日本のテレビCMに使われた外国曲を紹介
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日本のCMに使われている洋楽(オリジナル曲を紹介)アーカイブス5
放送終了したものもありますけど。クラシックは除外しています。



サントリー
缶コーヒー ボス・超「20年かかって編」
モーリス・ジャール
映画『ドクトル・ジバゴ』より『ララのテーマ(Lara's Theme from "Doctor Zhivago"』


このすぐ下のソフトバンク白戸家とサントリーボスの信じられないコラボCM。北大路欣也と樋口可南子が出演するボスのCMの方。明るい音楽が流れるが、巨匠デビッド・リーン監督の1965年の大作『ドクトル・ジバゴ』のあまりにも有名な主題曲で、映画史上に残る名曲中の名曲。ロシア革命に翻弄される男女を壮大なスケールで描いたこの映画はアカデミー賞5部門を受賞(もちろんオリジナル作曲賞を受賞している)。作曲はリーンと組んで前作『アラビアのロレンス』と後の『ライアンの娘』も手がけているモーリス・ジャールで、それらの雄大な大曲に比べて割と聞きやすい作風なのがこの曲。ジュリー・クリスティ扮するラーラをテーマに描いている。後にポール・フランシス・ウエブスターによって歌詞が付けられ、"Somewhere,my Love〜"と歌い始めるため、このフレーズのサブタイトルで親しまれた。レイ・コニフ・シンガーズのコーラスでヒットし、映画を観ていない人にもよく知られ、また世界中のアーティストがカバーした。
当初リーン監督はロシアの有名な曲を使おうとしたが権利的な問題で不可能なことがわかり、ジャールに作曲を依頼した。しかし何曲作ってもイメージが湧かず。リーンは「女と山にでも行って、彼女のために曲を作ってみろよ」とアドバイス。こうして出来たのがこの『ララのテーマ』だった。リーンは凄く気に入ってこの映画の随所に使用した。編集の時、プロデューサーのカルロ・ポンティとともにジャールが作った他のテーマ曲を削ってしまうほどであった。しかし、当のジャールは『ララ』の使いすぎはこの映画を台無しにしていると激怒したというエピソードが残っている。
因みに当時は冷戦で、ソ連での撮影も不可能だった。というか、ソ連政府は原作者(ロシアの文豪、ボリス・パステルナーク)にノーベル賞を与えることさえ拒否したというから、これは人類にとって大きな損失であろう。

曲もいいが、この映画を観ていない人はほとんど不幸である。
ソフトバンク
白戸家「ワイルドなお父さん」篇
ディープ・パープル
『スモーク・オン・ザ・ウォーター(Smoke on the water)』


何度も日本のCMに採用されている、おなじみの曲。過去の採用はこちら
ワイルド・スギちゃんがお兄さんとバイクで荒野を走っていると、自転車に乗った犬のお父さんたちに抜かれるというCM。BGMに使用されている。しかしこのシチュエーションで言えばBGMは絶対ステッペンウルフの『ワイルドで行こう!(Born to Be Wild)』にすべきだろう。『イージーライダー』だし。「ワイルド」だし。コカコーラのCMで使われているからか?版権の問題でもあったのでしょうか??
それは別としてスギちゃんのヘルメットがおかしい!

冒頭のリフはあまりにも有名で、ロックギターの初心者でも誰もが弾けるが、『ライブ・イン・ジャパン』でリッチー・ブラックモアが弾くソロ部分はかなり難易度が高く、正確にコピーしている人を僕はあまり聴いたことが無い。ギターだけでなく、キーボード、ドラム、ベースも結構侮れない。おそるべしパープル。ってここまで書いたところでキーボードのジョン・ロードの訃報が届いた。合掌…。

このライブアルバムはパープルのライブの最高峰というより、もはやブリティッシュロックのライブ盤としてもほぼ頂点にあるのではないでしょうか?
サントリー
缶コーヒー ボス・シルキー「ゴールドシルキーピアニスト編」
バート・バカラック
『遥かなる影 :(They Long to Be) Close to You)』


