監督作フィルモグラフィー |
公開年 |
作品名 |
制作(配給) |
脚本 |
主な出演者 |
上映時間ほか |
1943年 |
姿三四郎 |
東宝 |
黒澤明 |
大河内傳次郎、藤田進、月形龍之介、志村喬 |
79分/白黒/スタンダード |
黒澤は優れた脚本家として若い頃から名を馳せていたが、監督デビューは33歳と決して早い方ではなかった。何本か脚本を書いてはいたのだが、太平洋戦争の真っ只中であって厳しい検閲に会い、没になっていたという事情もあった。そんなある朝、黒澤は新聞の広告に載っていた「近日刊行『姿三四郎』」という小説の題に「これだ!」と一目惚れ。本も読まずに企画部長に映画化を願い出たという。さすがにストーリーも分からず映画化できないと断られたが、本が出るやいなや黒澤は一気読みし、いい映画になると確信。真夜中に再び部長の家に押しかけ懇願したという。主役を藤田進のイメージで黒澤自身が脚本を書き上げた。この映画の見どころは、池に落ちた三四郎がハスの花が咲くのを見て境地を開くところ、それとクライマックスの嵐の中の決闘。天気待ちの最後の最後の日、奇跡的に本当に大嵐が吹き撮影されたという。このデビュー作にまつわる話は自伝に詳しい。師山本嘉次郎との感動的な逸話もこの本にある。なお、これは黒澤と志村喬との最初の作品で以後志村は黒澤監督作に『影武者』(1980年)まで37年に渡り20本出演した(黒澤映画最多出演俳優)。ラスト、黒澤本人がお遊びで出演したがカットされてしまった。 |
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1944年 |
一番美しく |
東宝 |
黒澤明 |
志村喬、清川荘司、入江たか子、矢口陽子 |
85分/白黒/スタンダード |
戦意高揚映画である。戦争を後方で支える女性たち(女子挺身隊)を描いている。主人公は戦闘機などの照準機を作る軍需工場(実際ニコンの工場で撮影された)で働く若い女性たちなのだが、戦局悪化にめげずに、増産を自ら望む姿はけなげで「美しい」。黒澤映画には珍しく女性を細やかに描いており、映画が作られた背景や意図を意識すればこの時代では精一杯の芸術表現だったに違いない。黒澤は女性たちのチームワークや生活感や責任感を育てるために女優たちに実際に入寮させ、しばらく本当の奉仕をさせた。当時の大物映画女優入江たか子が工場の寮母。主演(渡辺ツル役)の矢口陽子は後に黒澤の妻になった。音楽のクレジットが無く、誰が作曲したか不明である。伊藤昇説が有力だが本人も覚えが無い。なんて大らかな時代だったのだろう。
映画のタイトルは当初『渡辺ツルたち』。それが『門は胸を開いている』→『日本の青春』→『一番美しく』と三度改題されている。う〜む、『渡辺ツルたち』か…。 |
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1945年 |
續・姿三四郎 |
東宝 |
黒澤明 |
大河内伝次郎、藤田進、月形龍之介、河野秋武、轟夕起子、清川荘司、宮口精二、森雅之 |
82分/白黒/スタンダード |
前作『姿三四郎』は、戦時下ということもあり、大幅にカットされていた。実は前作は最初から2本に分けて撮る予定だったが、没になってしまっていたのだ。しかし非常に評判が高かったため急遽続編を作る話が再燃し、あわてて準備した。そのため、前作にあった叙情的な部分はあまりなく、ストーリーテリングとアクションの面白さがやや強い出来になっている。後年の空手アクション映画などの原型になったと評する人もいる(すでに異種格闘技をしている!)。映画評論家白井佳夫は後の黒澤の萌芽が見られる傑作としている。
Zoku Sugata Sanshiro - Box vs Judo
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1945年 |
虎の尾を踏む男達 |
東宝 |
黒澤明 |
大河内伝次郎、藤田進、榎本健一、仁科周芳(岩井半四郎) |
58分/白黒/スタンダード |
能や歌舞伎でおなじみの『勧進帳』を題材に脚色した。話は日本人ならだれでもおなじみ(義経と弁慶の安宅関破り)なので、どこに映画らしさと新鮮さを出すかというところが黒澤を悩ませただろうと思うのだが、やはり検閲(今度はGHQの方)の厳しさと若い黒澤が題材を持て余している感じはする。丹下左膳でおなじみの時代劇の大スター大河内伝次郎や歌舞伎俳優の重鎮たちとは何度かやり合ったらしい。「日本の喜劇王」エノケンがひとり元気で、シャープな演技を見せている。富樫役の藤田進は「黒澤の最高傑作だ」と晩年述べていた。GHQからは「封建的」すぎるという理由から公開を禁止され、サンフランシスコ講和条約締結後の1952年になって初めて公開された。
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1946年 |
明日を創る人々 |
東宝 |
山形雄策、山本嘉次郎 |
藤田進、高峰秀子、薄田研二、森雅之、竹久千恵子、志村喬、鳥羽陽之助 |
82分/白黒/スタンダード |
師である山本嘉次郎と、関川秀雄との共同監督。だが労働組合に迎合した表現部分が気に入らず、黒澤は自作のリストからはずしている。
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1946年 |
わが青春に悔なし |
東宝 |
久板栄二郎 |
原節子、藤田進、杉村春子、大河内伝次郎、河野秋武、三好栄子、志村喬 |
110分/白黒/スタンダード |
原節子を起用し、戦後民主主義を高らかに謳った作品。原はスパイ容疑で獄死した夫の郷里で、村人たちに白い目を向けられながらも力強く生きる女性を演じ、当時の日本人を大いに勇気づけた。毒いちごという嫌な秘密警察官役で志村が出ているが、志村はかつてプロレタリア演劇をやっていて実際に特高に捕まったことがあり、その体験を元に演じている。後半、原節子演じる幸枝が泥まみれになって野良仕事をする約200カットに勝負を賭けたと黒澤が後年語っている。このカットは当時でも珍しい屋外で日中ライトを当てて撮影されている。
KUROSAWA NO REGRETS
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1948年 |
素晴らしき日曜日 |
東宝 |
植草圭之助 |
沼崎勲、中北千枝子、渡辺篤、菅井一郎 |
108分/白黒/スタンダード |
戦後の若いカップルを主人公にした爽やかな青春映画。貧しい二人が、日曜日にデートにでかけ、いろいろな夢を語るのだが、厳しい現実が目の前にあって惨めな出来事が次々と起こり、なかなかうまくは行かない。が、ラスト、誰もいない野外音楽堂で二人だけに聞こえる交響曲というのが希望にあふれる若者を象徴的に描き感動させられる。脚本の植草は黒澤の小学校時代からの旧友で、黒澤がグリフィス監督の『恋と馬鈴薯』という佳作のような映画を作りたいというのをヒントを元に書き上げた。中北千枝子は後に「ニッセイのおばちゃん」役でCMに出演してた。
one wonderful sunday
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1948年 |
酔いどれ天使 |
東宝 |
植草圭之助、黒澤明 |
志村喬、三船敏郎、山本礼三郎、千石規子、中北千枝子、笠置シヅ子、久我美子 |
98分/白黒/スタンダード |
山本嘉二郎監督の『新馬鹿時代』で使った闇市のセットがあまりに出来が良く、また予算もかかってたので、「もったいない」、もう一本映画が撮れないか?ということから企画された作品。
戦後の貧しい闇の世界が舞台。ここで世間を恨み貧乏のど真ん中に暮らすアル中の医者(志村)が主人公。彼の元に自暴自棄な若いヤクザ(三船)が大怪我をしてやって来る。この二人が反発しつつもやがてお互い理解し合っていく姿を描く。当初医者の設定は赤ひげのような真面目な医者だったが、黒澤と植草が実際に出会ったモグリの医師をモデルに脚本が書き換えられた。志村と三船が出遭った、映画史上重要な作品。音楽も印象的で、黒澤が最も信頼した作曲家早坂文雄が初担当した。映画の一場面で笠置シヅ子が登場し『ジャングル・ブギ』が披露されるが、この歌は黒澤の作詞である。また、ヤクザが絶望の中で闇市をさまようシーンで逆に能天気な『カッコウ・ワルツ』が流れるシーンは後世の多くの演出家諸氏に大きな影響を与えている。さらに山本礼三郎扮するヤクザがギターで爪弾く『人殺しの歌』も秀逸のかっこよさ。
