かまち潤著 『TVコマーシャルと洋楽コマソン40年史―1970~2009年』 洋楽入門書のバイブル『ロック決定盤』や当サイトでも日本を歌った外国人特集のコーナーで紹介した『日本人が愛した懐かしの洋楽ポップス事典』の著者、かまち潤氏による決定版が出版されました。さすがの一言に尽きますね!
アマゾンの紹介文:本邦初、CMレコード・ジャケット多数掲載!「マンダム」から始まったニッポンの洋楽コマソン旋風。ヒットの法則を変えた洋楽コマソンと企業の関係とは! 1970〜2009年まで40年間の採用メーカー別使用楽曲一覧、アーティスト別使用楽曲一覧、年度別使用楽曲一覧など、巻末資料は永久保存版。
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三菱電機 わたしもユーザーです2「静止気象衛星ひまわり」篇 エディット・ピアフ 『ばら色の人生 La Vie en rose』
スタンダード中のスタンダード。『愛の讃歌』と並ぶエディット・ピアフの代表曲で、1947年にリリースされて以来、世界中の音楽家にカバーされている。映画の中の挿入歌にもよく使われていて、『麗しのサブリナ』の中ではオードリー・ヘップバーンが歌っていた。1998年になってグラミー名誉賞を受賞。作詞はピアフ、作曲はルイギ(ルイ・グリェーミ)ともマルグリット・モノ(愛の讃歌の作曲者)ともいわれるが、実際はピアフ自身が作曲したらしく、当時著作権の問題があって彼女らの名を借りた?という複雑な経緯がある。日本でも越路吹雪、美空ひばりをはじめ多くのミュージシャンに愛されカバーされている。『バラ色の人生』という邦題だとピンと来ない人もいるかもしれないが、フランス語の原題をカタカナにした「ラ・ヴィアン・ローズ」と読むと、さまざまな映画やドラマ、伝記などのタイトル、店名、施設名などの固有名詞に使われているので結構日本人にもお馴染みかも。 アニメ『機動戦士ガンダムZ』の中に出てくる宇宙戦艦(正確には戦艦の整備に使うドック)の名前にも『ラビアンローズ』と名づけられている。これ→
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スズキ ワゴンRスティングレー ジャニス・ジョプリン 『ジャニスの祈り(ムーブ・オーバー) Move Over』
水原希子が出演するCM。わずか27歳で亡くなった、天才女性ロックシンガー・ジャニスの遺作となったアルバム『パール』の第1曲め。彼女の代表曲ともいえる。『パール』は全米で9週連続1位を記録し、今なお多くの人達に愛聴されている名盤である。因みに「パール」とはジャニスのニックネーム。僕は初版のレコードを持っている(正確には兄のもの)のだが、ライナーノーツに「『生きながらブルースに葬られ』はジャニス死亡のためボーカルが録音されていません。」云々のお断りが載っていてショックを受けた記憶がある。
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富士フィルム デジカメX-T1「ハービー山口」篇 シンディ・ローパー 『トゥルー・カラーズ True Colors』
紅白出場歌手シンディ・ローパーがしっとりと歌うバラードの傑作。『ハイスクールはダンステリア』と並ぶ彼女の代表曲。シンディは「日本のファンがライブで初めて一緒に歌ってくれた曲」と日本のファンに特別な思いを寄せている。全米で2週連続1位になった。マドンナの『ライク・ア・バージン』の作詞・作曲コンビ、ビリー・スタインバーグとトム・ケリーが作り、シンディ自ら手を加えて出来上がった曲。後にフィル・コリンズがカバーしこちらも大ヒットとなっている。 余談だがCMに出演するハービー山口は世界的に有名なカメラマンで、特にロックアーティストたちを撮った写真で名高い。僕は『London―After the dream』という写真集を持っているのだが、英国ロックスターたちのさりげない日常の写真が満載で、僕の宝物の一冊であります。
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NTTdocomo 「学割」篇 ワン・ダイレクション 『ストーリー・オブ・マイ・ライフ Story of My Life』
