。後、英国を代表する演出家ピーター・ブルック率いるCIRTのメンバーとなり俳優として活躍。現在は演出家としても世界的に知られる日本人の一人。 | ピーター・グリーナウェイの枕草子【字幕版】 | ||||||||
永瀬正敏 さなこさんより『コールド・フィーバー』に出演しているとの情報をいただきました。しげさんからは『スリー・ビジネスマン』『フラート』に出ていると情報いただきました。ありがとうございました。調べたら結構彼は国際派俳優だったのですね!以下は外国映画出演歴です。(『ミステリー・トレイン』以外は後で詳細をアップします!) 『ミステリー・トレイン』1989、『コールド・フィーバー』1995 F.T.フリドリクソン監督・リリー・タイラー共演『フラート』1997、ハル・ハートリー監督ビル・セイジ共演、『スリー・ビジネスメン』1998監督・出演アレックス・コックス(田口トモロヲも出演)、圧巻なのは日本との合作だが天童荒太ら原案の『アジアン・ビート』1991〜1992で、彼はクララ・ロ−監督の『香港編』アズィス・M・オスマン監督の『マレ−シア編』チャトリ・チャラーム・ユコール監督の『タイ編』、フレディ・ロー・ベン・リー監督の『シンガポール編』、ユー・ウェイエン監督の『台湾編』、天願大介監督の『日本編』と全てに出演。もともと彼のための企画ではあるが、大変だったろう。僕が以前所属していた会社が作っているCMや映画にもたくさん出ているし、『私立探偵 濱マイク』シリーズでも企画などに大きく関わって精力的に活動している。独特の雰囲気を持っているし、演技は確か。ハリウッドへ行け!永瀬!応援するぞ!ユニオシは。 | |||||||||
木村拓哉 ジャニーズ事務所の人気グループSMAPのメンバー。近未来のアジアを舞台にしたウォン・カーウァイ監督初のSF映画『2046』で、トニー・レオン、コン・リー、マギー・チャン、チャン・ツィイー等アジアの大スターと共に出演した。カンヌにも出品されて話題を呼んだ。略称「キムタク」は中国でも通用するらしい。テレビドラマで映画にもなった『HERO』は韓国で大人気。宮崎駿監督『ハウルの動く城』では主役ハウルの声優を演じ、山田洋次監督の『武士の一分』ではしっかりとした演技を見せ松竹史上最高の興行収入を上げた。 参考資料としてフォトエッセイ集『開放区』、『%(パーセンテージ) 木村拓哉写真集 -武士の一分-』、評伝・解説本に『木村拓哉語録―努力するのもカッコイイなと思えてくる (COSMO BOOKS)』、『木村拓哉―純愛物語 (RECO BOOKS)』など多数。 | |||||||||
プロフェッサー・トール・タナカ サキー様より投稿いただきました。 一番メジャーな役が『バトルランナー』のサブゼロだったプロフェッサー・トール・タナカ。 『香港コネクション』『パーフェクトウェポン』なんかで主人公に立ちはだかっては倒される用心棒を演じてますね。『クロオビキッズ』でも似た様な役でした。 ありがとうございました! 1930年ハワイ生まれの日系人。本業はプロレスラー(悪役)で全米などで活躍。日本でもラッシャー木村などと対戦している。80年に引退し俳優業に転じた。特異な容姿を活かして『ニンジャ2修羅ノ章』『ブラック・レイン』『ラスト・アクション・ヒーロー』『ピーウィーの大冒険』などに出演した。ハロルド坂田と同じような役回りが多かった。故人。 プロレスサイトの写真集 | |||||||||
通りすがりの爺さんより、以下の投稿いただきました! 大昔の話で恐縮ですが 戦前のハリウッドで活躍した俳優に、駒井哲(くまい・てつ)という人がいました。 この人は、上山草人と同じように、中国人の悪漢を演じることが多かったようで、 『ピカデリィ』『緋色の研究』では、アンナ・メイ・ウォンの脇を固めていました。 また、彼が日本人を演じた珍しい例としては、『姫君海を渡る』が挙げられます。 この映画は、世界各国の名探偵が豪華客船に集まる、という楽しいコメディーで、 駒井哲は「日本帝国の秘密警察に所属する名探偵カワチ氏」として、堂々の登場です。 