松田聖子が歌い、スチャダラパーや仲本工事ら豪華出演陣が話題のシリーズ。今回は盲目のピアニスト・辻井伸行が出演。2014年にはグリコのコーポレートCMにも採用されている。
作曲はバート・バカラック、作詞はハル・デビッドの黄金コンビ。1963年にリチャード・チェンバレン(あの『将軍』で日本に漂着したイギリス人役で主演)が歌ったのが最初。1965年にはバカラック自らのアレンジで愛弟子ディオンヌ・ワーウィックが歌い、さらに1968年にはバカラック自身が歌ったシングルが発表されている。
だが、1970年に発表されたカーペンターズのバージョンがおそらく世界で一番知られているだろう。兄リチャード・カーペンターがアレンジし、妹のカレンが歌ったこのバージョンはカーペンターズの最初の全米1位獲得作になり、4週間トップを飾り、グラミー賞も受賞した。実は当初はA&Mレコードの設立者であり、ミュージシャンであるハーブ・アルパートがこの曲をレコーディングする予定だったが、A&Mのホープだったカーペンターズにこの曲を譲ったという経緯がある。
「バカラックマジック」を分析するのは難しいが、この曲に関しては冒頭のまずCadd9→B7sus4→B7→Bm7のコード進行(キーがCの場合)が斬新でありながら長調短調の移動が自然で美しく、この後、必殺のCmaj7さらにCadd9に戻るというのは、凡人ではまず思いつかないところ。サビにあたる「On the day〜」の部分の弾むようなリズムもこれまた軽快で歌詞にぴったり。「幸せ気分」を見事に表現している。
カーペンターズのアレンジも素晴らしく、ラストの「ア〜ア〜〜、クロス・トゥ・ユウ〜」のリフレイン部分はポップス史上に残る名フレーズではなかろうか。
因みにこちらも訃報。作詞のハル・デビッドが2012年9月1日、91歳で亡くなった。デビッドさん、長い間ありがとうございました…。

今回はカーペンターズではなくバカラック本人のオリジナルも聴いて欲しいのでこちらも→→

キリンビバレッジ
キリンの泡
ジーン・ケリー
『雨に唄えば Singin' in the Rain』


サイレントからトーキーに移る時代の映画界の舞台裏を描いた1952年のMGMミュージカル映画のタイトルであり、映画の中のハイライトシーンで歌われる主題曲。歌手であり、稀代のダンサーであったジーン・ケリーが土砂降りの雨の中、この歌を歌いながら踊るシーンは、ハリウッド史上最も有名なシーンのひとつ。このシーンでケリーは風邪をこじらせ39度の熱でふらふらだったのにもかかわらず見事な演技とダンスを見せてくれている。また、カメラに雨がきれいに写りこまないので水に牛乳をまぜて降らしたという(あとで臭くなったろうに)。作詞はこの映画のプロデューサーでもあったアーサー・フリードで、作曲はブロードウェイミュージカルの売れっ子ナシオ・ハーブ・ブラウン。このジーン・ケリー・バージョンがあまりにも有名なのでこの映画がオリジナルだと思われがちだが、実は1927年にはすでにブロードウェイの舞台で歌われていて、1929年のMGM映画『ハリウッド・レヴィユー』にも登場する古い曲だった。
僕はスタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』で主人公アレックスがこれを歌いながら作家のじいさんを半殺しにするシーンが忘れられない。アレックスはずっと後で偶然この作家に助けられ、その家の風呂でこの『雨に唄えば』を歌う。実はこのシーンはヒッチコックの『北北西に進路を取れ!』のパロディにもなっているのだ。
雨に唄えば ジーン・ケリー
アサヒ飲料
ウィルキンソン 炭酸水
レニー・クラヴィッツ
『自由への疾走 Are You Gonna Go My Way』


ようやく日本でも大手メーカーによって売られるようになったウィルキンソンのCM。1993年に日本でも一世を風靡した通称レニクラの代表作。グラミー賞の最優秀ロック・ソング賞と最優秀ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞にノミネートされた。かつては日産のウィングロードのCMにも採用されていた。この曲のギターパフォーマンスは僕らが親しんだ60年代終わりから70年代初めのロックの香りが高く、僕の大好きな曲のひとつで今でもよく聴く。
なお、この曲でドラムを叩いているシンディ・ブラックマンはバークレーでアラン・ドーソンに師事、その後アート・ブレイキーにも師事したジャズドラマーで、実力と美貌を備えた才媛。その格好良さはこの曲のPVで当時話題になったもんだ。2010年、何とステージ上でカルロス・サンタナにプロポーズされ結婚した!?↓(彼女はチラリとしか見られないけど)
Lenny Kravitz "Are You Gonna Go My Way"

