外国映画の邦題についてその2。どうも昔から気にくわないタイトルってありませんか?今日は、僕が感じた、変なタイトル、意味不明のもの、やめてくれ!タイトルを紹介します。(例によって原題は直訳)
まずは『クレイマー、クレイマー』。この名作の原題は『クレイマー対クレイマー』である。この映画を見た人ならお分かりだろうが、この「クレイマー」とは主人公夫妻の名前である(「クレームをつける人」ではない)。まさにクレーマーさん同志が裁判などで争うわけで、タイトルを聞けば「おや?」と興味が湧くような仕掛けになっている。ここに原題のうまさがある。クレイマー句点クレイマーでは、全く意味が伝わらず、かえって興味を失わせる。これなら『クレイマー夫妻、我が子争奪戦!』とでもした方がマシだ。
次に『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!』だ。原題は『ある辛かった日の夜』(翻訳すると岡林信康の歌みたいだな)だが、ビートルズファンは単に『ハード・デイズ・ナイト』と、映画のタイトルも曲名も言うようにしている。調べたら日本劇場公開は1964年8月1日。ユナイト映画配給だ。そう、あの水野晴郎先生がおつけになったタイトルなのでした。さすがにハイセンスだ。因みに"A
Hard Days Night"とはリンゴ・スターが何気なく口にした言葉で、それをジョン・レノンが曲にし、映画のタイトルにしたのだった。さて、僕が許せないのはその後の別な映画のこと。ポール・マッカートニーの『ヤア!ブロード・ストリート』1984という映画だ。原題は『ブロード街へ向けた私のまなざし』とでも訳すか。(下手だ。”GIVE
MY REGARD TO BROAD STREET”です)これにこんな邦題をつけたたぶんじいさんどもの思惑。たぶんこんなだったろう。以下、想像です。
「この映画の主演の”ぽーる・まっか〜…”って誰じゃ。聞いたことのない俳優じゃな」
「それは元ビートルズらしいぞ。ほれグループサウンズの」
「ああ、じゃあほれ、ビートルズの映画で昔流行ったのがあったろう?」
「調べたんじゃが『ヘルプ!4人はアイドル』だな」
「うんうん、じゃあそのタイトルのどっか一部を借りて…『ヘルプ!ブロード街』、どうじゃ」
「なるほどさすが長老!しかしこの映画、主人公が逃げてないみたいだが。それにどっかに「ビートルズ」を入れんと昔のファンが分からんだろう」
「じゃあ『元ビートルズのブロード街・アイドルは1人』はどうじゃ」
「なかなかグーじゃ。まてまて、他に『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!』というのがあったぞ。ほれ、水野晴郎君がつけたタイトルじゃ」
「ほお!それじゃそれじゃ。やっぱりナウいヤングのセンスは活かさないとのお。ぜんぶカタカナにして『ブロードストリート、ヤア!ヤア!ヤア!』、どうじゃ、これならビートルズファンも喜ぶし、イカすだろう」
「ちと、長過ぎるのお。もっと削って『ヤア!ブロード・ストリート』、どうじゃ」
「おお決まりじゃ。すっきりシンプル・イズ・ベストじゃ」
「決まりじゃ決まりじゃ」…
これはそんなにはずれていないと思う。昨日の日記にも書いたが、業界で自分がタイトルをつけるという立場を経験すると、どうもこういう事情が見えて来てしまってよけいに嫌になる。
さて、外国語(ここでは英語)の冠詞、複数形には大きな意味があるわけだが、日本人はそれをおろそかにする場合が多い。たとえば定冠詞の”the”は母音の前につけば「ジ」となるのだが、邦題では無視をして『ザ・アマチュア』とか『ザ・アンタッチャブル』とかつける。単にはずしてしまう事も多い。また『エイリアン』は2作目の原題は『エイリアンズ』という複数形だった。両方の映画を見れば一目瞭然なのだが、2作目はエイリアンがたくさん出て来るからで、しゃれたタイトルだ。しかし邦題は単に『エイリアン2』になった。日本語では伝えにくい微妙なニュアンスだ。つける方も分かってて泣く泣く別の日本人に分かりやすいタイトルをつけるのだろう。
最後に、良い邦題で何年もそれに親しんでいると、原題を聞くとかえってギョ!とすることがある。これは本や曲名にも言える。僕の好きなプログレ・ロックには、邦題の抜群なものがたくさんある。例えばピンク・フロイドの『原子心母』(原題=『原子、心、母』あ、同じか)、『狂気』(原題『月の暗い方』)、EL&Pの『恐怖の頭脳改革』(原題『脳みそサラダ外科医』)、イエスの『危機』(原題『崖っぷち』)、ユーライア・ヒープの『対自核』(原題『自分自身を見つめて』)、あとフランク・ザッパのいくつかのタイトルもぶっ飛んでいるが、ファンにはもうおなじみになってしまっているものがほとんどだ。さて、ここで僕の気になっているのがひとつ。プログレの中で一番好きなバンド、キング・クリムゾンの最も有名な曲『21世紀の精神異常者』というタイトルが、最近の再リリース盤では『21世紀のスキッツォイド・マン』となっていること。これは「精神異常者」なる言葉が「言葉狩り」に引っかかるのだろうか?ちょっと納得いかないなあ。それから映画でも『気狂いピエロ』は最近では『ピエロ・ル・フ』と単にフランス語を音訳しただけのタイトルに替えられている。固有名詞として一般に定着してしまったものは変えることはできないと思うのだが、どうでしょう?