話変わって、早川雪洲ですが、彼の出演した映画に『三人の帰宅』という名作があります。ボルネオ占領下の捕虜収容所を描いた映画で、雪洲は収容所長・スガ大佐を演じました。この映画で特筆に値するのは、同じような趣向の大作『戦場にかける橋』とは違って、名も無い二等兵たちが、血の通ったキャラクターとして、生き生きと活躍している点です。酒好きな奴、卑怯な奴、お洒落な奴に、乱暴な奴、紳士、スケベ、冷血漢に、教養人。そういう豊かな描写の上で、収容所長の雪洲と、女囚との奇妙な友情を描いた作品でした。 最後に、俳優としてはパッとしませんでしたが、トーマス栗原(本名・栗原喜三郎)や、ヘンリー小谷(小谷倉市)、ジャック阿部(阿部豊)、エドワード田中(田中欽之)は、「ハリウッド帰り」の監督として、草創期の日本映画に、大きな足跡を残していますね。思えば、大正時代の日本映画界では、白系ロシア人の女優エカテリーナ・スラヴィナや、アメリカから招聘された美術監督のジョージ・チャップマンなどが、活躍していました。関東大震災が無ければ、日本映画は、もっと早く「国際的」になっていたことでしょう。 通りすがりの爺さんありがとうございました!確かジャック阿部は当初は俳優だったと思います。あの時代は日本人に限らず「何でもこなす」人が重宝がられたようですね。 ハリウッド早期の日本人についてはいつか特集をしたいと思っています。資料が乏しいので大変ですが、その際はぜひご協力お願いします! | トーマス栗原―日本映画の革命児 | ||||||||
マシ・オカ Masi Oka 本名:マサヨリ・オカ(Masayori Oka、 岡政偉(おかまさより)) アメリカのテレビドラマシリーズ『HEROES』の主役のひとりヒロ・ナカムラ(時空間を操れる東京のサラリーマン)役で大ブレーク。エミー賞、ゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされた。役柄での口癖(日本語で)「やったー!」(妙に声が高い)は全米で流行語になった。 以下600万石の男さんより投稿です。 『ヒーローズ』、まともな日本です。姓はマサハシ、名はアンドウくらいですか。日系人で、入社の書類の氏名欄を間違えたんでしょうか? ありがとうございました。「日本人の変な名前」は基本中の基本ですね。マシ・オカ自らが英語の台詞を日本語に訳し、話しているそうだ。 岡は東京生まれだが6歳でアメリカに渡り、IQ180の天才児としてタイム誌の表紙を飾ったことがある。名門ブラウン大学卒業後はルーカスのILMで特殊効果の技術者として『スター・ウォーズ エピソード1、2 』などの製作に関わっている。 TBS『朝ズバ!』で特集、来日(帰国?)の際は『英語でしゃべらナイト』『さんまのまんま』『めちゃイケ』などにゲスト出演していたが、意外と日本語が流暢でがっかりした…。『オースティン・パワーズ ゴールドメンバーズ』、『ゲット スマート』にもチョイ役で出演。 | |||||||||
矢野浩二 中国で15本のテレビドラマに出演(そのうち7本は日本の軍人役)する大阪出身の俳優。2000年に『永遠の恋人』で準主役に抜擢され、『烈火金剛』『記憶の証明』などのドラマで高い評価を受け、現在は北京に在住し中国のバラエティ番組などでも人気を博している。実に頼もしい存在ですね! 公式ブログ http://yano-koji.jp/ | リング0〜バースデイ〜 日本での出演作 |
||||||||
國村隼(くにむらじゅん) NHKのドラマ『芋たこなんきん』やサントリーオールドのCMでおなじみの俳優だが、リドリー・スコット監督『ブラック・レイン』1989、クエンティン・タランティーノ監督『キル・ビル Vol.1』2003、河瀬直美が1997年度のカンヌ国際映画祭で新人監督賞を受賞した『萌の朱雀』1997などに出演。また、『シルク』2008、 香港映画にも出演。『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』1992では、大好きなジョン・ウー監督の所に押しかけた。初対面の監督は國村の顔を見るなり両手の「フレーム」をかざして「君のこの辺をこのサイズで撮りたい」と言った。その夜から一週間でチョウ・ユンファとの銃撃戦を撮り切ったそうだ(朝日新聞より)。 この他、『野獣の瞳』(1996 パトリック・ウォン監督)、『カラー・オブ・ペイン 野狼』(2001 サム・レオン監督)に出演。 『キル・ビル』特集ページ 気の毒な田中の親分 | ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌 | ||||||||
役所広司 『SAYURI』 『バベル』 『シルク』 とハリウッド映画に立て続けに出演。渡辺謙、真田広之とともに世界進出の旗手となった。 日本映画でも 『タンポポ』(伊丹十三監督) 『Shall we ダンス?』(周防正行監督) 『うなぎ』(今村昌平監督) 『CURE キュア』(黒沢清監督) 『EUREKA』(青山真治監督) 『回路』(黒沢清監督) など世界で大ヒットした作品、海外で賞を受賞した作品、ハリウッドでリメイクが予定されている作品に出演、侍、軍人、殺人犯から普通の人まで、ホラーからコメディまで幅広く演技をこなす。今最も乗りに乗っている俳優と言える。 公式ブログ | 彼のこういうひょうひょうとした演技が好きですね↓ どら平太 | ||||||||
石橋凌 80年代にロックバンド、A.R.B.(ARB)のボーカルとしてデビュー。その後日本でヤクザや刑事役の俳優として大ブレーク。北野武監督の『BROTHER』(2001年)をはじめ日米合作の映画、Vシネマに多数出演している。 『ヤクザvsマフィア』(1993) ヴィゴ・モーテンセン共演。これはなかなかの傑作。掲示板に箱箱さんから投稿いただきました。 『刺青 IREZUMI』(1994) 『クロッシング・ガード』(1995)ショーン・ペン監督、ジャック・ニコルソン主演。石橋はなんとオカマの役!新宿2丁目通いして役作りしたそうだ。 『THE JUON/呪怨』(2004)と続編『呪怨 パンデミック』(2006) 『ローグ アサシン』(2007) など。『ローグ アサシン』では何とジェット・リーとチャンバラで戦う! american yakuza 3(『ヤクザvsマフィア』) | |||||||||
伊川東吾 佐藤信率いる劇団黒テントの創立に参画。13年間黒テントと共に日本中を旅し、同劇団のほとんどの作品に出演。村上龍原作・監督『限りなく透明に近いブルー』などの映画にも出演。1983年に渡英。名門ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)に入団して、シェイクスピアの生地ストラトフォード・アポン・エイボンにあるスワン劇場のオープニングに参加。以後英米の演劇界、映画テレビで活躍。 『アイズ・ワイド・シャット』の変な日本人、『ラスト・サムライ』(切腹する政府側の軍人役)、『SAYURI』(千代=さゆりを女衒に紹介する水産会社社長田中役)、『トウキョウ・アンダーグラウンド』(日本未公開)、『トプシー・ターヴィー』(マイク・リー監督:日本未公開。ギルバートとサリバンがオペラ『ミカド』を作るまでを描く伝記映画)、『スピードレーサー』(ピ"RAIN"の父で自動車メーカーの社長役)などに出演。 ロンドンの日本人劇団「一座」 http://www.ichiza.co.uk/index.html | |||||||||
塩屋俊 日英合作テレビドラマ『ジンジャー・ツリー 異国の女』、『アンボンで何が裁かれたか』(豪AFI賞の助演男優賞にノミネートされる)、『ミスター・ベースボール』(球団通訳の役)に出演。 『いちげんさん』の企画・製作、『0からの風』の監督などや、劇団主催・演劇講師・演出家としても活躍している。日本でもNHKの『おしん』(おしんの養子役)、『徳川慶喜』(山内容堂役)の他、映画『忠臣蔵 四十七人の刺客』、『釣りバカ日誌』シリーズ、『羅生門』の焼き直し作品『MISTY』などに出演する実力派俳優。だいぶ前だがキャベジンのCMにも出ていた。2013年、56歳の若さで急死した。 塩屋俊アクターズクリニック http://www.actors-clinic.com/ | |||||||||