このアルバムの中の『シスター』というバラードも絶品
男性化粧品
マンダム ギャツビー デオドランドアクア
ジョルジ・ベンジョール
『マシュ・ケ・ナダ Mas que nada』


松田翔太が出演するCM。曲は替え歌になっている。2015年にはトヨタ・シエンタのCMに採用されている。「マシュ・ケ・ナダ」はブラジルポルトガル語のスラングで、人を誘うなどの時には「なあ、どうだい」「さあ行こう」、何か不満な時には「ありえない!」「やなこった」といった意味がある。ブラジルのボサノバの大御所ジョルジ・ベンジョール(ベン)作曲の代表作で、ブラジルでは1963年に10万枚売れたヒット曲だった。だが、1966年に発表したセルジオ・メンデス&ブラジル66によるカバーの方が有名だろう。ベンとセルジオはもともと音楽仲間で、女性シンガー・ワンダ・サーと共に渡米したが振るわず、セルジオのみアメリカに残ってブラジル66を結成、A&Mのハーブ・アルパートの後押しで『マシュ・ケ・ナダ』をPOPSにアレンジしてリリースしたところこれが世界的に大当たりしたという経緯がある。因みにブラジル66の女性シンガーのひとりラニ・ホールはアルパートの妻である。近年世界で売れまくって話題になった、由紀さおり & ピンク・マルティーニの『1969』では日本語でカバーしている。

セルジオ・メンデス、僕は真夏の深夜に聴く。いいんだこれがまた!
キリンビバレッジ
生茶
マドンナ
『ライク・ア・ヴァージン Like A Virgin』


北川景子が出演するCM。1984年にこの曲が世界中でメガヒットとなり、長い下積み生活を送っていたマドンナは一気にスターダムにのし上がった。曲タイトルと意味深な歌詞は当時としては衝撃的で(とりわけマドンナが属するカソリック・イタリア系にとっては)、マドンナはセックスシンボル的な存在として見られるようになってしまうが、アーティストとして極めて高いレベルの音楽性とパフォーマンス力を備えている稀代のスーパースターである。因みに現在までにマドンナは全米シングルチャートTOP10獲得数が37曲もあり、歴代1位の保持者である。マドンナの日本にまつわるお話などはこちらへ。

どこかのネットで見つけた笑い話。あるバカップルの会話。
女「ねえ、ライク・ア・ヴァージンってどうゆう意味?」
男「馬鹿だなあ。英語勉強しなかったのかよ。処女が好きってことだろ!」
違うぞ…。

彼女の2枚目のアルバム。ナイル・ロジャースがプロデュース。『マテリアル・ガール』も収録。「彼女の」というより80年代を代表する洋楽アルバムだろう。
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オーティス・レディング
『ドック・オブ・ザ・ベイ Sitting on the dock of the bay』


「世界とのつながり」をテーマに日本のギタリストCHARをはじめ、世界中のミュージシャンがそれぞれの国にいながら合奏するという、大和証券グループによる「PLAYING FOR CHANGE」シリーズの一曲。作詞・作曲はオーティス・レディングと彼の盟友でブッカー・T&ザ・MGズのギタリスト・スティーブ・クロッパー。1967年夏に二人で曲を作り、12月にレコーディングし完成したが、そのわずか3日後の12月10日に、ツアー用の自家用飛行機が湖に墜落するという痛ましい事故でオーティス・レディングは死んでしまった。だがレコードはその翌年1月にリリースされ、3月にはビルボード1位になる。皮肉なことにオーティス最大のヒット曲になった。
ロックンロール・バビロン 』という本には、救助隊によって今まさに冷たい湖から引き上げられるオーティスの遺体の写真が載っていて僕はひどいショックを受けた…。彼やジミヘンがもっと長生きしていればロックの歴史は大きく変わったろうに。

どちらかといえば激しいソウル・ロックが得意だった彼が、変化する転機となった重要な曲である。
サントリー
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ザ・ビートルズ
『ヘイ・ジュード HEY JUDE』