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1949年 |
静かなる決闘 |
大映 |
黒澤明、谷口千吉 |
三船敏郎、志村喬、千石規子、三条美紀、中北千枝子 |
95分/白黒/スタンダード |
「有能な人材は無限の可能性があるのだから新しい役柄を試みてみるべきだ」という視点から黒澤は前作でヤクザを演じた三船を今度はインテリでストイックな医者役に振り当てた。
戦争中手術した患者から梅毒をうつされた医者(三船)が主人公。終戦を迎え、婚約者の待つ日本に帰ることになる。もちろん婚約者には事実を告げず密かに病と戦うのだが…。ラスト近く、看護婦千石規子と三船の鬼気迫るやりとりは圧巻で、演出していた黒澤もたまらず涙を流しながら撮影を続けたという。
音楽は後の『ゴジラ』の巨匠伊福部昭。
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1949年 |
野良犬 |
新東宝=映画芸術協会 |
黒澤明、菊島隆三 |
三船敏郎、志村喬、木村功、山本礼三郎、淡路恵子、千石規子、三好栄子、千秋実 |
122分/白黒/スタンダード |
新米刑事(三船)が拳銃を盗まれ、その拳銃を使った殺人事件が起こる。三船は上司であるベテラン刑事(志村)の協力を得て執念で犯人を追い詰める。無鉄砲な新米刑事+冷静なベテラン刑事という世界の刑事コンビを主人公にした映画やドラマの定番の嚆矢といえる作品。また、犯人役がいかにも好青年の木村功なのがミソ(彼が何故犯罪者になったのかがこのキャスティングで明解である)。もちろん三船の本当に”鬼気迫る”演技も見どころ。ラスト、ついに彼が犯人を見つけ出し、捕まえるまでのシーンは実に行き詰まる展開で、その動から静に至る演出は、カメラワーク、編集、音楽(音声)、自然描写すべてパーフェクトと言いたいくらい抜群のものがある。なお、このシーンは当時東京・練馬大泉撮影所辺りでロケされたが、ジャングルみたいなすごい田舎でびっくりする。因みに三船が拳銃を探して東京アメ横や銀座を歩くシーンは、第2班による隠し撮りが行われ、助監督が三船の代役で出演している。その後ろ姿の助監督こそ本多猪四郎。冒頭の、口を開けて激しくあえぐ犬は、小道具係が自転車で引っ張りまわした後で撮ったものだが、動物愛護協会からクレームがつき、犬好きな黒澤は後々まで「あの時は参った」と語ったという。淡路恵子は当時16歳でSKDの研究生だったが、舞台しか興味なかったため黒澤が誰かも分からず、会社から言われるがままに出演させられた。だから映画の撮影が嫌で嫌で仕方が無かったそうだ。本多猪四郎は、彼女がへそを曲げて帰ってしまわないようにお守りをさせられたそうだ。
Nora Inu
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1950年 |
醜聞 (スキャンダル) |
松竹=映画芸術協会 |
黒澤明、菊島隆三 |
三船敏郎、山口淑子、志村喬、桂木洋子、北林谷栄、日守新一、左卜全、三井弘次 |
104分/白黒/スタンダード |
有名な画家(三船)が偶然出逢った声楽家(山口)と二人でいるところを雑誌社の写真に撮られ熱愛報道をされてしまう。憤激した三船が出版社に乗り込み編集者を殴ってしまい騒ぎが余計大きくなる。何だかビートたけしとたけし軍団のフライデー襲撃事件を思い出させるような話だが、笑い話ではなく極めて真面目に扱っている。また、売り込みを目的に画家のもとにやって来る悪徳弁護士という役で志村も登場するが、今となってはありふれたテーマとキャラクターに思えるがこの時代にと考えると黒澤の先見の明がすごいと思う。
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1950年 |
羅生門 |
大映 |
黒澤明、橋本忍 |
三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之、千秋実、上田吉二郎、加東大介、本間文子 |
88分/白黒/スタンダード |
黒澤が大映で撮った作品。京マチ子とはこれ1本きりである(この後悪名高き五社協定が始まってしまったため)。当初黒澤は原節子を主役に考えていたが、京が役作りのためにサッサと眉を剃ったのを見てその度胸の良さと決意の強さに驚嘆して採用したという。
ベネチア映画祭でグランプリを受賞した時の話は今や笑い話。50周年を記念して過去のグランプリ(金獅子)作品の中から最高のグランプリ(獅子の中の獅子賞)を受賞した世界映画史上屈指の名作にして黒澤が「世界のクロサワ」になった記念碑的作品である。古今東西を問わず人間の欲や恥といった本質をついたストーリーが秀逸で、脚本家橋本忍の名を一躍高め、以後彼は黒澤組の常連になった。もともとは橋本が持ち込んだ短編シナリオ『雌雄』を膨らませたものだが、橋本のインタビューによれば芥川の小説は当時まだ1本も映画化されていなかったからという単純な理由で選んだだけという。 また、特筆すべきは宮川一夫のカメラワークで、土砂降りの雨の表現、木漏れ日、森の中にカメラが通るレールを敷き、縦横無尽に走らせた移動撮影の創意工夫など、それまでの映画の常識を超えた映像表現は今なお高く評価されている。映画はストーリーだけでは語れない。映像や音との見事な融合が傑作を作る。そのバイブルのような映画である。リメイク映画は複数ある。
Rashomon Trailer
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1951年 |
白痴 |
松竹 |
久板栄二郎、黒澤明 |
原節子、森雅之、三船敏郎、久我美子、志村喬、千秋実、東山千栄子、千石規子、左ト全 |
166分/白黒/スタンダード |
主演の久我美子がピアノを弾くシーンの撮影の時、朝から晩まで同じ演技をして全くOKが出なかったことがあった。黒澤の激しい叱責があったが、必死にやってようやくそのシーンを撮ることができた。すっかり自信を失い「もう女優をやめようか」と絶望の気持ちでスタジオを出た。ところが撮影所の門の所で黒澤が待っていて、黒澤は「久我君、がんばったねえ。今日は良かったよ」と言ってくれた。その時久我は「この人のためなら死んでもいい!」と思ったそうだ。恐いイメージが強い黒澤だが、実は細かいところで気遣う優しい人物だった。そして不思議に人を惹きつける魅力を持っていた。 世界中の映画作家がなかなか果たせないドストエフスキーの『白痴』を大胆に脚色した作品。この映画に対して酷評が多いのは映画会社(黒澤は初めて松竹で撮った)の意図で4時間半の作品が約2時間カットさせられたから。黒澤が「切るならフィルムを縦に切れ!」と言ったのは有名な話。オリジナル版を見てみたいものだが、これは修復不可能らしい。それでも黒澤映画には珍しく主人公のアップがこの名優たちの演技を際立たせていて見ごたえは十分。こういう映画を映画というのだろう。白痴の無垢な青年役森雅之は『羅生門』にも出ているが、作家有島武郎の息子で京大中退のインテリで、溝口作品・成瀬作品にも出演した名優である。
The Idiot (Hakuchi, 1951) by Akira Kurosawa
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1952年 |
生きる |
東宝 |
黒澤明、橋本忍、小国英雄 |
志村喬、日守新一、千秋実、小田切みき、田中春男、中村伸郎、金子信雄、浦辺粂子、藤原釜足、左卜全、宮口精二、渡辺篤、伊藤雄之助 |
143分/白黒/スタンダード |
『七人の侍』と並ぶ黒澤の代表作。通夜のシーンと回想との交錯する構成が実に見事で、脚本と編集が見事にマッチしている。これは脚本も演出も編集も自ら手を下す黒澤だから実現したと思う。まず主人公志村の一世一代の名演が目に付くが、黒澤は「気を張りすぎていてもっとラクに演じてたらと思う」と完成直後に回想している。この主人公と対極を成す健康的な少女役小田切みきは当時俳優座の新人から抜擢された。撮影中にカメラの横の黒澤を見てしまってNGを連発した。また、黒澤からは演技中に『芝居をするな!』と怒られたそうだ。役者に芝居するなって…。この後彼女自身はあまり役者として活躍はしなかったが、彼女の娘は「チャコちゃん」こと名子役・四方晴美で後にテレビで一世を風靡した。主人公の一人息子役は後に『仁義なき戦い』などヤクザ映画や芸能界屈指の料理人として有名になる金子信雄。 それと語られることが少ないような気がするが、早坂文雄の音楽は絶妙!現在の「劇伴風」映画音楽家全員に見てもらいたい。
Criterion Trailer 221: Ikiru
