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ハーフマニア
ミスター・ユニオシ著 関連グッズショップ 縁起もの専門ショップ
 
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日本語で歌われた曲、日本人の企画で日本のみリリースされたものなど特集。

世界第2位の巨大音楽市場「日本」に向けた外国曲の特集です。ただし順不同です。
外国で活躍する日本人音楽家&関係者リストはこちら

日本の名曲をカバーした外国人アーティスト特集はこちらへ。

 
オールディーズを中心に
日本で流行した洋楽ポップスの歴史について

日本人はジャズ、ブルース、ハワイアン、マンボ、ルンバ、サンバ、カントリー、シャンソン、カンツォーネ、映画音楽と何の好き嫌いなく世界の音楽を何でも取り入れて来た。特に第二次世界大戦後の日本は貪欲ともいえるくらい西洋の音楽を次々に輸入し、日本風のアレンジを加えて親しんで来ている。それは明治維新以来の日本人が持っている「西洋に対する憧れ」があったことは否定はできないと思う。それと工業製品のように、何でも優れたものを受け容れ、より優秀なものに改良していく技術力とか気質がそもそも「日本人の本質」にあるのではないか?と思ってしまう。
昭和30年ごろを境に日本は高度成長期に入り、レコード発売、ラジオ放送(トランジスタラジオ)、テレビの普及が急速に広まる。また米国で流行したロカビリーの大きな波がそれに合わせたかのように日本でも沸き起こり、世界のアーティストの来日やレコードの輸入・製作も次々行われ、その影響をもろに受けて「和製ロカビリー」も生まれた。そんな時代に、日本のレコード会社やマスコミ各社はその莫大な利益に目をつけ、ジャンルを問わず洋楽アーティスト(外国タレントと呼ばれた)を積極的に招聘し、日本市場だけの独自企画として彼らの持ち歌を日本語バージョンにしたり、日本曲を英語詩を付けたものを新たにレコーディングし、日本のファンに向けて積極的に提供してきた。当時、シンコーミュージックを興した漣健児(草野昌一)や岩谷時子、安井かずみらの優れた訳詩も大きな貢献をした。

このコーナーでは、そんな企画版などを集めてみました。 これまでも日本語で歌ったロックアーティストは扱ってきましたが、
スティービー・ワンダーの『愛の園』
クイーンの『手をとりあって』
キング・クリムゾンの『待ってください』
のように日本を意識はしているものの、アーティスト自らの意思で歌っているものもありますが、
ポリスの『ドゥドゥドゥダーダーダー』
スリーディグリーズの『天使のささやき』
のようにやはり巨大市場で受けるためにレコード会社から言われるままにやったと思われるものとか、はたまた、 ベンチャーズみたいに日本でのあまりの人気の高さにびっくらこいて、あわててサービスでやってみたら本国より受けてしまったと思われるものもあります。 というわけで以下は主に右の音楽評論家かまち潤氏の本とうちにある何冊かの本やCD、ウィキペディア、アマゾンのショップなどを参考にまとめてみました。
参考資料:かまち潤著『日本人が愛した懐かしの洋楽ポップス事典』


漣氏は莫大な数の訳詩をしている。これはほんのさわりにすぎない!↓
アーティスト名主な曲名概要参考資料
コニー・フランシス
Connie Francis
ボーイハント
ヴァケイション
夜のデイト
可愛いベイビー
1961に日本語版『ボーイハント』を発表。この分野の先駆けとなったアメリカの女性歌手。多くを弘田三枝子や中尾ミエがカバーしている。この他20曲ちかいシングル版がある。『可愛いベイビー』は日本でしかシングル発売されていない。

オリジナル
ボーイ・ハント 〜ベスト・オブ・コニー・フランシス
カテリーナ・ヴァレンテ
Caterina Valente
1931-
情熱の花
恋のバカンス
ウナ・セラ・ディ東京
イタリア系アメリカ人の歌手・女優で英独などヨーロッパや南米でも活躍した。『情熱の花』(原曲はベートーベンの『エリーゼのために』)が大ヒット。これを日本語歌詞で歌ったのがザ・ピーナッツ。カテリーナはその日本語バージョンを歌って日本で再ヒットした。味をしめた?彼女は宮川泰作曲の日本曲を相次いでカバーした。だからそのほとんどがザ・ピーナッツとかぶっている。