矢沢栄吉、木村拓哉、香取慎吾、竹内結子らが出演するCMシリーズ。
ポール・マッカートニーが、ジョン・レノンの息子ジュリアン・レノンを励ますために作った曲(当時ジョンは妻シンシアと離婚協議中だった)。そのため当初の歌詞、タイトルも『ヘイ・ジュール』だったが、ポールがジュリアンに会いにジョンの家に行く車の中でこの歌を歌った時、間違えて「ジュード」と歌ってしまい、「あ、こっちの方がいいや」と変えてしまったというエピソードがある。36人編成のオーケストラによるラストのリフレイン部を入れると約7分に及ぶ大作で、アップルレコードの最初のシングルだった。ジョン・レノンは後にポールの最高傑作と評している。ポールがピアノを弾いているため、ベースはジョージが担当。1968年9月に全米シングルチャート1位を記録、9週間1位を誇った。世界歴代シングル売上第4位という、ビートルズの楽曲の中でもメガヒット曲のひとつだが、下記メリー・ホプキンの『悲しき天使』にチャートを蹴落とされた。
プロモーションビデオは当時としては画期的なライブバージョンで、レコードと同じ36人のオーケストラと300人のエキストラをトゥイッケンハム撮影スタジオに集めて撮影された。後に映画『レット・イット・ビー』の監督を務めたマイケル・リンゼイ・ホッグが演出。あまりにもエキストラがビートルズの近くに寄せたため、メンバーみんな演奏しにくそうだ。特にリンゴは。
The Beatles - Hey Jude 1080p [HD] (Studio)

この曲は意外なことにビートルズのオリジナル・アルバムには収録されていない。アナログ時代にシングルのみで発売された曲をレコード会社が集めたベスト盤『ヘイ・ジュード』や『青盤』に入れられていた。CD時代には↑『パストマスターズ』で聴ける。
サントリー
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メリー・ホプキン
『悲しき天使 Those Were The Days』


富司純子、伊藤蘭らが出演するシリーズCM。原曲はロシアの歌謡曲『長い道』。『オポチュニティー・ノックス』というタレント発掘TV番組で優勝した当時18歳のイギリス人歌手メリー・ホプキンを、たまたま見ていたミニスカートの女王ツイッギーが、ザ・ビートルズポール・マッカートニーに紹介。彼女を気に入ったポールがこの曲をアレンジ&プロデュースし、1968年、アップルレコードからシングルとして発売された(彼女がアップルと契約した最初のアーティスト。因みにB面はバーズの『ターン・ターン・ターン』のカバーだった)。発売から数日で全英・全米チャートを急上昇。イギリスではなんとビートルズの『ヘイ・ジュード』を蹴落として6週間1位を記録した。第2弾としてポールは彼女のために『グッバイ』を作ってプロデュース。これまた大ヒット。だが、この時1位だったビートルズの『ゲットバック』には及ばず2位どまりだった。って、結局この時期ビートルズ系がチャートを独占していたってことだ。恐るべし。メリー・ホプキンはポールとの関係が悪化しアップルを離れるが、その後もコンスタントにヒットを飛ばしていた。デビッド・ボウイT・レックスのプロデューサーとして知られるトニー・ビスコンティと結婚していた。
カルピス
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Carpenters
『シング Sing』


カーペンターズの代表的曲のひとつ。詳しくはこちらへ。日本武道館でのライブでは日本語で歌っているが、訳詞は当時『ミュージックライフ』誌の編集長、星加ルミ子
消費者金融
モビット
The Tymes
『渚の誓い(ソー・マッチ・イン・ラブ)So Much In Love』


ジョージ・ウィリアムズ率いる黒人5人組のボーカルグループ、タイムズの1963年の作品。最初は『ザ・ストロール』というタイトルだった。ビルボードで1位になり、今なお多くのアーティストにカバーされている名曲である。イーグルスのベーシスト、ティモシー・B・シュミットやアート・ガーファンクル、山下達郎もカバーしている。かなり昔の話になるが、『ベストヒットUSA』にヒューイ・ルイス&ザ・ニュースがゲスト出演した時に、司会の小林克也が「何か演奏してくれるかい?」と頼んだら、楽器を持って来なかったので、メンバー全員がアカペラでこの曲を即興で歌ってくれた。もちろん完璧にハモっていた。この時、僕はあっちのミュージシャンはやはり凄い!と感動したもんだ(ザ・ニュースは今でもライブでこの曲をアカペラで歌っているらしい)。 