受賞記録
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1954年 |
七人の侍 |
東宝 |
黒澤明、橋本忍、小国英雄 |
志村喬、三船敏郎、木村功、稲葉義男、加東大介、千秋実、宮口精二、藤原釜足、津島恵子、土屋嘉男、左卜全、高堂国典、東野英治郎、上村草人 |
207分/白黒/スタンダード |
「本物の時代劇を作ろう」をモチーフに、これまで1年に1〜2本のペースで映画を作ってきた黒澤が準備入れて2年を費やして作った。当時の映画の平均製作費の約10倍がかかったと言われる。いっこうに完成しない映画に業をにやした東宝の重役たちが「これ以上製作費は出せない!黒澤クビ!打ち切り!お蔵入り!」と言い出した時、黒澤は途中まで編集したものを重役たちに見せた。あまりに面白く続きが見たくなった重役たちは追加予算まで認めてしまったという。
百姓たちが強そうな侍を町で探すシーンでは無名時代の仲代達矢と宇津井健がエキストラで出演している。 この映画については特集ページが作れるくらい書きたいことが山ほどあるが、ここでは志村扮する勘兵衛が、初めて登場するシーンについて。赤ん坊の人質を取って立てこもる盗賊を坊主に化けた勘兵衛が退治するというシークエンスだ。
ここで三船扮する菊千代、木村功扮する勝四郎も出てくる。菊千代は野次馬のひとりだが、後ろに近づいた百姓に台詞無しで犬か猫のように「キッ!」と一喝する。これでこの男が野卑で粗暴な人間であることが観客に強く印象付けられる。実はこんな演技は外国ではあまり見られない。海外で三船が高く評価されたのはこういうところ。
さて、
勘兵衛の方は坊さんに頼んでマゲを剃ってもらっている。盗賊は後にも引けず興奮している。いかにその男を安心させて近づくか?勘兵衛の作戦は、”人を殺めることがない坊さん”に化けることであった。これは彼が優れた策略家であることを示している。また、侍にとって「マゲ」は刀同様重要なシンボルである。それを百姓のためにあっさりと切ってしまう。(『ラスト・サムライ』では小山田真演じる若い侍がマゲを切られて泣くシーンがありましたね。)こうした行為によって彼が弱い者のためには自らの恥や忠義や信念を捨てて尽くすことが出来る人物であることがわかる。もちろんこの後、冷静で迅速な刀さばきで盗賊を斬り、腕の方も確かであることが判明する。
この勘兵衛を羨望の眼差しで見ていたのが菊千代であり、彼は死んだ盗賊に誰よりも早く近づいて歓声を上げ、まるで自分の手柄のように素直に感情を出して喜ぶ。
一方勝四郎の方は目をキラキラさせて、いかにもお坊ちゃまのように、礼儀正しく勘兵衛に近づき弟子入りを頼む。菊千代の方はそんな礼儀など持たず、何か言いたい(彼も弟子にして欲しい)のだが、ジロジロと勘兵衛を眺めるだけである。
このわずか数分のシークエンスで勘兵衛=冷静な戦略家・弱い者の味方・歴戦の勇士。菊千代=野卑粗暴・礼儀知らずだがパワーがあり、強い侍への憧れがある。勝四郎=高名な大名などの子息?・武術で身を立てたいと望む青年。というようにキャラの性格、過去・経験、思想・信条が見て取れるのだ。これで観客はこの3人のキャラクターの魅力に釘付けになり、この後の物語の展開に大きな期待を寄せることになる。果たして彼らはあの弱く悲運な百姓の味方になってくれるのだろうか…?全く、この脚本も非の打ちどころが無い(台詞が驚くほど少ない)が、キャラ一人一人のアクション、表情、美術・衣装すべてが「ストーリー」を形作っているのだ。
説明的な台詞が多すぎる現代の日本のテレビドラマなどとは大きな違いである。
ところで勘兵衛が退治した盗賊だが、実際に斬るところは見せることなく、飛び出てきた盗賊が倒れるのをスローモーション(音無し)で描いている。このシーンも後のアクション系映画に大きな影響を与えている。この盗賊役は後にテレビ時代劇『水戸黄門』の黄門役でお茶の間の人気者になった東野英治郎である。因みに志村喬とは売れない頃寝食をともにした親友の間柄であった。17歳の少年剣士勝四郎を演じたのは当時30歳(!)の木村功だった。久蔵役は最初三船だったが、脚本の段階でどうしても百姓と侍を仲立ちするジョーカーのような人物が必要になり、それを三船に変更した。それが菊千代である。久蔵は次に三國連太郎が候補に挙がったが、結局宮口精二になった。当時サード助監督だった脚本家、廣澤栄著『日本映画の時代』には黒澤が書いた菊千代のキャラ設定のイラストや素人の老人(捕らえられた野武士を鋤で殺す老婆役)に演技をしてもらった苦労話などが多数掲載されている。
このシーンは↓
KUROSAWA SEVEN SAMURAI
下は当時の劇場予告編
七人の侍・予告編 Seven Samurai 受賞記録
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1955年 |
生きものの記録 |
東宝 |
橋本忍、小国英雄、黒澤明 |
三船敏郎、志村喬、千秋実、東野英治郎、千石規子、清水将夫、根岸明美、三好栄子、左卜全、佐田豊 |
113分/白黒/スタンダード |
黒澤はこの作品と『夢』『八月の狂詩曲』と「原爆」をモチーフにしている映画が3本あり、生涯日本人として意識するべき問題だと考えていた。この作品は一番ストレートにしかも早い時期に発表された作品である。原爆被害に加えビキニでの水爆実験で第五福竜丸が被爆した事件が54年にあったことから、親友早坂文雄が「こう生命が脅かされちゃ仕事はできないね」という一言に触発されて作った(この映画の直後早坂は亡くなり最後の仕事になった)。三船はこれまでの演技とはうって変わって見た目はさえない老け役をやっている。この映画で描かれている「真の恐怖」とは、主人公が恐れる原爆・放射能に対する恐怖を共有しない人々がほとんどであること。「地球が燃えてる」とつぶやく、狂気に至る主人公が実は人間として正常であって、彼に翻弄される家族や知人たちが異常であることをこの映画では訴えている。黒澤のあせりや怒りのようなものが非常に強く、鬼気せまる作品である。同時に3台のカメラを回すいわゆるマルチカムは、この映画の撮影開始(裁判所のシーン)で試みられた。狭い空間でカット毎にカメラ移動を繰り返すのが非効率であったからだが、当初ラッシュを見た関係者は皆失敗だと思った。出来た映像はおよそ劇映画とは思えない、ニュースフィルムのようなものになってしまっていたのだ。しかし黒澤はこの方式の成功を確信し、結局映画を撮りきった。以後クロサワはマルチカムの代表格監督と称されことになった。これは下記にも書いたが黒澤が「編集の天才」だから可能だった方式であろう。
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1957年 |
蜘蛛巣城 |
東宝 |
小国英雄、橋本忍、菊島隆三、黒澤明 |
三船敏郎、山田五十鈴、志村喬、久保明、千秋実、太刀川洋一、浪花千栄子、佐々木孝丸、高堂国典、稲葉義男 |
110分/白黒/スタンダード |
黒澤の実験映画という位置づけでよくいわれるが、徹底的にリアリズムを追求した『七人の侍』とは対極的に様式美にこだわった作品。とにかく各シーンすべてその画面の美しさは黒澤映画でも1,2を争うのではないだろうか?音なしで観ているだけでも素晴らしさがわかる。白黒の濃淡の加減、構図の取り方、どのカットも切り取って額に入れれば立派なインテリアになりそうなくらいだ。しかし撮影は困難を極め、黒澤と仲の良かった中井朝一カメラマンが衝突をし、中井は以後『天国と地獄』まで黒澤と組まなかったといういわくつき。原作はシェイクスピアの『マクベス』で、『羅生門』の次に撮る予定だったが、オーソン・ウェルズがやるという話を聞いて延ばしていた作品。舞台を日本の戦国時代に設定し能の表現などをミックスして作り上げた。黒澤は「能の表現は型から入っていく。外面的な粉飾を次々そぎ落として本質に到達していくのだ」、「能は静の中に物凄いエネルギーをためている。そのエネルギーが爆発した時はびっくりするほど激しく速い。」などと語り、その表現を映画に応用したいと考えていた(堀川弘道著『評伝黒澤明』より)。外国の原作なのに幽玄とか「わびさび」とか外国人には難しい概念を底辺に置いているというのはさすが天才の仕事だろう。日本演劇史に残る名女優山田五十鈴が演じる、発狂して手を洗う浅茅のシーンは黒澤映画の名シーンのひとつ。山田はこのシーンのために一ヶ月自宅で水道相手に手を洗う稽古をしたとされる。 また、ラスト近く三船が無数の矢に狙われ逃げ回るシーンは、ほとんどトリックなしで、弓矢の名人に射させたという。ひえ〜本当に怖い!