 Bill Haley & Caterina Valente - viva la rock'n roll (1960)
ロックの始祖ビル・ヘイリーとの共演。彼女はヨーロッパにロックを広めた最初の女性ボーカリストの一人!
グレーティスト・ヒッツ
ナット・キング・コール
Nat King Cole
1919-1965
ラブ
悲恋のワルツ
枯葉
アメリカの黒人ピアニスト兼歌手。ナタリー・コールの父といった方がわかりやすいかな?父の代表曲『アンフォゲッタブル』を生前の録音に合わせてデュエットしてヒットしましたね。この大物歌手も日本語で代表曲『LOVE』を歌っている。僕のうちには彼のベスト版があって子どもの頃からよく聴いていた。『モナ・リザ』『トゥー・ヤング』の他、『スターダスト』のような今日ジャズのスタンダードナンバーのほとんどは彼から教わったようなものだ。

 Nat King Cole- Tea For Two
↑歌がうますぎたので歌手としての評価が高いが、本来はジャズピアニストなのだ!
ジョニー・ソマーズ
Joanie Sommers
1941-
すてきなメモリー
それが言いたいの
女優として『サンセット77』や『バークに任せろ』などのTVシリーズに出演し、歌も披露していた。ジャズ系の歌手だったがミュージカル『バイ・バイ・バーディ』(映画にもなった)の挿入歌『ワン・ボーイ』がビッグヒットとなりポップス歌手としてブレークした。他に『内気なジョニー』などもヒットチャートをにぎわした。

 1962 SEEBURG DS160HR JUKEBOX "ONE BOY" BY JOANIE SOMMERS!
『ワン・ボーイ』はこちらに収録Johnny Get Angry
フランス・ギャル
France Gall
1947-
夢みるシャンソン人形
すてきな王子様
セルジュ・ゲンスブールが作詞作曲した『夢みるシャンソン人形』の大ヒットで一躍世界のフレンチアイドルとなった。中尾ミエ、弘田三枝子のカバーが大ヒットした。

 France Gall - 夢見るシャンソン人形 (Japanese)
ジリオラ・チンクェッティ
Gigliola Cinquetti
1947−
夢みる想い
愛は限りなく
イタリア・カンツォーネの女性歌手。伊東ゆかり、弘田三枝子などがカバーした。『雨』が世界的なヒットとなり、一躍国際派スターになった。『雨』は最近トヨタヴィッツのCMソングにもなった。

サンレモで優勝した時の映像!『雨』
 Sanremo 69 Gigliola Cinquetti
ボビー・ソロ
bobby solo
1945-
さよなら恋人ジリオラ・チンクェッティと並ぶイタリア・カンツォーネの男性歌手。イタリアのエルビスと言われたルックスと甘い声で人気を呼び、『ほほにかかる涙』の大ヒットがある。

 Bobby Solo - UNA LACRIMA SUL VISO
ベスト・ヒッツ
ミーナ・マッツィーニ
(ミーナ)
Mina Mazzini
1940-
砂にきえた涙
別離(わかれ)
イタリアの女性歌手。『月影のレナート』『月影のナポリ』などのロックンロールヒットでも良く知られている。弘田三枝子がカバーしたこの『砂にきえた涙』が最も有名では?
 Mina _ Un buco nella sabbia _ Live 1964
しっとりした曲もよかった。 『別離』
ジョニー・ティロットソン
Johnny tillotson
1939-
変わらぬ運命
浜辺の口づけ
恋のヨット
ユー・アンド・ミー
バラが咲いた
バラのためいき
僕等の世界
涙くんさよなら
米フロリダ生まれのシンガーソングライター。フロリダでDJやカントリーの歌手をしていたが、『ポエトリー・イン・モーション』が全米2位・英1位になる大ヒットとなり世界的に知られるようになった。もうひとつの代表曲『涙ながらに』はエルビス・プレスリーも持ち歌にした。『涙くんさよなら』はジャニーズのために浜口庫之助が作詩・作曲した曲。坂本九らが競作。ティロットソンは日本への本格的進出の足がかりに歌いこれが大当たり。これをモチーフに1966年日活が映画化。日米のハーフの少女・ジュリー(ジュディー・オング)が母親探し来日するというストーリーで、ジョニー・ティロットソンもゲスト出演!し、少しだけ日本語でも歌うシーンがある。監督:西村昭五郎・脚本:倉本聰。