↑敢えてこちらを紹介。彼はポコ、イーグルスで活躍したベーシストだが、実はマルチ・ミュージシャンで歌も抜群に上手いのだ。指パッチンしているのが可愛い。
日産
エルグランド
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
『モナーキー・オブ・ローゼズ Monarchy of Roses』


レッチリの曲は日本映画『デスノート』などのイメージソングには採用されていたが、CMでの採用は意外にも初めてだそうだ。新3大ギタリストと呼ばれたジョン・フルシアンテが脱退してからどうなる??と思っていたが、2011年、前作『ステイディアム・アーケイディアム』から実に5年ぶりにリリースされたアルバム『アイム・ウィズ・ユー - I'm With You 』は全米2位・全英1位を獲得、日本でもサマソニ出演と相変わらずの人気ぶりでちょっと安心。まだまだいけるぞレッチリ!
トヨタ
ハイブリッド車 プリウス
エミ・マイヤー
『オン・ザ・ロード On The Road』


エミ・マイヤーは日本人の母とアメリカ人の父を持つハーフで日米で活躍する女性シンガーソングライター。何度か日本のCMソングに取り上げられているが、いよいよ本格的に登場!ジャズで鍛えたボーカルとピアノの実力はもちろん、歌曲も耳に優しく、それに加え容姿端麗!今後の大ブレーク間違いなしだろう。できればアメリカでがんばって欲しいものですねえ。

エミ・マイヤー『オン・ザ・ロード On The Road』
On The Road - Single - エミ・マイヤー
トヨタ
新ハイブリッド車 AQUA
ブロンディ
『ハート・オブ・グラス Heart of Glass』


デボラ・ハリー率いるブロンディのヒット曲。ブロンディはニューヨークパンクバンドの代表と言われていたがこの曲あたりからポップス路線に変更しヒットを連発した。この曲は元はレゲエ風のゆったりとした曲だったが、プロデューサーのマイク・チャップマンが1979年当時流行していたディスコ調にアレンジし直したところ、英米などでチャート1位になる大ヒットを記録。デボラ・ハリーはセックス・シンボル的な扱いを受け一躍スターに。1980年にはジョルジオ・モロダーをプロデューサーに迎え『コール・ミー』を発表、これまた英米で1位になり、ブロンディは不動の地位を築いた。それにしてもこの頃デボラ・ハリーはもうすでに33歳。ビートルズなどのメンバーと同じ世代だ。かなり下積みが長かったんだねえ…。
花王
ニベア プレミアムボディミルク
リアーナ
『カリフォルニア・キング・ベッド California King Bed』


吉瀬美智子が出演するCM。リアーナはバルバドス出身の歌姫。グラミー賞も受賞し、今世界で最も注目を浴びる本格派歌手である。ニベアはドイツのバイヤスドルフ社の製品で、誕生から100周年ということでリアーナをイメージキャラとして採用した。従ってこのCMは日本の販売元である花王によるものではなく、独本社の選曲だそうだ。彼女はルックスも抜群で、浅野忠信も出ている映画『バトルシップ Battleship』にも出演している。
サントリー
缶コーヒー シルキーブラック
チャールズ・チャップリン
『スマイル smaile』


松田聖子ちゃんが素晴らしい英語の発音で歌う、豪華キャストで話題を呼ぶCMシリーズ。2013年初頭にはキリンフリー、ソフトバンクiphone5のCMにも使われている。
「喜劇王」という称号ではチャップリンの才能を全く言い尽くせないので僕は大嫌い。彼は稀代の映画監督であり、製作者であり、脚本家であり、作曲家であった。その作曲の才能のうち最も有名なのがこの『スマイル』だろう。オリジナルは1936年の映画『モダンタイムス』で使われたものだが、歌詞はないBGMで、1950年代になって英語の詩がつけられてナット・キング・コールらが歌ってこの曲の良さが再認識された。そう、その時代は当のチャップリンはアメリカから「赤狩り」の洗礼を受けて国外追放状態だったのだ。何という損失だろう。油の乗った時期のチャップリンはハリウッドで映画を作れなかったなんて。