イギリス出身の男性5人組の曲でCM出演もしている。今最も世界で売れているアーティストと言っていいかも。アイドル番組の審査員でも知られるプロデューサー、サイモン・コーウェルによって結成された「人工の」アイドル系5人組だが、ビートルズやエルトン・ジョンを越える驚異のセールスを上げ、イギリスポップ史を塗り替える勢いだ。『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』は2013年末に発売された彼らの3枚目のアルバム『ミッドナイト・メモリーズ(夜中の記憶)Midnight Memories』に収録されている。このアルバムは全英・全米ともに1位を記録した。因みに同アルバムの『ベスト・ソング・エヴァー』のPVにはメンバーが真っ赤な法被を着ているシーンが一瞬登場する。『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』のPVも感動物だ。
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スズキ アルト 「ご当地キャラ」篇 オアシス 『スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス Supercalifragilisticexpialidocious』
1964年のディズニーのミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の中に登場する挿入歌。『チム・チム・チェリー』と並ぶ代表曲である。作詞作曲はロバート&リチャードのシャーマン兄弟。タイトルは造語で当時「最も長い単語(34字)」として知られ、今でも「長ったらしい言葉」の代表格であり早口言葉としても使われることが多い。意味は特に無く「何でも解決できる魔法の言葉、呪文」として登場するのだが、強いて翻訳すれば「最高に繊細な美しさを通して償いつつ教育できる」そうである。結局何のことかさっぱりわからんわい。
作曲賞をはじめ5部門でオスカーを受賞した、「映画」としても最高の作品だが、挿入されるすべての曲が素晴らしい出来で、サントラを聴くだけでも価値がある。ミュージカルは星の数ほどあるが全く稀有な作品だ⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒
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au 「PERFECT SYNC.」篇 オアシス 『ドント・ルック・バック・イン・アンガー Don't Look Back In Anger』
兄のノエル・ギャラガーが弟のリアムに代わりリード・ボーカルを手がけている。オアシスの最盛期といえるこの時期に発表されたアルバム『モーニング・グローリー』に収録されている。このアルバムはオアシスの、というよりは「90年代を代表するロックの名盤」といえる名盤。イントロはジョン・レノンの『イマジン』にインスパイアされている。日本映画『BECK』のエンディングテーマにも採用されていた。
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ソニー生命 篇 エルトン・ジョン 『僕の歌は君の歌 Your Song』
1970年発表のエルトン2枚目のアルバムのタイトル曲。アルバムは全英4位となる大ヒットを記録、当時グラミー賞最優秀アルバムと新人賞にノミネートされ、エルトン・ジョンの名を一気に世界に知らしめた作品だ。そのアルバムの一曲目で、今なおエルトンの代表曲として知られる。パートナーだった作詞家バーニー・トービンが詞を渡してわずか10分でエルトンが曲にしたという伝説がある。ピアノは聴きやすいがかなり複雑で、さすが神童と呼ばれ王立音楽院に学んだエルトンの真骨頂だ。これを弾きながら歌うのは並みのミュージシャンでは至難の業だろう。
この曲は日本のCMでも引っ張りダコで1987年には日産マーチ、2000年NTT東日本、2001年PCA生命、2005年デンソーに使用されている。(『TVコマーシャルと洋楽コマソン40年史―1970~2009年』より)
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通算3億枚を越える稀代のヒットメーカー、エルトン・ジョンの快進撃はここから始まった!