涙くんさよなら / ジョニー・ティロットソン
改めて聞くと世界でも通用する名曲ですね。

公式サイト(英語)
ヴィッキー・カー
Vikki Carr
1941-
いわないで
太陽は燃えている
1967年の『この恋に生きて』(It Must Be Him)の大ヒットで知られる。いわゆる「パンチの効いた」歌で日本でも人気が高かった。メキシコ系アメリカ人で、スペイン語の歌も多く歌い、ヒスパニック世界では今なお絶大な人気を誇る歌手。

 VIKKI CARR - IT MUST BE HIM
公式サイト(英語)
ミルバ
Milva
1939-
ウナ・セラ・ディ東京
世界は二人のために
イタリアの女性歌手で、「カンツォーネの女王」として日本で人気が高い。『ウナ・セラ・ディ東京』はもともと『東京たそがれ』としてザ・ピーナッツが歌ったが、さっぱり売れなかった。ミルバが来日した時にこの歌を日本語で歌い、その評判がよかったため曲名にイタリア語を取り入れ、アレンジを変えたところこれが大ヒット。レコード大賞作詞賞・作曲賞を受賞した。だからミルバのおかげである。この名曲は他にも多くの外国人アーティストにカバーされている。ミルバは『昴』もお気に入り。

ミルバより面白かったので↓
 音楽コント ウナ・セラ・ディ・東京
ペギー・マーチ
Peggy March
1948-
霧の中の少女
いつでも夢を
思い出の東京
可愛いマリオ
忘れないわ
愛して愛して愛しちゃったのよ
13歳でデビューしたアメリカの歌手。15歳の時の『アイ・ウィル・フォロー・ヒム』が、全米ナンバー1ヒット(当時の最年少記録)になり、豪や日本でも1位になった。『可愛いマリオ』で知られる彼女も数十曲の日本語バージョンがある。というか、ほとんど日本で活躍していたような気がする。『忘れないわ』は日本オリジナル曲(山上路夫作詞 三木たかし作曲)。『ローマの雨』他宮川泰の曲を多数歌っている。70年代にはドイツで活躍した。

 Peggy March - I Will Follow Him
↑「懐かしのメロディ」みたいな番組に出ているおばさんになったペギー・マーチ。
ポールとポーラ
Paul & Paula
1962結成
二人の星をさがそうよ
夢のウェディング・ベル
アメリカの男女のデュエットグループ。1963年に全米1位になった代表曲『ヘイ・ポーラ』は田辺靖男と梓みちよがデュエットでカバーし日本でも大ヒット。その人気にあやかって日本語で録音されたらしい。『ヘイ・ポーラ』はもともとはラジオのガン治療のチャリティーショーに出場するために作った歌で、それがレコード会社の目に留まりデビュー。コンビ名はこの歌から作られたそうだ。『二人の星をさがそうよ』は佐伯孝夫作詞・吉田正作曲の日本曲。

 Paul & Paula - Hey Paula
ブレンダ・リー
Brenda Lee
1944-
ワン・レイニー・ナイト・イン・東京
バラ色の人生
思い出は涙だけ
彼女も20曲くらい日本語曲がある。『ジャンバラヤ』『ダイナマイト』といった力強い歌もよいけどしっとりとしたバラードも魅力だった。カーペンターズも歌った『この世の果てまで』が僕は大好きです。

 Brenda Lee Sings Her "Sad Songs" Medley!
↑1965年の日本のTVスペシャル番組だそうです。いかに日本で人気が高かったかの証拠ですね。
ダリダ
Dalida
1933-1987
オ・ソレ・ミオ
18歳の彼
シャンソン歌手だが、エジプト生まれのイタリア人。ミス・エジプトに選ばれた後、パリで歌手として成功し、以後フランスで活躍した。いろいろな言語で歌い全世界へシャンソンの普及に努め、レコード売上げなどずっとトップにいたが残念ながら1987年に自殺してしまった。アラン・ドロンがナレーションで共演した『甘い囁き』は日本でも大ヒットし、中村晃子&細川俊之バージョンなど多数カバーされた。代表作『18歳の彼』は岩下志麻がカバーした。また、『傷ついた小鳥』は日本テレビの番組『TVジョッキー』のテーマ曲だった。

