top |
|
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オールディーズを中心に 日本で流行した洋楽ポップスの歴史について 日本人はジャズ、ブルース、ハワイアン、マンボ、ルンバ、サンバ、カントリー、シャンソン、カンツォーネ、映画音楽と何の好き嫌いなく世界の音楽を何でも取り入れて来た。特に第二次世界大戦後の日本は貪欲ともいえるくらい西洋の音楽を次々に輸入し、日本風のアレンジを加えて親しんで来ている。それは明治維新以来の日本人が持っている「西洋に対する憧れ」があったことは否定はできないと思う。それと工業製品のように、何でも優れたものを受け容れ、より優秀なものに改良していく技術力とか気質がそもそも「日本人の本質」にあるのではないか?と思ってしまう。 昭和30年ごろを境に日本は高度成長期に入り、レコード発売、ラジオ放送(トランジスタラジオ)、テレビの普及が急速に広まる。また米国で流行したロカビリーの大きな波がそれに合わせたかのように日本でも沸き起こり、世界のアーティストの来日やレコードの輸入・製作も次々行われ、その影響をもろに受けて「和製ロカビリー」も生まれた。そんな時代に、日本のレコード会社やマスコミ各社はその莫大な利益に目をつけ、ジャンルを問わず洋楽アーティスト(外国タレントと呼ばれた)を積極的に招聘し、日本市場だけの独自企画として彼らの持ち歌を日本語バージョンにしたり、日本曲を英語詩を付けたものを新たにレコーディングし、日本のファンに向けて積極的に提供してきた。当時、シンコーミュージックを興した漣健児(草野昌一)や岩谷時子、安井かずみらの優れた訳詩も大きな貢献をした。 このコーナーでは、そんな企画版などを集めてみました。 これまでも日本語で歌ったロックアーティストは扱ってきましたが、 スティービー・ワンダーの『愛の園』 クイーンの『手をとりあって』 キング・クリムゾンの『待ってください』 のように日本を意識はしているものの、アーティスト自らの意思で歌っているものもありますが、 ポリスの『ドゥドゥドゥダーダーダー』 スリーディグリーズの『天使のささやき』 のようにやはり巨大市場で受けるためにレコード会社から言われるままにやったと思われるものとか、はたまた、 ベンチャーズみたいに日本でのあまりの人気の高さにびっくらこいて、あわててサービスでやってみたら本国より受けてしまったと思われるものもあります。 というわけで以下は主に右の音楽評論家かまち潤氏の本とうちにある何冊かの本やCD、ウィキペディア、アマゾンのショップなどを参考にまとめてみました。 |
参考資料:かまち潤著『日本人が愛した懐かしの洋楽ポップス事典』 漣氏は莫大な数の訳詩をしている。これはほんのさわりにすぎない!↓ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
参考書一覧 |
参考書パート2 |
特集: 外国人が見る日本と日本人(前編) |
特集: 外国人が見る日本と日本人(後編) |
参考書パート4 |
CMで使われた洋楽 アーカイブス アーカイブス2 アーカイブス3 アーカイブス4 |
当サイトについて | 連絡先 | 広告掲載について | 変な日本とは? | 不思議な国? | プライバシー・ポリシー | お買い物について | Yunioshiの日記 |
●サイトマップ | |||||||
●「洋画・洋楽の中の変な日本・がんばる日本」トップページ・メニューへ戻る | |||||||
↑↑このページのトップへ戻る↑↑ | |||||||
Copyright © Yunioshi.com All rights reserved. |