↓だが、1972年、ハリウッドはチャップリンに贖罪の意味を込めて第44回アカデミー賞特別名誉賞を授けた。チャップリンは20年ぶりに米国に戻った。これはその時の感動的な映像。この後、客席全員が『Smile』を合唱し、この映画界最大の功労者に敬意を表した。
Charlie Chaplin receiving an Honorary Oscar(R)

エリック・クラプトン様におかれてもヘロイン中毒から復帰後の1974年にカバーしている名曲中の名曲である。『461オーシャン・ブールヴァード+16 <デラックス・エディション>(紙ジャケット仕様)


↑ラスト、少女に「笑って!」と元気付けるシーンは映画史上に残る名シーン。ここで流れる曲なので『Smile』なのだ。この映画を観たことの無い人は今すぐ観なくてはいけない!
UCC
缶コーヒー The Clear
イエス
『ロンリー・ハート Owner Of A Lonely Heart』


英国のプログレバンド、イエスの曲。下記↓↓の日産ジュークのCMでは『燃える朝焼け 』が使われていたが、今度は何と1983年発表のイエス最大のヒット曲が登場!一体どうなっているの?急に注目を浴びるなんて。イエスは、70年代後半、黄金期のメンバー、リック・ウェイクマンやビル・ブラッフォード、スティーブ・ハウが抜けて、しかも実質上のリーダーでありフロントマンだったジョン・アンダーソンまで抜けて正直少し"落ち目"になった時期があった。そこにあの『ラジオスターの悲劇』で知られるバグルスのメンバー、トレバー・ホーンとジェフ・ダウンズの二人が加入という力技で世界を驚かせた。しかしその後もメンバーの仲もうまくいかず一時解散となってしまう。ところが1983年にアンダーソン、トニー・ケイが復帰、ギターにソロアーティストとして活躍していたトレバー・ラビンが加入。プロデューサーは旧メンバーのトレバー・ホーンにお願いして出来たアルバムが『ロンリー・ハート 90125』である。この新生イエスはラビン&ホーンを全面に押し出し、これまでの「プログレ」のイメージを一新したサウンドで一気に人気を取り戻し第2の黄金期を迎えた。表題の『ロンリー・ハート』はラビンの作で、およそプログレとは違った一見ハードロック風。この曲でイエスは初めてビルボード1位を獲得した。途中聴かれる「ジャン!」という音はオーケストラ・ヒットと呼ばれるサンプリングの音で、これも一世を風靡した。PVも意味深で話題を呼んだ。イエスはその後も分裂や合併(ドラムもギターもキーボードも二人ずついる「8人イエス」という状態)などを繰り返し、現在もメンバーをとっかえひっかえ活動しているが、アンダーソンもウェイクマンも病気で、もうイエスには戻れないらしい。残念だ。

↓ビデオにはUKのエディ・ジョブソンの後ろ姿が見られる。彼はこの時イエスの一員だったのだ!
YES ・ Owner Of A Lonely Heart (1983)
しかしこの項、プログレのファンでなければ何のことか分からんだろうに。

日本生命

ドリス・デイ
『ケ・セラ・セラ Que sera sera』


綾瀬はるかが出演するCM。底抜けに明るい曲だが、実はヒッチコック監督のサスペンスの名作『知りすぎた男』の中の挿入歌で1956年のアカデミー歌曲賞を受賞した(作詞:レイ・エバンズ、作曲:ジェイ・リビングストン)。
子供が誘拐されるという非常に緊迫感たっぷりのストーリーの中で、母役のドリス・デイ(現在もご健在だそうだ!)がこの歌を歌って…。映画を観ていない人のために詳しくは述べないが、今、あんなウィットとサスペンスに富んだ「大人の映画」はアメリカでも日本でも作られないんだろうなあ…。スペイン語といわれるタイトル「ケ・セラ・セラ」は英語で言えば「Whatever Will Be, Will Be(なんとかなるだろう)」で、オリジナルの歌詞は「私が少女の頃→大人になって恋をして→母となって子が生まれて」と、それぞれの立場での「希望や夢を含んだ心配」がテーマとして出されるのだが、そんな心配はみんなに一笑にふされて「何とかなるよ!」という歌。三代に渡るとても壮大で感動的で、僕の大好きな歌である。日本ではもう40ん年前にペギー葉山が音羽たかしの訳詞でカバー、スマッシュヒットしてよく知られている。ジブリの『ホ〜ホケキョとなりの山田くん』でも「ケセラ〜セラ〜何とか〜なるぅ♪」と歌われていたっけ。