Trailer: Throne of Blood (Akira Kurosawa, 1957)
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1957年 |
どん底 |
東宝 |
小国英雄、黒澤明 |
三船敏郎、山田五十鈴、香川京子、千秋実、上田吉二郎、藤原釜足、三井弘次、東野英治郎、渡辺篤、左卜全、清川虹子 |
125分/白黒/スタンダード |
ゴーリキーの『どん底』が原作で、江戸時代の貧乏長屋に時代と舞台を移している。このイマジネーションはすごいの一言。世界中の映画作家が手をこまねいているドストエフスキーやゴーリキーをこうも大胆に翻案してしまうとは。まずこの映画の大収穫は俳優陣に尽きるのではないだろうか。脇役名優のオールスターキャストでまるで小さな芝居小屋で見ているような緊迫した悲喜劇が展開する。俳優を目指す人は観ると分かると思うが、一人一人の表情、アクション、タイミング、台詞回しが完璧までにこねられて、その絶妙なアンサンブルで作り上げられている。これまで「実に映画的な演出」でやってきた黒澤はこういう芝居的な演出もできるのだと思うと驚嘆せざるを得ない。撮影が始まる前に昭和の大名人5代目古今亭志ん生師匠をスタジオに招き、スタッフ・キャスト一同の集まる前で「粗忽長屋」を演じてもらい、「江戸」の雰囲気を体感させたという(NHKの番組で香川京子の証言による)。千秋実は本番中に下駄の鼻緒を切ってしまうというアクシデントに逢ったが、平然と演技を続けながら直してしまい、黒澤を大喜びさせた。70年ごろ『老人と子供のポルカ』という珍曲で大ヒットを飛ばした左卜全が特に素晴らしい演技だった。
ラストシーン。
Japanese Proto-Beat-Boxing in The Lower Depths (1957)
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1958年 |
隠し砦の三悪人 |
東宝 |
菊島隆三、小国英雄、橋本忍、黒澤明 |
三船敏郎、千秋実、藤田進、藤原釜足、志村喬、上原美佐、三好栄子、藤木悠、土屋嘉男、三井弘次、上田吉二郎 |
139分/白黒/シネマスコープ |
スター・ウォーズとの関係がよく取りざたされるが、もともとはハリウッド映画にも良く見られる設定だった。ただ、全編緊張感でいっぱいになりそうな話を千秋実、藤原釜足の二人がよく和らげてくれている。単純な痛快娯楽作で「思想も何もない」とこの映画を批判する人もいるが、封建社会に対する鋭い批判もある。それはこの千秋、藤原の二人の台詞からにじみ出ているし、「裏切り御免!」とあっさり主君を捨て仲間に加わる田所(藤田進)の行動にも出ている。 藤原釜足は望遠レンズで撮影されている(役者とカメラの間に距離がある)シーンで長台詞があったが、どうせアフレコするし、黒澤監督には聞こえないだろうと適当に口を動かしていたらあとでバレて黒澤に怒られた。「だから年寄りは」と言われたという。 雪姫役の上原美佐は既存の女優や四千人の応募者を制して、黒澤が「気品と野生味の二つの要素が醸し出す異様な雰囲気がある」と普通の人の中から選ばれてこの映画でデビューした。素人なので少し発声が厳しいところがあるが、黒澤のいうとおり適役だった。しかし彼女はこの後数本映画に出演しただけでさっさと引退してしまった。
チーフ助監督だった野長瀬三摩地は後にテレビ『ウルトラ』シリーズの名物監督になった。
Trailer: The Hidden Fortress (Akira Kurosawa, 1958)
受賞記録
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1960年 |
悪い奴ほどよく眠る |
東宝=黒澤プロ |
小国英雄、久板栄二郎、黒澤明、菊島隆三、橋本忍 |
三船敏郎、香川京子、三橋達也、森雅之、志村喬、西村晃、藤原釜足、笠智衆、宮口精二、山茶花究、藤田進、中村伸郎 |
151分/白黒/シネマスコープ |
<<<<<準備中>>>>>
The Bad Sleep Well trailer
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1961年 |
用心棒 |
東宝=黒澤プロ |
菊島隆三、黒澤明 |
三船敏郎、仲代達矢、加東大介、山茶花究、河津清三郎、山田五十鈴、司葉子、東野英治郎、沢村いき雄、志村喬、藤原釜足、夏木陽介 |
110分/白黒/シネマスコープ |
時代劇映画の様式を根本からひっくり返したこれも金字塔的作品。殺陣を行う三船の刀があまりに速くて見えない。これは当時の編集者が1コマずつ見て分かり仰天したという伝説がある。冒頭、「荒んだ街」を映像だけで表現するのに、手首をくわえた犬が登場する。これは唸るほかない。<<<<<準備中>>>>>
これは当時のではなく、現代風にアレンジされた予告編
"Yojimbo" Akira Kurosawa. Trailer 受賞記録
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1962年 |
椿三十郎 |
東宝=黒澤プロ |
菊島隆三、小国英雄、黒澤明 |
三船敏郎、仲代達矢、小林桂樹、加山雄三、団令子、志村喬、藤原釜足、清水将夫、伊藤雄之助、入江たか子、平田昭彦、田中邦衛 |
96分/白黒/シネマスコープ |
山本周五郎の短編『日日平安』が原作。当初は愛弟子の堀川弘道のために企画されたもので、血が一滴も流れない話だったが、黒澤が自分でやりたくなって、『用心棒』の主人公(最初から三船を想定)を持ってきて大幅にアレンジした。椿の花を流すなどのアイデアは実に映画的で秀逸。世界の「血みどろ映画」の原点でもある。
撮影中、加山雄三は真剣を持たされていた。初めて真剣を持った彼は出番待ちの時間に、ロケ地の端で試しに雑木や草を切ってみたらスパスパ切れる。「こりや面白いや」としばらく遊んでいたら、スタッフの一人が血相変えて飛んで来て、真剣を取り上げようとした。しかしそれを見ていた黒澤がそのスタッフを激しく叱咤した。「よけいなことするな!」黒澤は加山に侍の雰囲気や風格を持つように訓練するためにわざわざ真剣を持たせていたわけである。今だったら考えられないエピソードだ。加山は本番中居眠りをしたという豪快伝説もある。それにしても若大将と青大将が共演しているとは! 公家の出身の入江たか子は戦前、自分で映画プロダクションを作り溝口健二監督などとも組んでプロデューサーとしても活躍した大女優だったが、病気やプロダクションが倒産するなど不幸が重なり一時は『化け猫映画』の化け猫役者として低迷していた。戦後、久しぶりに溝口監督に呼ばれて映画『楊貴妃』に出演するが、撮影中に監督から激しく罵倒され、そのまま役を降り、女優を引退して銀座のバーのマダムとなった(新藤兼人監督の記録映画『ある映画監督の生涯〜溝口健二の記録』で入江本人が証言している)しかし、ある晩そのバーにやって来たのが黒澤監督で、黒澤から熱心に口説かれて、女優復帰を決心、『椿三十郎』に出演。どんな苦境にあってもおっとりとしている家老夫人役を演じた。
Tsubaki Sanjuro
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1963年 |
天国と地獄 |
東宝=黒澤プロ |
小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明 |
三船敏郎、仲代達矢、香川京子、三橋達也、石山健二郎、木村功、加藤武、志村喬、山崎努、佐田豊、伊藤雄之助、中村伸郎、田崎潤 |
143分/白黒・パートカラー/シネマスコープ |