 Dalida and Alain Delon - Paroles Paroles

公式サイト(仏語)
日本で発売されレコードのたディスコグラフィーもあります。あんまり多数でびっくり!
クロード・フランソワ
Claude FRANCOIS
1939-1978
ドナ・ドナ・ドーナクロ・クロの愛称で親しまれたフレンチ・ポップの国民的アイドル歌手だった。下記ポール・アンカの『マイ・ウェイ』の原曲『コム・ダビテュード(いつものように)』を作曲したことで世界的に知られている。自宅で入浴中電球を交換して感電死した。38歳だった。パリには彼の名を冠した「クロード・フランソワ広場」がある。

 Claude Francois: "Comme d'habitude" (original of "My Way")
ポール・アンカ
Paul Anka
1941-
クリスマス・イン・ジャパンメガヒット『ダイアナ』やフランク・シナトラが歌った名曲『マイ・ウェイ』を(原曲はクロード・フランソワ)アレンジしたロカビリーの代表格の歌手・作曲家。人気絶頂の頃、日本のファンのために曲を作り、来日時に録音した。この頃の日本版アルバムには「ニッポンの皆様へ」なる挨拶が特別に収録されている。だいぶ後だが、田原俊彦が歌って日本歌謡大賞を受賞した『さらば…夏』 はポール・アンカが田原のために作った曲。『ダイアナ』は日本の山下敬二郎がカバーし、日本のロカビリーシーンをリードした。

 Paul Anka - Diana (1957)
ニール・セダカ
Neil Sedaka
1939-
涙の小径『おお!キャロル』『悲しき慕情』『雨に微笑みを』などのメガヒットで知られるロカビリーの代表的歌手。コニー・フランシスらの持ち歌も作曲している。
日本だけでヒットした『恋の片道切符』は平尾昌晃やミッキー・カーティスがカバー。

 Breakin' Up Is Hard To Do - Neil Sedaka 悲しき慕情
ワンダ・ジャクソン
Wanda Jackson
1937-
サント・ドミンゴ『フジヤマ・ママ』を歌って人気のジャクソンも、日本オリジナル盤を出している。カントリー歌手から出発したがパワフルな歌声で「クイーン・オブ・ロカビリー」と呼ばれた。今なお現役で活躍している。
ニュー・クリスティ・ミントレルズ
The New Christy Minstrels
1961結成
山男の歌
雪山讃歌
アメリカのフォーク・カントリーグループで『グリーン・グリーン』のヒット曲がある。この曲を作ったバリー・マクガイアーはソロになって『明日なき世界』のヒットを生んだ。日本人歌手伊東きよ子が一時メンバーとして活躍していた。

 Green Green - The New Christy Minstrels
ノエリーン・パットレイ
Noeleen Batley
1944-
お別れの泪
島のアンコさん
こんにちは赤ちゃん
オーストラリア出身の女性歌手。中尾ミエがカバーした『涙のジュークボックス』の原曲を歌っていた。『こんにちは赤ちゃん』は作詞:永六輔・作曲:中村八大の国民的歌謡曲で、ノエリーンは『LITTLE TREASURE FROM JAPAN』というタイトルで英語で歌いオーストラリアでもスマッシュ・ヒットとなった。
マージョリー・ノエル
MARJORIE NOEL
1945-
春のときめき
そよ風にのって
好きなのに好きなのに
フレンチ・ポップの女性歌手。『そよ風にのって』が大ヒットし、日本語バージョン出した。

ピンポンパンの大野かおりさんのバージョンですが↓
 そよ風にのって
エンリコ・マシアス
Enrico Macias
1938-
わかっているよ
遠くへ行きたい
当時甘いマスクで若い女性を虜にしたシャンソン歌手。アルジェリア生まれのユダヤ人。代表曲『恋心』は越路吹雪や岸洋子らにカバーされヒットした。