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ホンダ ステップワゴン「Spot Light」篇 ミュージカル『スイート・チャリティ』挿入歌 『ビッグ・スペンダー Big Spender』
1966年にブロードウェイで上演されロングランを記録したミュージカル『スイート・チャリティ』の挿入歌で、作曲はサイ・コールマン、作詞はドロシー・フィールズ。『スイート・チャリティ』はイタリアの巨匠フェリー二監督の『カリビアの夜』をニール・サイモンが翻案し、ダンスを前面に押し出したもので、トニー賞12部門にノミネートされ、今なお世界のどこかで上演されるほどの名作。1969年には自らがダンサーで振付師だったボブ・フォッシー監督&シャーリー・マクレーン主演で映画化もされている。『ビッグ・スペンダー』はこの作品の中で『If My Friends Could See Me Now』(三谷幸喜の『The有頂天ホテル』で使われていたっけ)と並んで最も知られている曲で、舞台でも映画でも最高の見せ場である。 また、1975年〜1976年ごろにはクイーンのコンサートの真ん中あたりの一番盛り上がっている時間に『監獄ロック』とのメドレーでよく演奏されていたため、クイーンファンにはよく知られた曲でもある。
この頃のシャーリー・マクレーンはお色気たっぷりで最高だったねえ!→→→
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ホンダ フィット「なじんでいく編」他 映画『昼下がりの情事』挿入曲 『魅惑のワルツ Fascination』
CMは日本歌謡界の女王・美空ひばりが歌うバージョン。美空ひばりは演歌だけでなく、こういう洋楽や民謡・童謡を歌わせても抜群のうまさだった。映画は1957年、ビリー・ワイルダー監督によって作られたロマンティックコメディの傑作。ゲーリー・クーパー、オードリー・ヘップバーンが主演。クーパーが演じた役は当初ケーリー・グラントかユル・ブリナーが予定されていた。映画音楽は巨匠フランツ・ワックスマンで、挿入曲『魅惑のワルツ』だけはイタリアの作曲家フェルモ・マルケッティが1904年に作曲したもの。以前はエステのたかの友梨とノエビア化粧品CMでも使われていた。
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三井不動産レジデンシャル Park Homes ビリー・ジョエル 『ピアノマン』
ビリー・ジョエルは長い下積み生活を積んだ。メジャーデビューはしたものの全く売れず、この曲をタイトルにしたアルバムが1973年にヒットしてようやく認められた。ピアノマンとはもちろん自分自身のことで、安酒場でピアノ弾きをしていた下積み時代、誰も聴いちゃいない現場の自分を歌ったものだ。この曲は何度かCMに採用されているが(2004年の東京電力など)、この曲で日本のCMに出演した実績もある。詳しくはこちらへ。
私の記憶が確かならば、2005年にイギリスの海岸でびしょぬれになって見つかった記憶喪失の男性は、ピアノが非常に上手で「ピアノマン」と呼ばれていた。そんな事件がありましたよね。この曲とは全く関係ないが。
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スズキ 新型ワゴンR TOTO 『子供の凱歌 - Child's Anthem』
渡辺謙が出演するCM。TOTOの記念すべきデビュー作『宇宙の騎士 原題TOTO』の1曲目、つまり最初の最初の曲。クラシック曲のような壮大なイメージのインストルメンタル曲である。キーボードのデビッド・ペイチの作。1978年発表なのでもう34年も前なんだなあ…。TOTOは全員が有名なスタジオミュージシャンなので、デビュー作とは思えない完成度のアルバムだった。圧倒的な演奏テクニックと完璧なコーラス、それでいてプログレのようなマニア受けするような曲ではなく、非常に聴き心地の良い楽曲のオンパレードで、『ジョージーポーギー』や3連符の嵐『ホールド・ザ・ライン』などは今聴いても素晴らしいの一言。 このメンバーが集まったのはペイチとジェフ・ポーカロ(ドラム)が高校でバンドを組んだことがきっかけだった。ペイチもポーカロもジャンルは違うが父親がハリウッドで活躍する音楽家だった。ポーカロには担当楽器がそれぞれ違う弟たち(マイクがベース、スティーブがキーボード)がいたのも幸いで、それぞれ活躍していた彼らもメンバーになった。だからこのメンバー集合は何だか奇跡のようなそれでいて必然のような感じ。『スター・ウォーズ』や『インディー・ジョーンズ』の映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズの息子ジョセフもペイチたちの幼馴染で、ボーカルとしてTOTOに所属していたこともある。ジョセフはどーゆーわけか山下達郎ら日本人アーティストの英語カバーも手がけている(こちらを参照に)