原作はエド・マクベインの『キングの身代金』。有名な87分署シリーズの一作だが、実はシリーズの中でも異質な作品である。黒澤が現代の外国のミステリ小説を映画化するのは初めての試みで注目されたが、原作の「富豪が"間違った人質"に身代金を払い、犯人に挑戦する」という一部だけを借り、他はほとんどオリジナル脚本のようなものであった。まずこの映画の主人公3人の人物設定が完璧なまでに作り上げられていることに驚嘆する。富豪であるが、権藤(三船)は社長ではない。裸一貫の靴職人から叩き上げでのし上がった人物である。これは苦労を知っている人間だから、たとえ自分の子でなくても身代金を払う決心をするという説得材料になっている。古い道具類を出してきて、さっさと自らカバンに薬を仕込むシーンなどにも活かされていて秀逸なアイデアである。一方の犯人竹内(山崎)の貧しい苦学生という境遇は、ラスト権藤との対面で語る話の端々に出てきて、観客は以下に彼が悲惨な生活をしてきたかを想像させられ、大きなショックを与えられる。そして正義と責任感の塊である刑事戸倉(仲代)。被害者である権藤が、犯人からだけでなく、会社の重役たちや部下の裏切りなどに会い、次第に追い詰められていく様を見ていて、何とか救いたいと奮い立つ様子には本当に胸を打つ。 さて、この映画やはり特急こだまのシーン、江ノ電の音からアジトを突き止めていくくだり、煙突の煙から犯人を特定するまでなど全く隙のないサスペンスが見ものであるが、映画製作の経験のある人は前半の権藤邸のシークエンスが実は「凄い!」と思うのではないか?ここでは黒澤が『生きものの記録』で試みたマルチカムが最大に効果を上げている。同時にカメラを数台回すことで、緊迫感が途切れることが無く、また俳優たちの演技の「つなぎ」は完璧になる。しかしその代わり俳優は本番で長回しを覚悟せねばならない。舞台芝居のように、台詞と表情、タイミング、立ち回りを完璧に覚えこんで演技しなければならなかった。三船や仲代など数人が長い演技をし、最後に刑事役の木村功が部屋に入ってくるというシーンがあったが、木村は自分がNGを出したらそれまでの撮影が全部NGになってしまうので凄い緊張したと証言していた。またカメラマンと照明などの現場スタッフもおそらく倍くらいの手間がかかるはず。何故ならカメラが別のカメラや照明器具などを写さないように様々な工夫をしなければならないからで、リハーサルだけでも相当な時間を費やしたはずだ。編集も楽ではない。せっかくの効果を活かすも殺すも編集次第。それにしても、犯人からかかってくる電話の度に少しずつ登場人物たちの心情や立場が微妙に変わっていくのが演出されているのは見事としかいいようがない。
特急こだまのシーンは当時の国鉄の協力を得て、特別列車を運行し車両を借り切って撮影した。撮り直しは許されないので、何と8台のカメラを駆使した。また、この撮影の前にこだまに乗ってロケハンを行ったとき、どうしても邪魔な民家が写ってしまうのが分かり、その家と交渉して2階を取り壊してしまったという話は有名である。 なお、ラストの刑務所のシーンは、犯人との面会を終えた権藤と戸倉刑事が会話を交わし、共に刑務所を後にするというものであり、撮影も行われたが、すべてカットされ現在の形になった。「それで大正解!よけいなものは要らない」と僕はいつも思う。リメイク版もそうして欲しいと切に願う。
最後に。堀川弘通監督はこの映画は「もし黒澤が若い頃だったらおそらく犯人竹内の側から見た映画になっていた。黒澤自身が叩き上げの社長で、自分を守るためにどうするか?という視点で作っている。黒澤がこれまでの"攻め"から"守り"にまわった分水嶺になった映画」と位置づけていた。なるほど。
Dance scene from Tengoku to jigoku
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1965年 |
赤ひげ |
東宝=黒澤プロ |
井手雅人、小国英雄、菊島隆三、黒澤明 |
三船敏郎、加山雄三、山崎努、団令子、香川京子、桑野みゆき、二木てるみ、頭師佳孝、土屋嘉男、志村喬、笠智衆、田中絹代、内藤洋子、杉村春子 |
185分/白黒/シネマスコープ |
山本周五郎の『赤ひげ診療譚』が原作。おとよ(二木てるみ)だけはドストエフスキーの『虐げられた人々』のネリがモデル。これも最初は堀川弘道向けにシナリオが書かれた企画だったが、結局黒澤本人が監督した(堀川自身はその経緯はドナルド・リチーの『黒沢明の映画 (現代教養文庫)』を読んで初めて知ったそうだ)。製作に当たって黒澤はスタジオに集まったスタッフ・キャストにベートーベンの『交響曲第9番第四楽章』を聞かせ、「この映画はこういう風にしなければ駄目なんだ」と語ったと言う。 床に伏せているおとよがガバっと起き上がり狂気の目をしている(異様に目が光る)というシーンがある。この撮影は、起き上がった彼女の目の位置に照明がピッタリ当たるようなっていた。彼女はロボットのように正確な動きを強要されたのだがもちろんそんな簡単には行かない。何十回ものリハーサルと本番を行ったそうだ。赤ひげの診療室の背景にある美術として薬箱が作られた(箪笥に小さな引出しがいっぱいあって薬入れになっている)が、薬を出すシーンなどないのに引出しひとつひとつすべて開けられるように作られた。常に完璧を目指す黒澤組のエピソードとしてよく引き合いに出される話。 撮影は実質1年半、完成まで足かけ3年に渡り、黒澤映画で最も製作に時間がかかった作品である。撮影中は関係者以外の立ち入りが厳しく禁じられたが、外国からの客は何人か見学が許されている。一人は『アラビアのロレンス』のピーター・オトゥール、もう一人はシドニー・ポワチエであった。ポワチエは藤原釜足演じる六助が死ぬシーンを見に来た。脇で控えていた土屋嘉男が椅子を差し出すと最初は座っていたが、緊張と感動のあまり途中で立ち上がって直立不動で見るようになった。その両手は小刻みに震えていたそうである(土屋著『クロサワさーん!』より)。
黒澤の演出風景などが盛り込まれた予告編。
Trailer: Red Beard (Akira Kurosawa, 1965) 受賞記録
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1970年 |
どですかでん |
四騎の会=東宝 |
黒澤明、小國英雄、橋本忍 |
頭師佳孝、菅井きん、三波伸介、伴淳三郎、芥川比呂志、奈良岡朋子、加藤和夫、渡辺篤、藤原釜足、井川比佐志、田中邦衛、楠侑子、松村達雄、三谷昇、二瓶正也、江幡高志、小島三児、ジェリー藤尾 |
140分/カラー/スタンダード |
山本周五郎の『季節のない街』が原作。 スラムのような町で暮らす人々の群像劇になっている。自分の求める色が出ないからという理由で白黒にこだわっていた黒澤が初めて撮ったオールカラー作品である。強烈なカラーをこれほど鮮烈に扱えるのならもっと早くからやって欲しかったもんですね。ジェリー藤尾と井川比佐志の色分けなど秀逸なアイデアだ。『どん底』もそうだが、表面的にはコメディのような笑わせるものも多いが、心底笑える話がひとつもない。こういう映画は世界的にも珍しいと思う。これまた俳優陣の素晴らしさ(駄目な人がひとりもいない!)が際立って見える映画である。実は僕はこの映画が大好きでおそらく『七人の侍』『用心棒』の次ぐらい何度も見ている。特に伴淳三郎と芥川比呂志の演技にはいつも感嘆させられる。芥川比呂志は『羅生門』の原作者芥川龍之介の息子であることも何となく因縁めいている。電車バカの六ちゃん役の頭師佳孝は役作りのために実際に荒川車庫で都電を運転させてもらい、脱線させてしまったという。それにしてもこの時代の俳優さんは変な顔の人がいっぱいいて良いですね! 『赤ひげ』公開以来『暴走機関車』『トラ!トラ!トラ!』とトラブル続きだった空白の5年間を経て1970年4月23日のクランクインの日、5年ぶりに黒澤の「ヨーイスタート!」を聞いた時はスタッフ・俳優とも感激で泣いたという。わずか28日間の撮影期間で済んだのは黒澤組にとって異例中の異例。
Trailer# Dodeskaden (1970)
受賞記録
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1975年 |
デルス・ウザーラ |
モスフィルム(ソ連映画) |
黒澤明、ユーリー・ナギービン |
ユーリー・サローミン、マキシム・ムンズーク、シュメイクル・チョクモロフ、ウラジミール・クレメナ、スベトラーナ・ダニエルチェンコ |
141分/カラー/70ミリ・ワイド |