 Enrico Macias in the 70's
エンリコ・マシアス
ジョーン・バエズ
Joan Baez
1941-
今日の日はさようなら反戦運動家としても知られ、女性フォーク歌手の最高峰といえる彼女もかつては日本語で歌っていた。「日本のバエズ」森山良子の持ち歌。『ドンナ・ドンナ』(クロード・フランソワが日本語で歌った『ドナ・ドナ・ドーナ』)もバエズが歌ってヒットした。『今日の日はさようなら』は金子詔一作詞作曲の日本の曲である。
ヴィッキー
Vicky Leandros
1952-
カーザ・ビアンカ
白い十字架
想い出に生きる
待ちくたびれた日曜日
私の好きなチョコレート
夜霧の中で
マイ・スウィート・ロード
オリジナル『恋はみずいろ』を歌ったギリシア出身の女性歌手。フランスやドイツで主に活躍した。作曲家川口真や作詞家なかにし礼らによる日本オリジナル曲『時の流れのように』『夜霧のなかで』というヒット曲もある。

 『恋はみずいろ』
あのジェフ・ベックでさえカバーした名曲。
サルヴァトール・アダモ
(アダモ)
Salvatore Adamo
1943-
雪が降る
おさげの少女
海のマリー
明日は月の上で
『サン・トワ・マミー』『ろくでなし』などで知られるシャンソンの大物歌手。日本公演回数は30回を越え親日家。『雪が降る』は森進一も同じバージョンで大ヒットした。日本公演では日本語で「雪ガフル。荒川区内」と台詞を言う。↓その日本公演

 Salvatore Adamo - Tombe la neige
ダニエル・ビダル
Daniele Vidal
1952-
オー・シャンゼリゼ
カトリーヌ
天使のらくがき
『オー・シャンゼリゼ』のヒットで知られる女性シャンソン歌手。日本で「歌うフランス人形」と呼ばれ異常なほど人気がありアイドルタレントとして長期滞在もあった。一時日本人と結婚したが離婚。『オー・シャンゼリゼ』は佐良直美がカバーし紅白で歌った。

 46歳!日本語の『オー・シャンゼリゼ』
アンディ・ウィリアムス
andy williams
1927-
ある愛の詩
ゴッドファーザー愛のテーマ
全米1位になった『バタフライ』などの曲もあるが、映画の主題歌やスタンダードナンバーを得意とした。甘い歌声とマスクで当時の奥様方を酔わせた。日本では味の素のCMに出るほどの人気。1991年の紅白歌合戦にも出場し『ムーン・リバー』を歌った↓

 Andy Williams-Moon River and talk show 31.12.1991 japan
ジョニー・ドレルリ
Johnny Dorelli
1937-
涙に咲く花イタリアの歌手・俳優。サンレモ音楽祭の常連で、『恋人よ今日は』『涙に咲く花』『ヴォラーレ』などの世界的ヒットがある。

 Sanremo 1967: L'immensita' - Johnny Dorelli
ジョニー・シンバル
Johnny Cymbal
1945-1993
明日があるさ坂本九の日本のヒット曲だが英語バージョンで歌った。『ミスター・ベースマン』『僕のマシュマロちゃん』などのヒットで知られるカナダ出身(スコットランド生)のシンガーソングライター。

 Johnny Cymbal - Mr. Bass Man
明日があるさ
ザ・スプートニクス
The Spotnicks
1959-結成
涙のギター(すぎやまこういち作曲)
夢みるギター(早川博ニ作曲)
スウェーデンのギターインストゥルメンタルを得意とするバンドだが、日本の民謡、童謡、スタンダード曲をシリーズで演奏したレコードを次々発表している。

 The Spotnicks - Johnny Guitar 1962
ザ・ベンチャーズ
The Ventures
1959-結成
二人の銀座、東京ナイト(和泉雅子&山内賢)
北国の青い空(奥村チヨ)
京都の恋
京都慕情
長崎慕情(渚ゆう子)
雨の御堂筋(欧陽菲菲)
ベンチャーズはスプートニク同様、日本の名曲をレコーディングしているが、後に日本風のメロディを取り入れたオリジナル曲を次々発表し、これらはベンチャーズ歌謡と呼ばれいずれも大ヒットした。『京都の恋』は日本レコード大賞企画賞を受賞。
この他にも下記