浅野忠信 (1973-)横浜生まれ。祖父はネイティブ・アメリカン。中学生の時人気テレビドラマ『3年B組金八先生III』(TBS)でデビュー。『バタアシ金魚』(1990 松岡錠司監督)で映画デビュー。『青春デンデケデケデケ』(1992 大林宣彦監督)、『幻の光』(1995 是枝裕和監督 ベネチア国際映画祭金のオゼッラ賞受賞)、『PiCNiC』(1996 岩井俊二監督)、『ラブ&ポップ SR版』(1998 庵野秀明監督)、『ねじ式』(1998 石井輝男監督)のあたりで注目を浴び、テレビにはほとんど出ず、主にインディーズ出身監督による日本映画の主演俳優として活躍する。1999年には『鮫肌男と桃尻女』(石井克人監督。石井演出のCM出演をきっかけに以後監督作の常連俳優となる)、『地雷を踏んだらサヨウナラ』(五十嵐匠監督)、2000年には『五条霊戦記』(石井聰亙監督)、2001年に『風花 kaza-hana』(相米慎二監督の遺作)、タランティーノに影響を与えた『殺し屋1』(三池崇史監督)、2002年には例外的にテレビシリーズ『私立探偵 濱マイク』に出演、カルト的な人気を誇る。2003年は、北野武がベネチア国際映画祭監督賞を受賞した『座頭市』に出て世界でも注目を浴びる存在となった。海外の監督作にはペンエーグ・ラッタナルアーン監督の『地球で最後のふたり』(1994 ベネチア国際映画祭コントロコレンテ部門主演男優賞受賞)、『インビジブル・ウェーブ』(2007)、クリストファー・ドイル監督『孔雀』(1999)、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の短編『wkw/tk/1996@7'55"hk.net』(1996)、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『珈琲時光』(2004)がある。2007年にはセルゲイ・ボドロフ監督の『MONGOL−モンゴルー』で主役ジンギス・カンを演じ、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされる。2011年には待望のハリウッド映画『マイティ・ソー』のホーガン役として出演。その後は『バトルシップ Battleship』(2012年)、『47 Ronin』 (2013年)、『マイティ・ソー/ダーク・ワールド Thor: The Dark World』(2013年)と着実にハリウッド俳優としての地位を築いている。2014年には『私の男』で第36回モスクワ国際映画祭 最優秀男優賞を受賞、日本人俳優としても非常に貴重な存在となっている。『御法度』(1990 大島渚監督)、『わたしのグランパ』(2003 東陽一監督)、『父と暮せば』(2004 黒木和雄監督)、『埋もれ木』(2005 小栗康平監督)、2007年末公開された『母べえ』(山田洋次監督)など名監督・巨匠作でも重用されている。とにかくひさびさの「映画俳優」。このスタンスを崩さずがんばってほしい。一見無表情のようでありながら、どんな役でも自分の持ち味を活かしたキャラクターに仕上げる才能は実にすばらしく、今後も活躍が期待されますね! 追記:NHKの番組『ファミリー・ヒストリー』の取材で、浅野の祖父ウィラードはネイティブインディアンではなく、オランダ人とノルウエー人の移民の子であることがわかった(浅野本人も番組で初めて知った)。ウィラードは太平洋戦争後に進駐軍の一員として来日し、日本人女性と結婚、その時生まれたのが浅野の母順子である。ウィラードは順子が4歳の時離婚してアメリカに帰国。その後の消息が分からなかったとのことだが、番組の取材班がアメリカでのその後の人生を突き止める…。この番組で僕も思わずもらい泣きをしてしまった。 浅野忠信 公式サイト 参考書は→ | ↑こーゆう凄いのは並の役者じゃ演じられないのでは?究極のマゾのヤクザ(浅野)が、"殺し屋1(大森南萌)"が自分を殺しに来るのを「いつ来るのかな?怖えよ…」と楽しそうに笑いながら言う演技は完璧の一言。 浅野忠信―新世紀のスピリチュアル・アクターズシリーズ (キネ旬ムック―アクターズ・ファイル) |