黒澤が原作(ウラジミール・アルセーニエフの『ウスリー地方にそって』『デルス・ウザーラ』。これらはソ連人の国民文学と呼ばれた)に惚れこみ、1940年代にすでに北海道に舞台を置き換えて映画化しようとした企画であったが、様々な理由で頓挫していたものだった。1970年代になってソ連に招かれてようやく実現した。黒澤にとって初めてのカラー70ミリの超大作でありようやく実現した「外国映画」である。ソ連(現ロシア)は『戦艦ポチョムキン』のエイゼンシュタインらを生んだ、世界映画史にとって極めて重要な国であるが、これほどの国民文学を自国の映画監督でない、外国人しかも冷戦下においては敵国と想定されていた日本の映画監督を起用すること自体、極めて異例のことであった。『戦争と平和』などで知られるソ連人監督セルゲイ・ボンダルチュクは「黒澤は世界で最も優れた監督。彼をわざわざ招いたことに嫉妬する者がいたら、それは多分自分に才能がないからだろう」と絶賛している(面白いことに彼の『戦争と平和』を黒澤は酷評しているが)。このことからも分かるように、当時のソ連では黒澤は「映画の神様」のようなものだったのだ。しかし、さすがに黒澤以外の日本人には厳しい制約が課せられ、ごく少数の日本人スタッフのみ(製作・松江陽一、共同撮影監督中井朝一、協力監督野上照代・河崎保、監督助手箕島紀男 )が同行を許され、あとはソ連人スタッフで撮影が行われた。当初主人公のデルスは三船が演じる予定だったが、すでに国際スターであったミフネをまる2年間もソ連に連れて行くわけに行かず断念した(その後、三船はシベリアで撮影中の黒澤を激励に訪問している)。しかし撮影は困難を極めた。支給されたフィルムが粗悪で撮り直しさせられたり、何しろ共産国だからスタッフの労働時間が極めて厳格に決められているのだ。極寒のシベリアでは普通の生活もままならず、軍隊による食事も毎日同じものだったり、監視も常に付けられていたという。ソ連駐留は足かけ三年にも及び、『トラ!トラ!トラ!』とはまた違う苦労があった。
大自然を扱う映画だけに思わぬ天候や季節の変化に惑わされることも多く、遥かな紅葉の森林を探検隊が行くというシーンを撮る予定だったが、急な雨で紅葉はすべて流されてしまい、しかたなく日本の浅草橋で買ってきた人工の紅葉(歌舞伎用)をスタッフ全員で森の木に付けて回ったそうだ。 また、本物の虎が出るシーンがある。最初、ソ連のスタッフ(モスフィルム=当時は当然国家機関である)が、動物園かどこかで飼いならされた虎を連れてくるが、黒澤が気にいらず「目が死んでいる!野生の虎を連れて来い!」。それから野生の虎を捕獲するチームがわざわざ結成され、苦労の末本当に捕まえてきて撮影が行われた。それを聞いたソ連のある監督は激怒して「なぜクロサワばかり特別扱いする!?俺の時はシカ一匹連れて来ないくせに!」とモスフィルムのお偉方に猛抗議した。しかしお偉方は「悔しかったらお前もクロサワの『白痴』や『どん底』くらいの傑作を撮れ!そしたらシカ百匹ぐらいくれてやる!」と一喝されたという。因みにこの虎、さすがに迫力たっぷり。ソ連のスタッフが「虎は水を嫌う」ということで、カメラの方に来ないように虎との間に大きな水を張った溝を作って撮影が行われたのだが、野生の虎は平気で水に飛び込んでやって来て、スタッフ一同逃げ回るというハメに陥った。その他のエピソードはこちらにも。
Dersu Uzala
受賞記録
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1980年 |
影武者 |
東宝=黒澤プロ |
黒澤明、井手雅人 |
仲代達矢、山崎努、隆大介、萩原健一、根津甚八、大滝秀治、油井昌由樹、桃井かおり、倍賞美津子、室田日出男、志村喬 |
179分/カラー/ビスタビジョン |
実は最初の構想では勝新太郎の実兄若山富三郎が信玄役、勝新が影武者役だった。しかし若山は「勝と黒澤監督は必ず喧嘩する。自分が仲裁をするのは嫌だから」と断り、勝新のみが出演に合意した。しかし若山の予想どおり、世界中が注目していた中で勝新は撮影半ばで降板してしまった。勝新は自分で製作も演出もやる。撮影中に参考にしたいと個人でもカメラを回した。それが黒澤の気にさわりクビにされた(この件についてはいろいろ噂などはある)。影武者の主役は実にコミカルな部分が多く、僕はコメディセンスも抜群の勝新太郎にとても期待していたので、当時とても残念に思ったもんです。萩原健一の自叙伝『ショーケン』によれば、勝新を敬愛する萩原はどうしても出演して欲しいので、撮影現場に現れない勝の元に何度も足を運んで説得したそうだ。ところがその頃の勝は超有名女優(不明)とともに大麻を吸いながら「役作りが難しい…」とか何とか言い、結局降りてしまったそうだ。僕のイメージでは撮影開始早々にクビになったような気がするが、実際は半年も撮影してたとのことだった。この辺の事情は春日太一著『天才 勝新太郎 (文春新書)』に詳しい。 さて、勝が降りることになって代役には三國連太郎、山崎努(別の役で出ていた)、緒形拳、原田芳雄ら大物俳優が候補に挙がっていたが、結局黒澤組常連の仲代が呼ばれ、撮影をやり直した。
黒澤は幻の『トラ!トラ!トラ!』では既存の俳優ではなくズブの素人を使って演出を試みた。変な演技癖のついた役者よりは新味を期待し、また自分の演出に自信があったからだろうが、やはり彼らの演技はうまく行かず大失敗している。しかし、この『影武者』でも同様に数人の素人がオーディションを経て採用された。油井昌由樹はその一人だが、よほど気に入られたのか『乱』『まあだだよ』にも出演した。なお、この映画では早坂死後長年音楽を担当していた佐藤勝も降板し、池辺晋一郎に代わっている。阿藤快(当時阿藤海)は撮影中槍で片目を突かれ眼球が飛び出す大怪我を負った。
ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラが外国版プロデューサー。初めて黒澤の撮影現場に見学に訪れた二人はあまりの感激に感想を聞かれても「ビューティフル!」「エクセレント!」を連発するだけだった。
Trailer: Kagemusha (Akira Kurosawa, 1980)
受賞記録
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1985年 |
乱 |
グリニッチ・フィルム=ヘラルド・エース |
黒澤明、井手雅人 |
仲代達矢、寺尾聰、隆大介、根津甚八、原田美枝子、宮崎美子、野村武司、井川比佐志、ピーター、油井昌由樹、田崎潤、加藤武、植木等 |
162分/カラー/ビスタビジョン |
シェイクスピアの『リア王』を原作に、『デルス・ウザーラ』の次に企画されたものだったが、製作費があまりにも巨額なので東宝から断られたため後回しにされた作品。鉄修理役には何と高倉健がキャスティングされていた!結局諸事情で流れてしまったが、本人もやる気だっただけに残念。この役は井川比佐志になり、役どころも少し改変された。<<<<<準備中>>>>>
Trailer: Akira Kurosawa's Ran
受賞記録
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1990年 |
夢 |
黒澤プロ |
黒澤明 |
寺尾聰、倍賞美津子、原田美枝子、井川比佐志、いかりや長介、伊崎充則、笠智衆、頭師佳孝、根岸季衣、マーティン・スコセッシ |
120分/カラー/ビスタビジョン |
スティーブン・スピルバーグが外国版製作総指揮。望遠レンズの使い方が凄い!<<<<<準備中>>>>>
Mount Fuji In Red
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1991年 |
八月の狂詩曲(ラプソディー) |
黒澤プロ=フィーチャーフィルムエンタープライズII |
黒澤明 |
村瀬幸子、吉岡秀隆、大寶智子、鈴木美恵、伊崎充則、井川比佐志、根岸季衣、リチャード・ギア |
97分/カラー/ビスタビジョン |
村田喜代子の芥川賞受賞作『鍋の中』が原作。ただし物語は一部を使っただけで原水爆問題にテーマを置き換えて作られている。原作者は「面白かったのはラストの嵐のシーンだけ」と述べていた。<<<<<準備中>>>>>
Trailer: Akira Kurosawa's Rhapsody in August
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1993年 |
まあだだよ |
大映=電通=黒澤プロ |
黒澤明 |
松村達雄、香川京子、井川比佐志、所ジョージ、油井昌由樹、寺尾聰、小林亜星、板東英二 |
134分/カラー/ビスタビジョン |
内田百間の随筆を元に百間を主人公にしたヒューマンドラマ。<<<<<準備中>>>>>
Trailer: Akira Kurosawa's Madadayo
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その他黒澤明にまつわるお話など |