霧のめぐり逢い、恋の湖、恋の手ほどき、雨降る雨降る港町(桐山和子)
さすらいのギター(小山ルミ・入江ゆみ競作)
回転木馬(牧場ユミ)
もうすぐ故郷(林 美果)
あの人は今札幌、マジック・ナイト(李朱朗:リージュラン)
北国の別れ(三枝マモル)
明日へ走る(里見洋と一番星)
そよ風の世界(須藤とし子)
名古屋特急(アン・ルイス)
夏の海より好きよ(オリーブ)
共犯者(玲奈)
六本木ストーリー(LILIKO)
港のひなげし(辺見マリ)
さよならを言わないで(エミー・ジャクソン)
風が笑う(鈴木幸治)
Kyoto(矢野顕子)
などがある。
ザ・ベンチャーズは91年に紅白に出場し『十番街の殺人〜ダイヤモンド・ヘット〜パイプライン』のメドレーを演奏した。日本だけで人気があるのかと思っていたら2008年、マドンナ、ジョン・メレンキャンプらとともにロックの殿堂入りを果たした。

  京都の恋

アストロノウツ
The Astronauts
チェッチェッチェッ
恋をするなら
「のってけのってけ」で有名な『太陽の彼方』で日本を一世風靡したギターインストバンド。

 The Astronauts - Rock The World(歌付き!エルビスみたい)
ガス・バッガス
GUS BACKUS
1937-
世界の恋は君のもの TURN AROUND 1964 アメリカのドゥワップグループ、デル・バイキングスから独立した歌手で、『恋はスバヤク』という大ヒット曲がある(すぎやまこういち訳詩で青山ミチがカバーした)。筒美京平作曲の『黄色いレモン』を英語で歌ったのもある。現在もドイツを中心にヨーロッパで活動中。

 Gus Backus
フォーラッズ
The Four Lads
学生節
学園広場
123ドドンパ
ラテン系バンドかと思ったがカナダ出身の四人組男性コーラスグループ(ダークダックスのようなタイプ)。『イスタンブール』という全米でヒットした作品が有名。公式サイトがあるのだが、オリジナルメンバーには亡くなった人もいるようだが何とまだ活動中のようである。

http://www.thefourlads.com/
トニー・ダララ
Tonny Dallara
どうして君が忘れられようイタリアのカンツォーネ歌手。代表作『ラ・ノビア』はペギー葉山がカバーしてヒットした(僕は『アベ・マリア』という曲だと思ってました)。
ロス・パラガヨス(パラグアジョス)
TRIO LOS PARAGUAYOS
パラガヨスのテキサス小唄パラグアイ出身の3人組ラテンミュージシャン。50年代〜60年代初めの頃、パラグアイの音楽を世界に広めるため大統領の命を受け結成されたという。中南米の代表曲である『グアンタラメラ』『コンドルは飛んでいく』『ラ・バンバ』なども持ち歌とし、同国の代表歌手ルイス・アルベルト・デル・パラナと共に活動することが多く、イギリスやイタリヤ、オランダなどでも人気を博した。ザ・ビートルズともステージで共演、ザ・ローリング・ストーンズとはレコーディングに参加している。
ジェリー・チャニング夢みるマガジン・ガール詳細調査中
フォー・コインズ恋はもうイヤ詳細調査中
エリオ・マウロここがいいのよ浜口庫之助の曲。詳細調査中
ジミー・オズモンド
Jimmy Osmond
1963-
ちっちゃな恋人日本でも絶大な人気を誇ったオズモンド・ブラザース(オズモンズ)の末っ子が日本語で歌い、33万枚を売り大ヒットした(作詞:なかやま・まり 作曲:井上かつお)。ジミーは日本ではこの後数枚の日本語版レコードと、カルピスのCMやバラエティ番組のレギュラー出演などでも活躍した。

 Jimmy Osmond - My little darling (in Japanese)
ベッツィ&クリス
Betsy & Chris
1969-デビュー
白い色は恋人の色ハワイ出身の女性フォーク・デュオで、ザ・フォーク・クルセダーズの北山修作詞・加藤和彦作曲のこの曲で日本デビュー。続く『花のように』もスマッシュ・ヒットした。