Doris Day - Que Sera Sera
↓この映画、ジブリとしては失敗作みたいに言われているが、僕は名作だと思うし、実は大好きなんだけど。
日産
ジューク
イエス
『燃える朝焼け Heart of the Sunrise』


英プログレの代表的バンド、イエスの名曲。いやあ、初め耳を疑った。なんてマニアックな選曲だ!日産ジュークのCMは最初オリエンティ演じる『サンシャイン・オブ・ラブ』だったが次はイエスですか。因みにクリームの1968年の「さよならコンサート」の前座はイエスだった。
1971年、天才キーボードのリック・ウェイクマンが加入してイエス史上「黄金期」のメンバーが揃った時期に製作されたアルバム『こわれもの Fragile』の最後を飾る大曲。
スティーブ・ハウ以外全員が作曲に関わっているのだが、ウェイクマンは契約上クレジットから省かれている。CMで使われているのは極々一部(冒頭の6/8拍子部)なのでちょいヘビメタ風?に聞こえるが全然違うので、聴いたことのない人はぜひ1曲通して聴いて欲しい。プログレらしく複雑かつ難解な曲で、まずは変拍子の嵐。ベース、ドラムのリズム隊はもちろん、ギター、キーボードが全然違うリズムを刻んだところや、しかも3連符もあるし4拍子なんだか6拍子なんだか??さらに変調(嬰ト短調・変ロ短調・ホ長調)もところどころあって、あ〜〜〜もう訳分からん!これがもう40年前の曲というのも驚きだが、今の若者たちでもクラシックのように相当の修行積まないとカバーするのは至難だろう。

↑この約一年後に同じメンバーでロック史上に残るアルバム『危機』がリリースされている。この際2枚揃えよう。
グリコ
ポッキー『DRINK&Po』篇
MCハマー
『U・キャント・タッチ・ジス U Can't Touch This』


嵐の二宮和也が出演するCM。1990年に世界中で1,000万枚売れたというアルバム『プリーズ・ハマー・ドント・ハーテム』に収録されたハマーの代表曲。PVで披露された激しいダンスは日本でも大人気を呼び、コント赤信号の小宮さんとか、とんねるずの石橋貴明が「MCタカー」としてパロディのネタにした。M.C.ハマーは日本のCM出演の実績もあったが、パッタリと廃れてしまったのが残念。

ダボダボのズボンとかファッションも当時斬新だったね。↓

MCハマー 「U・キャント・タッチ・ジス」
ソフトバンク
白戸家『ロック・イン・一乗谷』篇
クイーン
『ウイ・ウィル・ロック・ユー We Will Rock You』


白戸家一家がロックバンドに扮して出演するCM。お父さんがキッスのポール・スタンレーのように右目に黒い星のメイクをしているのが笑える。1977年発表のアルバム『世界に捧ぐ』に収録された曲で、ほとんどドラムとボーカルだけ(最後の最後だけギターが入る)なのだが、あの「ドン・ドン・チャ」のリズムと「We Will,We Will Rock You!」のコーラスは一度聴いたら忘れられない。世界中で応援歌のように使われている曲であり、日本のCMにも何回か採用されている。少し前には倖田來未が歌うCMにも。
明治
プロビオヨーグルトLG21「特別な力」篇
トム・ジョーンズ
『恋はメキ・メキ If I Only Knew』


トム・ジョーンズはあまりにもパワフルで、アメリカでの活躍も長いのでアメリカ人にみられがちだが、れっきとしたイギリス出身のベテラン歌手。エリザベス女王から勲章と「ナイト」の称号をもらっている。「恋はメキ・メキ』は『ラブ・ミー・トゥナイト』と並ぶ彼の代表曲。歌詞の"make you make you love me"の部分が「メキメキ」と聞こえるのでこの邦題が付けられた。日本邦題史上?最も有名な曲。
サントリー
缶コーヒー ボス ゼロの頂点 −カロリーゼロ− 『特報』篇
トム・ジョーンズ
『ラブ・ミー・トゥナイト Love me Tonight』