黒澤明は編集の天才でもあった。通常、映画監督は撮り終わったフィルムを見て、どこの部分を使うのかを編集者に指示するだけで、細かいところは編集者に任せる。だが、黒澤は自らサッサと編集した。それは専任の編集者が仰天するくらいの早さと正確さだった。しかも黒澤はラッシュが上がる度にその場ですぐに編集した。だから仕上げが楽だったと黒澤についた編集者は言う。 黒澤自身も「編集が一番面白い」ようなことを証言していた。その技術はどこで培ったのかというと、彼がまだ助監督だったころである。戦時中で撮影所はスタッフも徴兵されて激減、政府からの規制もあって自由な映画製作も出来なかった時期で、残った皆は仕事がなくてブラブラしていた。そんな中、黒澤は編集室に潜り込み、一人せっせと編集をしていた。 何を?それは編集室に残っていた、昔の映画のNGフィルムやゴミフィルムで、それを片っ端から見て、繋いでみていたのだ。やがて、それは1本のショートフィルムになった。黒澤は撮影所の映写室を借り、仲間を呼んでそれを試写した。 …それは皆が椅子から転げ落ちるほど大爆笑の映画(もちろん無声)に仕上がっており、大評判となって同僚や撮影所長をはじめとする上司が次々に集まった。その一人が腹を抱えながら「黒澤!俺を笑い死にさせる気か!」と怒鳴ったという。黒澤の天才ぶりはこうして撮影所皆に知れ渡ることになった。これが実は幻の黒澤映画デビューなのだが、もちろん現物は残されてはいない。う〜ん、見たかった! |
参考書 |
遺作となった『まあだだよ』のメイキング映像が残っている。 主人公内田百關謳カは松村達雄が演じた。先生の回想の部分で、士官学校(?)の教室が撮影現場である。教室で学生たちがタバコを吸って寛いでいるところに松村演じる先生が入って来て、「教室でタバコを吸ってはいかん!」と窘めるというシーン。 出来上がった映画を見るとわずか数分の何気ないカットなのだが、メイキングを見ると何十回もNGが出されている。松村の演技が、黒澤がどこか気に入らないのだ。松村もいろいろ考えて少しずつ演技を変えてみるのだが、黒澤はそのたびに「違う!もう一回!」「さっきのがどうしてできないんだ!やりなおし」「だからそこが違うんだ!」と次第に黒澤はいらだって来て、最後は松村に向かって「違う!このデコ助がっ!」。 もう80歳になろうとしているベテランの大俳優に向かって「デコ助」である。凄い…。結局この演技のどこが違うのかよくわからなかったが、黙々と演じてみせる松村には本当に脱帽でした。それと、同じ教室でじっと座っている学生たちを演じた俳優たち(吉岡秀隆がいた)もご苦労さんでした。黒澤の迫力と目の前で叱咤される松村を見てて、肉体的にも精神的にも相当きつかったでしょうね。 | このDVDの特典映像に入ってたかどうかは不明です。すみません。僕は衛星放送で見ました。
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東京には「黒澤」のブランドを使った飲食店のチェーンがあります。いずれも「黒澤」または「くろさわ」という店で、蕎麦屋、うどん屋などがあります。店の内装外装をはじめとするコンセプトは黒澤プロダクションが企画・監修しており、黒澤映画の時代劇に出てくるような作りとインテリアが使われていて、ファンにはとても楽しいテーマパークではないでしょうか。味の方も、食通でも知られた黒澤のこだわりが活かされています。
僕は以前の仕事先が近かったので麻布十番のうどん「くろさわ」には何度か行きました。ここのカレーうどんは絶品でした! 詳しくは「黒澤」公式サイトへhttp://www.9638.jp/index.html 黒澤監督にまつわるコラムもあり、お店の食材の購入もできます。 | こちらでも買えます↓
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黒澤が映画賞以外に外国から殊勲あるいは受賞した賞は以下。
1965年 マグサイサイ賞ジャーナリスト文学賞(フィリピン。「アジアのノーベル賞」と呼ばれる賞)
1971年 ユーゴ国旗勲章(旧ユーゴ。当時のチトー大統領から授与された)
1984年 レジオン・ドヌール・オフィシェ勲章(仏)下の賞より一等下位にあたる。
1985年 コマンドゥール勲章(仏)ナポレオンが創設した賞で、文化の分野では最高位にある。つまり黒澤は2年続けて受賞した。
1986年 イタリア共和国功労勲章騎士大十字勲章(イタリアで第二位目の勲章だが実質最高位にあり、外国人には与えられることは少ない)
そしてやっと日本から文化勲章をもらった。大江健三郎の時はノーベル賞受賞してから文化勲章が決まった(大江は拒否)。その時思ったが、日本政府の「日本の文化人に対する認識」ってこんなものなのかと。海外の評判を聞いてから決めるなんて。
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1976年、貝塚茂樹や井上靖らとともに文化功労者になった黒澤は、その授賞式の席で昭和天皇にこう尋ねられたという。
「あなたの映画でどの映画が一番傑作ですか?」
それに黒澤はこう答えた。
「私の作品に傑作はありません。あるとすればそれは私がこれから作る作品です。芸術家にとって傑作とはすべて未来の作品なのです」(貝塚博士が梅原猛に話した内容による。梅原猛著『梅原猛著作集 日本学事始』より)
創造意欲が死ぬまで絶えることが無かった黒澤らしい力強い言葉だ。確かチャップリンやピカソも同じような言葉を残しているが。
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『用心棒』に出ていた女優司葉子は後に政治家の妻となったが、国際会議のため夫に付き添って海外に出かけることも多かった。ある国際会議中に妻たちだけが集まったパーティがあった。お互い言葉も違うし共通の話題も無いのでなかなか盛り上がらなかったが、誰かがクロサワの話をしたら急に場が華やかになった。司が「実は私は日本では女優でクロサワ映画に出たことがある」と言ったら、皆がもの凄く驚いて尊敬の眼差しで見られ、根掘り葉掘りクロサワのことを尋ねられたという。司は改めて黒澤明の偉大さを実感したと述べていた。因みに司はビートルズ来日公演を観ている。 | |
橋本忍は『羅生門』の脚本作成で黒澤を大いに助けて以来、小國英雄、菊島隆三、井手雅人、久板栄二郎らと共に黒澤の最盛期を支えてた名脚本家である。黒澤以外にも小林正樹の『上意討ち』や野村芳太郎の『砂の器』、森谷司郎監督の『八甲田山』、テレビドラマ史上屈指の傑作『私は貝になりたい』などの名作も残している。オリジナル脚本の『生きる』は、彼が競輪で全財産を叩き、食事も出来ず帰りの電車代も無くなって彷徨ったという経験がモチーフとなった。また『七人の侍』は「侍はどんな生活を送っていたのか?」という疑問から端を発し、戦国時代に貧乏侍が雇われて村の寝ずの番をしたという資料を見つけ出し、それをもとに物語を膨らませた功労者である。しかし、1982年、製作・脚本・監督を担当した東宝創立50周年記念映画『幻の湖』が公開1週間で打ち切りになって以来、際立った活動をしていない。『幻の湖』は『シベリア超特急』『北京原人』と並ぶ日本3大アレ映画としてつとに有名である。 | 誰も止めることが出来なかった…いや、彼女の走りのことではないですよ。 複眼の映像 私と黒澤明 脚本家・橋本忍の世界 という研究書がある。
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黒澤明のファミリーについて
黒澤喜代:黒澤明夫人。矢口陽子という芸名の女優で『一番美しく』に主演していた。1945年5月、山本嘉次郎夫妻の媒酌で結婚。1985年死去。
黒澤久雄:長男。1945年12月生まれ。つまり「できちゃった結婚」だったんですね(堀川弘道の本によれば戦争真っ最中で記念写真なども空襲で焼け、正確にいつ結婚式を挙げたのかわからないらしい)?大学時代にフォークバンド"ブロード・サイド・フォー"を結成し『若者たち』がヒットする。その後タレントとして活躍。現在は黒澤プロの代表として映画プロデューサー、著作権管理などの事業を主に行っている。元妻はアイドルタレントの林寛子。子ら優、萌もタレントになった。愛称クロパン。
黒澤和子:長女。1954年生まれ。『八月の狂詩曲』から衣装デザインを手がけ、父の死後も黒澤組の映画では衣装デザイナーとして参加している。『シルク』にも参加。黒澤映画に欠かせぬ名脇役加藤大介の息子加藤晴之と結婚して加藤隆之(俳優)を生んだ。(現在は離婚)。加藤大介は沢村国太郎の息子で、姉は沢村貞子。甥が長門裕之・津川雅彦ら映画・演劇界で大きな勢力を持つ「マキノ一族」だったので、黒澤はマキノ系とも親戚だったわけだ。
笈田敏夫:日本のジャズシンガーの草分けで紅白にも出場した大物歌手。石原裕次郎主演映画『嵐を呼ぶ男』にも出演した俳優。妻喜代の妹の夫で、黒澤の狛江の家に一家で同居していた。愛称はゲソ。2003年死去。エッセイシスト島敏光の父。
| 黒沢明のいる風景 黒澤の甥が語る人間クロサワ。『トラ!〜』では、撃墜された戦闘機が、ゴルフ場の芝生を削りながら不時着する。やっとこさ脱出したパイロットの目の前に「削ったターフは元にもどしましょう」という看板がある、というシーンを構想していたそうだ。黒澤が著者にだけ語ったアイデア。今ならスピルバーグやランディスがやりそうですね。