 Betsy & Chris White color is lover's 白い色は恋人の色
ジェロ
JERO
2008-デビュー
海雪当サイトで扱おうかどうか迷っていたのだが、一見、HIPHOP系のアフリカンアメリカンの演歌歌手(本名ジェローム)が話題なのでとりあえずここに入れておきます。いやあインパクトありますね!秋元康作詞・宇崎竜童作曲『海雪』が2008年2月23日付オリコンシングルチャート3位!聴いた限り実力はあるようなので「出落ち」だけの一発屋にはならないと思いますががんばって欲しいですね。
1981年ピッツバーグ生まれ。祖母が日本人で子どもの頃からかわいがられ、おばあちゃんを喜ばせようと日本語の歌を歌ったのがきっかけだそうです。美空ひばりや二葉百合子らにはまったという。名門ピッツバーグ大学に進学し、情報科学を専攻。大学時代に交換留学生として3ヶ月大阪に滞在した。コンピュータエンジニアとして周囲から将来を嘱望される。だが、その一方で演歌の魅力にますますとりつかれ、ついに2003年、演歌歌手になる為に2003年8月に再来日。カラオケで腕を磨きNHKのど自慢に出場し合格。以後あちこちののど自慢大会で優勝し注目を浴び、ビクターエンタテインメントからスカウトされ今回のデビューとなった。納豆や梅干が好物。尊敬する人は美空ひばり、五木ひろし、坂本冬美。目標は亡き祖母に捧げる「紅白出場」だそうだ。
『海雪』の舞台となった新潟県出雲崎町ではジェロを応援するため町民を対象にCD購入の補助として65万円を計上した。一世帯あたりCD一枚買うと500円が出るということだ。良寛以外の観光名物ができて良かった!なんとアルバムにはマーティ・フリードマンが参加している!
 演歌シンガー DJ.JERO♪「Umiyuki」海雪
公式サイト公式ブログがある。

あるバラエティ番組で、70年代に同じく演歌を歌ったインド人タレント、チャダを取り上げていて、今はインドに帰国しているチャダにJEROについての感想を聞いていた。「インド人もびっくりですね」とおなじみのボケをかましてくれていた!チャダの『面影の女』は当時10万枚の大ヒットだったそうだ。しまった、こうなったらチャダも書かなければ。
あ、テレサ・テンとか欧陽菲菲とかアグネス・チャンとか桂銀淑、チョー・ヨンピル、ジュディ・オングも書かなきゃ駄目ですかね?やはりやめとけば良かったかな…。演歌系は詳しくないし…。


下は日本の歌謡曲のカバー集。シリーズ化されている。

↓この本にはJEROの生い立ちなどが詳しく書いてありますよ。
クリス・ハート
Chris Hart
2013-デビュー
Heart Songクリス・ハートはサンフランシスコ出身。ハーフでも何でも無く、日本に全く縁も所縁も無かった彼は十代の時からサンフランシスコの日本町に入り浸り、JPOPのCDを買い漁り、アマチュアバンドを結成して現地のライブハウスで日本語の歌を歌うという「日本オタク」だった。いろんな仕事をしながら日本に行くことを夢みていたが、自動販売機のセールスマンをしていた時、たまたま日本の駐在員に抜擢され来日が叶う。その後、日テレ系『のどじまん ザ!ワールド』に出場。その歌唱力、表現力で日本人を驚愕させた。2013年にデビュー。ニベアのCM曲『まもりたい〜magic of a touch〜』が話題を呼び、いきものがかりの『ありがとう』やドリカムの『LOVE LOVE LOVE』などJPOPの名曲をカバーしたアルバム『Heart Song』がオリコン3位を記録。2013年末の紅白歌合戦に松田聖子と共演したことをきっかけに一躍日本中に知れ渡ることになった。2枚目はオリジナル曲を集めたアルバムだが、松田聖子と共演した『夢がさめて』が収録され、これもオリコン7位と大ヒット。続くカバー集『Heart SongU』は小田和正の『ラブ・ストーリーは突然に』などを収め、これもオリコン2位と、目下大スターへの道驀進中。奥さんは日本人。本国でもプロの歌手でも無かった人が日本で大うけするというのは上のJERO同様だが、『のどじまん ザ!ワールド』を見ていると、これから続々登場しそうだね。
リン・ユーチュン
Lin Yu Chun(林育羣)
2013-発表
バラード・ショーリン・ユーチュンは中華民国(台湾)の男性歌手。童顔におかっぱ頭・115キロの巨体という見た目と奇跡の泣きヴォイスと称されるハイトーン歌声、完璧な歌唱力のギャップの面白さ?から「台湾のスーザン・ボイル」と言われる。英語の歌もこなし、アメリカの番組に出演したことから世界的にも知られる歌手である。日本では2012年からテレ朝系『関ジャニの仕分け∞』のカラオケバトルに出演し勝ち進んだことで一躍有名になった。宇多田ヒカルの『First Love』MISIAの『Everything』などバラードの名曲を集めたアルバムが大ヒットしている。
↑クリス・ハートもそうだが選曲が抜群ですねえ。
スコット&リバース
Scott&Rivers
2013-発表
スコットとリバース日本通のミュージシャンとして知られるアリスターのスコット・マーフィーWeezerのリヴァース・クオモの二人が結成したユニット。2013年に日本語で書かれたオリジナル曲を集めたアルバムを発表している。構想から4〜5年かかって作ったというこのアルバムはリバースが英語で書いた詞をスコットが日本語に翻訳して書いていったという。曲は全体にWeezerっぽいかな。木村カエラの『Butterfly』もカバーしている。スコットは独学で日本語を学び、今やペラペラの状態。リバースは奥さんが日本人ということもあって、かなり日本的なことをこなせる。この二人だから今や最強のコンビといえよう。本国でよく知られたアーティストが日本語で歌うために特別にユニットを結成するとは。また新たな次元に入ったのかなあ…?
↓まずは聴いてみて。かなり行けてるゾ!
 Scott & Rivers - 「HOMELY GIRL」リリック・ビデオ
アラン・メリル
Alan Merrill
1971
ひとりぼっちの東京