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富士フィルム スキンケア化粧品 アスタリフト アート・オブ・ノイズ 『ロビンソン・クルーソーRobinson Crusoe』
小泉今日子と松田聖子が共演するCM。
アート・オブ・ノイズは「正体不明のバンド」として、ロックでもないジャズでもないクラシックでもない「アンビエント」「実験音楽」「ヒーリングミュージック」といえる独特な音楽で、1980年代に世界を席巻したグループ。実はバグルスやイエスで活躍したトレバー・ホーンがプロデュースなどで大きく関わったユニットだった。日本のマジシャン・Mr.マリックのテーマ『レッグス』や、CGキャラの草分け・マックス・ヘッドルームが出演した『パラノイア』、トム・ジョーンズが歌ったプリンスの『KISS』などのヒットで日本でも良く知られる。 このCMで使われた『ロビンソン・クルーソー』はFM東京(現TOKYO FM)の深夜の人気番組『JET STREAM』の金曜のエンディングテーマとして長く親しまれた。この曲を聴くと「あ〜一週間終わった〜」という気分になるのは僕だけではないはず。故・城達也のナレーションで1967年に始まったこの番組は、日本のFM史上最長の番組で、今も大沢たかおのナレーションで続いている。
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IHI 企業CM「あなたに見せたい地球がある。」篇 クイーン 『手をとりあって Teo Torriatte (Let Us Cling Together)』
手蔦葵が歌うバージョン。かつて東芝のオーディオプレイヤーのCMにも使われていた。アルバム・シングルの合計総売上げが世界歴代5位というクイーンは、まだ売れない頃、日本のファンに支えられていたというのは有名な話。それに応える形で日本語タイトル・詞のこの曲をリリースした。日本盤のみのボーナストラック?と勘違いする人がいるが、クイーンのオリジナルアルバム『華麗なるレース』のラストを飾る曲としてしっかり収録されていて、クイーンファンならどこの国の人でもこの歌を日本語で歌えるのだ!作詞・作曲は天文学博士ブライアン・メイ。日本語歌詞はチカ・クジラオカ(当時クイーンの通訳だった)が担当している。ライブではメイ博士がピアノで演奏していた。
詳しくはクイーンの項も参照にしてください。
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『オペラ座の夜』の大ヒットの次の作品で、コンセプトなどは良く似ている。だが、このアルバムの収録曲はメンバー各人の個性が発揮され、多彩で前作を凌ぐクオリティーだと思う。
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ロッテ ガム ACUO ラロ・シフリン 映画『燃えよドラゴン ENTER THE DRAGON』のテーマ
松坂桃李が出演し、ブルース・リーの怪鳥音にひっかけて「かちょ(課長)〜〜っ!」などと叫ぶ世にもくっだらないCM。『燃えよドラゴン』については書き尽くせないくらい話があるが、僕がこの映画を観に行ったのは、1973年末の公開直後だった(中学生の時)。友人4人くらいで観たのだが、映画館出た直後から、全員がブルース・リーのような歩き方をしていたっけ。大学で偶然再会した中学の時の同級生が、体育会空手部に所属するほどの有段者だったが、もともと体育系ではなかったので「なんで空手?」と聞くと「あの時『燃えよドラゴン』を観たから」と答えていた。僕らの世代ではそれほどインパクトがあったのだ。 サントラの作曲家ラロ・シフリンはアルゼンチン出身。父親が指揮者だったこともあって幼い頃からピアノを始め、パリ音楽院に留学してクラシックを修めた。後にポピュラーに転じ、ジャズやラテン音楽のピアニストとして知られるようになった。