||||||||
松崎悠希 1981年宮崎生まれ。7〜18歳まで英語で演じる劇団兼教育システム「LABOパーティ」に在籍し、演技にのめり込んだ。高校卒業後、俳優を目指し単身渡米。ニューヨークに渡った直後に全所持金が盗まれるというアクシデントに見舞われ、仕方なくホームレスとなり、街角で日本語で歌い踊るなどのパフォーマンスで糊口をしのいだ。コネクションのないまま独力で数多くのオーディションを受ける。そのうち、インディペンデント映画『ブラックニンジャ』のオーディションに参加し見事に600人の中から選ばれて、準主役の座を射止めた。しかし演技が大げさだと酷評され、「舞台で培った演技への自信を壊された」とショックから半年間は外出も出来なかったが、気持ちを切り替え、舞台やショートフィルム、注目度が高くない映画などに数多く出演して経験を積んだという。その後ハリウッドに移り、2003年には『ラスト・サムライ』のオーディションに合格、兵卒役で出演、2006年、『硫黄島からの手紙』では二宮和也扮する西郷昇陸軍一等兵の親友・野崎役を得た。この時配役が決まったのは2週間前、台本を渡されたのは撮影の2日前だったという。現在はロサンゼルス在住。 2009年『ピンクパンサー2』では主演のスティーブ・マーティンやジャン・レノと共演し、謎の怪盗を合同で捜査する「ドリームチーム」の一員マツダ・ケンジという日本人のハイテク捜査官(明るい性格の防犯エキスパートという役柄)で、ほぼ準主役級。撮影中はわざと日本語なまりで英語を話すことに苦心したという。その後もTVシリーズ『アイ・カーリー』、『ヒーローズ』や『幸せの始まりは』、人気映画シリーズ『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』に出演している。 僕の身内も以前「LABOパーティ」に参加していたので何だか他人に思えない。今後応援したいですね。 | |||||||||
三國連太郎 日本を代表する名優。1923年生まれ。 市川崑監督の『ビルマの竪琴』、稲垣浩監督『宮本武蔵』、家城巳代治監督『異母兄弟』、小林正樹監督『切腹』『怪談』、勅使河原宏監督『利休』など国際的な賞を受賞した名作に出演、日中合作の『未完の対局』(佐藤純彌監督 モントリオール国際映画祭でグランプリ)、『三たびの海峡』、『大河の一滴』3作に主演。1986年には『親鸞・白い道』を原作・製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。 日本映画では、今井正監督の『戦争と人間』、森谷司郎監督の『八甲田山』、今村昌平監督の『復讐するは我にあり』、伊丹十三監督『大病人』の他、川島雄三、山本薩夫、篠田正浩、熊井啓、吉田喜重、大島渚、山田洋次とまさに戦後映画史を飾る名監督の作品に多数出演している。僕は市川崑監督の『破戒』と内田吐夢監督の『飢餓海峡』が最高傑作だと思っています。 1988年から始まった『釣りバカ日誌』シリーズのスーさん役でもおなじみ。息子は俳優・佐藤浩市で、親子共演は『人間の約束』、テレビドラマ『美味しんぼ』(親子役)、2008年の航空会社のCMがある。 2013年4月14日、90歳で死去。 参考書『怪優伝――三國連太郎・死ぬまで演じつづけること』 | |||||||||
|
|||||||||
当サイトについて | 連絡先 | 広告掲載について | 変な日本とは? | 不思議な国? | プライバシー・ポリシー | お買い物について | Yunioshiの日記 |
●サイトマップ | |||||||
●「洋画・洋楽の中の変な日本・がんばる日本」トップページ・メニューへ戻る | |||||||
↑↑このページのトップへ戻る↑↑ | |||||||
Copyright © Yunioshi.com All rights reserved. |