ザ・ブロードサイド・フォー&60’s カレッジ・フォーク・コレクション |
『炎のランナー』『キリング・フィールド』などで知られるイギリスの映画プロデューサー、デビッド・パットナムは、東京国際映画祭で尊敬する黒澤に会い、サインをねだった。ところが紙もペンも持ち合せてなくて、しかたがなく持っていた白いハンカチに、通りがかった女性の口紅を借りてサインしてもらった(絵も描いたらしい)。それを宝物にしている。 |
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第62回アカデミー賞授賞式(1989年度)は1990年3月26日、米LAのドロシー・チャンドラー・パビリオンでおこなわれた。黒澤は特別名誉賞”Honorary Award”を受賞。プレゼンターは、ジョージ・ルーカスとスティーブン・スピルバーグだった。
名誉賞受賞理由は以下(英文)
“For cinematic accomplishments that have inspired, delighted, enriched and entertained worldwide audiences and influenced filmmakers throughout the world.” 直訳すると「世界の観客たちに触発を与え、喜ばせ、心を豊かにさせ、楽しませた。そして世界すべての映画製作者たちに影響を与えた映画上の業績に対して」。
黒澤作品数本の名場面を編集したものが会場でも映写された。
黒澤のスピーチは以下。
「このような立派な賞をいただき誠に光栄です。しかし私がそれに値するかどうか少し心配です。なぜなら、私は、まだ映画がよくわかっていない…。まだ映画というものを、はっきりと掴んでいない気がするからです。映画というものは素晴らしい。これからも映画という素晴らしいものを掴むために努力するつもりです。それこそがこの賞に応える唯一の方法だと思うからです」
その壇上で、3日前に80歳になった黒澤に、日本から衛星を通じた黒澤組の皆さんからのお祝いの映像が流された。代表として「黒澤さん、コングラチュレーション!」と述べたのは笠智衆であった。こちらも参考に。
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Akira Kurosawa授賞式 ジェーン・フォンダやトム・クルーズ&キッドマン、ローラ・ダーンらの姿が見える。
ジョージ・ルーカスの黒澤評「私がフィルムスクールで初めて出会った黒澤作品は『七人の侍』だった。『七人の侍』は私に途方もない衝撃を与えた。私はそれまであのように力強く、しかも映画的なものを見たことがなかった。私がその文化や伝統を理解していない事など問題にならないくらい、とても激しく感動した。あの瞬間から現代まで黒澤作品は、私の創造的インスピレーションの最も力強い源泉の一つになっている」(『黒澤明監督作品・解説合本』より) |
藤子不二雄Aの漫画家を目指す二人の少年の成長を描いた実録青春漫画『まんが道』に、(長編なのでどこに出てたか忘れたが)若き日の黒澤のエピソードが紹介されている。こんな話だ。
若い頃、助監督として活躍していた黒澤。ロケ先で昼間の重労働が終わって、スタッフ皆が疲れて泥のように眠っている真夜中にたったひとり机に向かってシナリオを書いている男。それが黒澤だった。その姿を偶然目を覚ました他の助監督仲間(本多猪四郎か谷口千吉か?)が見て驚愕するのだ。その時、その同僚は「黒澤には一生勝てない」と思ったという。 藤子A先生は、「天才が努力するなら、凡才は勝てない。天才以上の努力をせねば!」と決意を新たにするという良いシーンだった。因みに藤子不二雄Aは『用心棒』を漫画化している。
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東宝の音響部にいた技師、三縄一郎は『蜘蛛巣城』では三船の首に刺さる矢の「ブスッ」という音を作って注目を浴びた。『用心棒』では時代劇で初めて人を斬る音を作って入れた。今では当たり前になってしまったが、この映画まで人を斬る音なんて無かったのだ。いろいろな肉を実際切って作ったのだが、一番良かったのは豚肉だったそうである。彼は『ゴジラ』など怪獣の鳴き声も創出している。もともとは音楽家だった。 |
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戦後間もない頃、黒澤と堀川弘道が銭湯に行った。裸になって脱衣場から風呂場に入ると、客たちがアチアチ言って湯船に入っていない。浴槽のお湯が熱すぎ、しかも蛇口が壊れていて水が出ないので薄めることができないのだった。洗い場の蛇口も2、3箇所しか使えない。皆どうしようもなくてウロウロしているばかり。ところが黒澤はすぐに「皆で桶を持ってバケツリレーで水を入れましょう。一列になってください」と提案し、さっさと指示を出した。客は黒澤の指示で浴槽に水を入れていき、やがて適温になり、無事入浴できた。人の上に立つ人というのはきっとこういう人をいうのだろう。(堀川弘道『評伝 黒澤明』より |
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黒澤明の絶筆 「私の孫・加藤隆之が俳優に成ると言う。映画界に入って六十年を過ごして来た古狸だというのに、いざ孫のことになると、どうして良いのか分からない。 隆之は料理が大変旨い。何時も美味しいものを私に作ってくれる。 私そっくりのヒューマニストの泣き虫だ。 その素質を、引き出して育ててくれることを影ながら祈るばかりである。 私の孫であることで、肩身の狭い思いをすることと思う。それだけが心配である。 自分の映画の試写会よりも、数倍緊張してしまう。重ね重ね宜しく頼むという気持ちで一杯です。 まだ海のものとも山のものとも分からない若輩ものであります。 どうぞ厳しくご指導ご鞭撻の程お願いしたい。黒澤明」 (堀川弘道『評伝 黒澤明』より) この手紙は亡くなった数日後9月24日に関係者に発送されたものだそうだ。「天皇」とまで言われ畏れられた大監督のイメージは無く、孫想いの好々爺ぶりが窺われる。どんなに孫の成長を見たかっただろう。
| 加藤隆之は黒澤の愛弟子小泉堯史監督の『明日への遺言』に主人公岡田資(藤田まこと)の長男陽(あきら)役で出演している。この映画の衣装担当は母黒澤和子である。次回作は橋本忍脚本の名作リメイク『私は貝になりたい』。偶然だろうが2作品とも日本の戦争犯罪を題材にしている作品である。
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僕は一度だけ黒澤明と遭遇したことがある。遭遇というのは話をしたわけではなく、ただ、一緒に映画を見ただけなのだ。でも凄いでしょ?へへへこれは自慢話。学生の頃だが『レイダース/失われたアーク』という映画の試写会があり、僕は大学の先輩に券を貰って行ったのだが、その時はこの映画についての予備知識がほとんどなく、製作:ルーカス・監督:スピルバーグ・主演:ハリソン・フォードということだけが分かっていたので期待して行った。ところが試写会場(確か日比谷みゆき座だったと思うが)に着いて驚いた。それはいわゆるプレミア試写会であり、各界の紳士淑女たちが招待されていたのだ。ホールには映画評論家や当時売れっ子のタレントもいっぱいいた。席が決められていたのだが、座ったら斜め前には何と石森章太郎先生が座っておられる!子どもの頃から慕っていた先生が目の前にいるんだ。ビクビクもんだ。そのうち上映時間になったがなかなか始まらない。すると2階席が何か騒がしくなって、見上げると2階席の真ん中の一番前の特等席に座った人がいた。それが黒澤監督だった。黒澤はとても上機嫌でニコニコしてた。わあお!鳥肌が立った。そしてようやく映画が始まったのである。映画はとんでもなく面白かった!学生の僕にとっては夢のような2時間だった…。 で、その数年後会社に入って縁があって『レイダーズ』のビデオソフトの字幕製作を担当することになった。仕事で見直したのだが、よく見ると実にラフな作りでなっちゃいない!って気がついた(やっぱりビデオで見るもんじゃないのかもね)あの時黒澤はあの映画をどう思ったのだろうか?(彼はあまり他人の映画をとやかく言わないので)と今感慨深く思う次第です。 |
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