1950年代末からMGM映画の作曲家として注目を浴び、以来映画とテレビドラマを多数手がける巨匠である。グラミー賞4回、アカデミー賞は6回ノミネートされている。主な作品としては三船敏郎が主演した『太平洋の地獄』、『ブリット』、『ダーティハリー』シリーズ、最近では『ラッシュアワー』シリーズなど。テレビでは『0011ナポレオン・ソロ』、『マニックス』、『スタスキー&ハッチ』、そして何と言っても代表作は『スパイ大作戦』。映画『ミッション・インポッシブル』シリーズでもこのテーマ曲は現代風にアレンジされて使われている。ジャズ、ラテン、クラシックに通じている映画音楽家はラロひとり。もう80歳を越えるが、長生きしてほしいものですね。僕個人は『マニックス』のテーマの弾むようなリズムが大好きです。
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武道では「えい、やあ」が当たり前の時代にブルース・リーの「あちょ〜」は衝撃だった。サントラでもその声はふんだんに使われている。また当時まだ珍しいシンセサイザーの音色も斬新だった。バラエティ番組等で「闘い」「燃える」シーンで今でもよくBGMに使用される。
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キヤノン デジタルカメラ ミラーレス一眼レフEOS M ザ・ビートルズ 『ハロー、グッバイ(Hello Goodbye)』
妻夫木聡と新垣結衣が出演するCM。木村カエラが歌っている。 作詞・作曲はポール・マッカートニー。テレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』のアイデアとともに出来上がった曲だが、撮影とバッティングしたために、レコーディングにおよそ2週間もかかっている。ビートルズの中でも非常にポップな曲で歌詞もシンプル。聴いて驚いて欲しいのだが、バックのギターはほとんど「ドレミファソラシド(しかもハ長調で)」と弾いているだけである。おそらく音楽史上最も有名な「ドレミファソラシド」だろう。アイデア次第で十分曲になるという良い見本だ。シングルは1967年末に発売され、ビルボードで3週連続1位、11週連続チャートインを記録した。B面はこれまた真逆のアバンギャルドの名曲『アイ・アム・ザ・ウォルラス』(ジョン・レノン作)だったというのもビックリだ。
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ビートルズ自身が脚本・監督・出演を手がけた(ほとんどポールの思いつきだったが)。1967年のクリスマスにBBCで放送され、75%の視聴率を記録したが、映画そのものは「素人作品」として酷評された。だが、全編PVと思えば、今でももちろん楽しめる作品。収録された曲はどれも名曲揃い。
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明治 プレミアムアイスクリーム グラン フランシス・レイ 映画『白い恋人たち(13 Jours en France)』サウンドトラック
永作博美が出演するCM。「高級」なアイスという狙いが大当たりし、売れすぎて出荷が間に合わず一時販売中止になったそうだ。
あまりに甘美な曲なので、ロマンス映画のサントラと勘違いしがちだが、1968年にフランス・グルノーブルで行われた第10回冬季オリンピックの記録映画のサントラである。これがまた監督クロード・ルルーシュ(フランソワ・レシャンバックが共同監督)の魔法というか、映像にピッタンコで、若い頃この映画を観た時にはトリップしそうになった記憶がある。
滑降する選手の後をカメラが追うシーンは、スキー選手並の技術を持ったカメラマンがストック無しで滑降して撮った。命がけの撮影だ。今ではリモコンカメラが普通なので、もっと迫力のカットが撮れるかもしれないが、生身の人間がやるから感動を呼ぶのだ。皆が手をつないで競技場を整備するシーンも感動的だった。 この4年後に札幌でオリンピックが開催されるのだが、このグルノーブル大会では日本人は一人も入賞できず、関係者やウィンタースポーツファンを不安がらせた。
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『男と女』『ある愛の歌』『パリのめぐり逢い』など映画音楽の珠玉のベスト盤!