母のヘレン・メリルは独特のハスキーボイスが魅力。『You'd Be So Nice To Come Home To』で超有名。日本に6年滞在し、その間日本で活動しジャズミュージシャンと親しく交流している。日本の楽曲もよくカバーしていて、息子同様今なお現役で活躍中。余談だが「演歌歌手」青江三奈は、下積み時代はジャズ歌手で「日本のヘレン・メリル」と呼ばれていた。八代亜紀も彼女が永年の憧れの存在であり、2013年にニューヨークで念願の共演を果たしている。
代表作は→『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン
アラン・メリルは日本のグループサウンズ(GS)から和製ロックへの進化に大きく影響を与えた人物。母は「ニューヨークのため息」と称された大御所ジャズ歌手、ヘレン・メリル、父はサクソホーン奏者のアーロン・サクスだが、両親は離婚。母がUPI通信社のアジア総局長と再婚し、東京に移住することになったため、母とともに1966年に来日し上智大学に入学した。当時GSの最盛期で、ザ・リードという外人メンバーばかりを揃えたバンドに加入し、ギター兼ボーカルとしてデビューした。その後内田裕也の世話で渡辺プロに入って1969年にソロ・シンガーとなり、日劇ウエスタンカーニバルなどに出演。甘いルックスと母譲りの歌唱力で人気を博し、アルバム『ひとりぼっちの東京(Alone In Tokyo)』をリリースしている。ミュージシャンだけでなくモデル、俳優としてNHKの音楽番組『ヤング720』、フジテレビ系で愛川欽也司会の情報番組『リブ・ヤング』、TBS系の人気ドラマ『時間ですよ』などにセミ・レギュラー(風呂屋のバンドの外人シンガー役)として出演、また日産自動車のCMにも出演している。その後近田春夫らと「ゴジラ」というバンド、1973年には元テンプターズの大口広司、かまやつひろしらと「ウォッカ・コリンズ」というバンドを組み『東京-ニューヨーク』というアルバムを残している。1974年にロンドンに渡ってジ・アローズを結成。名曲『I Love Rock N Roll』(ジョーン・ジェットのカバーが有名。今も何度もCMに使われる)を産み、全英ヒットチャートを賑わしている。現在はニューヨークを拠点に活躍。2014年11月など来日公演も何度も行っている。因みにミュージシャンのローラ・ニーロはいとこだそうだ。
公式サイト→http://www.alanmerrill.com/

 Arrows, I Love Rock N Roll, Alan Merrill
↓作詞は安井かずみ、作曲はムッシュやクニ河内ら。

↓こちらは全米1になった。ジョーン・ジェットのオリジナルじゃないのです。
外国曲に描かれた日本とは!?日本を歌った外国曲 索引
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