松本幸四郎・松たか子父娘が出演する映画とタイアップしたCM。上記『恋はメキ・メキ』と並ぶトム・ジョーンズの代表曲。原曲はイタリアの歌手のジュニア・マッリの『恋の終わり Alla Fine Della Strada』で、1969年にトムが英語でカバーし大ヒット。

こちらは彼が人気絶頂期にホストを務めた番組『This Is Tom Jones』の名場面集DVD→
サントリー
缶コーヒー ボス 贅沢微糖 『電車』『行列』篇
フランシス・レイ
映画『男と女 Un homme et une femme』主題曲


大森南萌・橋本愛が出演するCM。1966年のフランス映画『男と女』の主題歌で作曲家フランシス・レイの代表的名曲。「ダバダバ」のスキャットは世界的なブームを巻き起こし、多くのアーティストにカバーされている。映画『男と女』はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、監督クロード・ルルーシュの名を世界に知らしめた。カメラワークと編集は今見ても斬新で素晴らしいの一言。それにしてもこの頃のアヌーク・エーメはため息が出るほど美しかったなあ。

僕が好きなカバーはこれ↓
『un homme et une femme』 Clementine
富士フィルム
ベースメイクシリーズ篇
ミシェル・ルグラン
映画『ロシュフォールの恋人たち』テーマ曲


松田聖子と小泉今日子が出演するCM。ジャック・ドゥミ監督の、『シェルブールの雨傘』と並ぶフレンチ・ミュージカルの傑作の挿入曲。主人公の双子の姉妹を実際の姉妹でもあるC・ドヌーヴとF・ドルレアックが演じ、アメリカからミュージカルのトップスター、ジーン・ケリーと『ウエスト・サイド物語』のジョージ・チャキリスが招かれ出演した。原色を生かしたおしゃれな美術と衣装、アメリカ映画にはみられない洗練された音楽と歌は今なおカルト的な人気を呼んでいる。僕も『シェルブールの雨傘』より明るいので大好きな作品である。
サントリー
ナチュライ 『夏の坂道』篇
ブルー・スウェード
『フックド・オン・ア・フィーリング HOOKED ON A FEELING』


満島ひかりが出演するCM。イントロから「ウガ・チャカ」のコーラスが流れるので別名『ウガ・チャカ』。1974年にスウェーデンのポップバンド、ブルー・スエードがヒットさせた(全米1位)。クエンティン・タランティーノ監督の出世作『レザボア・ドッグス』のサントラにも採用されている。原曲は『雨にぬれても』で有名なビリー・J・トーマス。こちらは「ウガ・チャカ」は無いのだがエレクトリック・シタールをフューチャーした曲で、1969年にビルボード5位を記録した大ヒット曲だった。
TVシリーズ『ナイトライダー』の主役デビッド・ハッセルホフもカバーしている↓

B.J. Thomas - Hooked on a Feeling
ホンダ
フィット シャトル「夫婦&ポーター」篇他
エンゲルベルト・フンパーディンク
『クワンド・クワンド・クワンド Quando Quando Quando』


エンゲルベルト・フンパーディンクはインド生まれのイギリス人歌手。『ラストワルツ』『リリース・ミー』などのヒット曲で知られる。上記のトム・ジョーンズ、クリフ・リチャードと並び1960年代を代表するほどの世界的人気を誇った。ドイツの作曲家と全く同じ芸名を使っているので紛らわしいな。

Engelbert Humperdinck - "Quando, Quando, Quando" (1968)
キリン
ブランドハイボール ドミノ篇
ジョー・コッカー
『アンチェインド・マイ・ハート Unchain My Heart』

フォアローゼズとI.W.ハーパーの缶ハイボールのCM。バーボンの名酒のハイボールが日本で「缶」で売られるなんて夢にも思わなかったぜ。オリジナルはレイ・チャールズの1961年のヒット曲。ボビー・シャープの作品だったが、ヤク中だったシャープがわずか50ドルでテディー・パウエルに権利を売り、以来クレジットはシャープ&パウエルになったが、後に裁判で権利を取り戻した、というエピソードがある。ジョー・コッカーは1987年にカバー。92年に全英17位とスマッシュヒットとなっている。

参考書一覧

参考書パート2

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