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ダイハツ タント 「免税ポーズ篇」 ディズニー長編アニメ映画『シンデレラ』サウンドトラックより 『ビビディ・バビディ・ブー(Bibbidi-Bobbidi-Boo)』
ユースケ・サンタマリア、小池栄子が出演するCMシリーズ。CMは「オリジナル曲」を使用とあるが、ラスト近くのフレーズはこの曲以外の何物でもない。映画は1950年のウォルト・ディズニー自ら総指揮を務めたディズニーアニメ。『ピノキオ』『ファンタジア』と並ぶ傑作だろう。ポール・J・スミスとオリバー・ウォレスが音楽を担当し、ミュージカル仕立てになっている。この映画の中でも最も有名な曲で、シンデレラの前に現れた魔法使いのおばあさんが杖を振ると、カボチャが馬車に、ネズミが馬に、シンデレラが豪華なドレスに身を包んだ美女に変わるというハイライトシーンで使われる呪文「ビビディ・バビディ・ブー」をモチーフにした歌。この曲の作詞・作曲はジェリー・リビングストン、マック・デビッド、アル・ホフマン。アカデミー賞歌曲賞にノミネートされた。このシーンは楽しく本当に感動的だ。
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キリンビール 新ジャンル 麦のごちそう ミュージカル『南太平洋(South Pacific)』より 『ハッピートーク(Happy Talk)』
西島秀俊・片瀬那奈が出演するCM。『サウンド・オブ・ミュージック』『王様と私』で有名なリチャード・ロジャース(作曲)、オスカー・ハマースタイン2世(作詞)のブロードウェイミュージカルの大ヒット作で1950年トニー賞を受賞した作品。初演から6年間ものロングランを続け1925回も上演された。1958年には20世紀フォックスによって映画化もされ、これまた大ヒット(70oの大作だった)。映画の中では『バリハイ』と並んで良く知られている曲で、日本でも東宝や宝塚などで何回も舞台化されている。太平洋戦争真っ只中で展開する能天気なストーリーで、当然主人公たちにとっての「敵」は日本なのだが、日本の舞台では当然日本人俳優がアメリカ人や現地人ら主人公たちを演じるわけで…あ〜もうわけわからんわい。
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サントリー ウィスキー 山崎「なぜ、この場所なのか。」篇 ミュージカル『キャッツ』より 『メモリー(Memory)』
アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲のミュージカルの中で歌われる最も有名なバラード。作詞は、演出家のトレバー・ナンで、「原作者」でもあるイギリスの詩人T.S.エリオットの未完の詩をアレンジしたもの。ウェバーは作曲後、プッチーニの作風と、ママス&パパスの『夢のカリフォルニア』のフルートソロ部が似てるかもと不安がり、父(父・ウィリアムも高名な音楽家)に意見を求めたという。出演者全員が猫という意表をついた舞台だが、第一幕の終わりと第二幕のクライマックスで歌われる『メモリー』のシーンはいつ見ても新鮮で、感動的だ。『キャッツ』はブロードウェイミュージカルとして、大ヒット。1983年にトニー賞7部門を独占した。アメリカ製というイメージが強いが、初演は1981年ロンドンのウエストエンドで、オリジナルはイギリス製(主要スタッフ、オリジナルキャストもイギリス人)。その後すぐニューヨークに移り、驚異のロングランを記録したが、その記録を破ったのは同じウェバー作の『オペラ座の怪人』である(ブロードウェイでは歴代2位のロングラン、ウエストエンドでは歴代4位)。 『メモリー』を歌う老いた娼婦猫グリザベラ役は、当初『007シリーズ』のM役で知られるジュディ・デンチが予定されていたが、直前にアキレス腱を切る大怪我をしたため、これも同じウェバー作の『エビータ』で主役を務めたエレイン・ペイジが代役として登用された。ペイジの歌う『メモリー』は英国でチャート6位、舞台を超えて世界的大ヒットになり、多くの大物歌手もカバーするスタンダード・ナンバーになった。 『キャッツ』は約20ヶ国語に翻訳され世界中で上演されているが、日本でも1983年から劇団四季が公演し、これも驚異のロングラン(全国で約8000回!)を記録、もはや国民的ミュージカルとも言われている。
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