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ハーフマニア
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海外の映画シーンで活躍する日本人スター&スタッフ 映画スタッフ編
 
索引(日系人も入れました。順不同)
  • 黛敏郎 
  • 中野昭慶 
  • ワダエミ 
  • 石岡瑛子 
  • 大島渚 
  • 生頼範義 
  • アルバート・ノザキ 
  • 原田眞人 
  • 辻一弘 
  • 増田昌子 
  • 井上仁 
  • 鈴木松根 
  • アイリス・ヤマシタ 
  • スティーブン・オカザキ 
  • シュウ・ウエムラ 
  • カオリ・ナラ・ターナー 
  • 永田鉄男 
  • 宮沢りえ 
  • 藤原紀香 
  • 松本弘子 
  • デヴォン青木 
  • 菊地凛子 
  • マダム貞奴(川上貞奴) 
  • 桃井かおり 
  • 田村英里子 
  • NAE 裕木奈江 
  • 西脇美智子 
  • レイコ・エイルスワース 
  • 外国で映画を作る日本人
    高田賢三(1939-) 
    KENZOブランドで知られる世界的なデザイナー。兵庫県生まれ。1965年渡仏、1970年にはパリにブティックをオープンし、木綿の服を大流行させた。1981年、『夢・夢のあと』を監督し、一時話題になった。ブランドからは引退したそうだがこの世界的デザイナーが映画を撮ったのだ。結果は…。 『フレンズ/ポールとミシェル』のアイドルスター、アニセー・アルヴィナが主演。音楽はジャーニー(日本のみ発売)。KENZO公式サイト
    Kenzo―高田賢三作品集

    ケンゾー アムールfor woman
    『a journey of love』をコンセプトに、アジアを旅する中で出逢った、風景、時間、喜び、そんな旅の記憶をイメージしたフレグランス
    筑波久子(チャコ・ヴァン・リーウェン)
    (1937-)元は日活(にっかつではない)の肉体派女優。『肉体の悪夢』(1957)でデビュー。以後いわゆるプログラム・ピクチャーに多数出演した。渡米してアメリカの実情を描いたドキュメンタリー映画『ヘイ・ベイビー THE SEX LIFE』(1971)を監督。以後アメリカに移住し、映画のプロデューサーとして活躍。ロジャー・コーマンとともに『ピラニア』(ジョー・ダンテ監督)、殺人魚フライングキラー(ジェームズ・キャメロンのデビュー作!)を製作。その後も『ママ、泣かないで』(1983)、『スピリット・オブ・ファイヤー/邪教都市』(1994 テレビムービー)、『ザ・ピラニア/殺戮生命体』(1995 日本未公開) などを製作。2007年末天草四郎を主人公にした日米合作映画の製作を発表した。詳細は瓦版で。
    池田満寿夫 
    (1934- 1997)長野県生まれ。事実上の妻は世界的バイオリニスト佐藤陽子。1965年にニューヨーク近代美術館で日本人として初の個展を開き版画家として世界的に知られるようになり、1966年には世界最高の権威あるヴェネツイア・ビエンナーレ展の国際版画大賞を受賞。池田の名を国際的にも第一線の芸術家にした。後に、水彩画や彫刻、陶芸、文学方向にも関心が傾く。1977年には小説『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞した。この作品は日伊合作映画『エーゲ海に捧ぐ』(DEDICATO AL MARE EGEO 1979)として自身が監督した。結果は…。イタリアの女優にして後に議員になったあのチッチョリーナが惜しみなくヌードを見せていた。音楽はエンニオ・モリコーネ!!主題曲はジュディ・オング『魅せられて』。
    池田満寿夫美術館
    エーゲ海に捧ぐ (中公文庫)
    増村保造 
    『エデンの園』最晩年にイタリアで製作した青春映画。主演の少女が可愛い上にオールヌードになったりするので僕はロードショーで観た。残念ながらこの作品はあまり高く評価はされなかったが、彼が大映で作った日本映画の数々はフランスやイタリアでは非常に高く評価されて、今マニアックな人気を呼んでいる。東大出のインテリで、イタリアに留学し映画を本格的に学んだ人である。

    イタリア的な美的センスと日本美の融合、これは実は常人ではできないこと!
    高間賢治 
    ハリウッドで修業したカメラマン。この人が書いた自伝『撮影監督ってなんだ?』はハリウッドの映画製作と日本のそれの違いや問題点などが分かりやすく書かれており、映画を作る仕事において監督以上に演出に関わる重要なポストであることと、映画のみならず「創造する仕事」全般に通じる心構えのようなものまで述べられていて、とても勉強になった。日本での仕事に三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』、金子修介監督の『DEATH NOTE デスノート the Last name』、椎名誠監督の『あひるのうたがきこえてくるよ。(ホネ・フィルム式 活動寫眞全記録)』、中江裕司監督の『ナビィの恋』など、これまでの日本人カメラマンにない独特のカメラワークが見られる。
    80年代初めに渡ったハリウッドとニューヨークでは錚々たる撮影監督に付き、
    刑事コロンボ』のハリー・L・ウルフの元で『大草原の小さな家』
    チャイナタウン』のジョン・A・アロンゾの元でブルーサンダー
    時計じかけのオレンジ』『バリー・リンドン』のジョン・オルコットの元で『ミラクルマスター』
    ディア・ハンター』『未知との遭遇』のヴィルモス・ジグモンドの元で5人のテーブル
    フレンチ・コネクション』『エクソシスト』のオーウェン・ロイズマンの元でトッツィー
    ゴッドファーザー』『アニー・ホール』のゴードン・ウィリスの元でブロードウェイのダニー・ローズの撮影に関わっている。
    椎名誠と三谷幸喜について書いた本『シーナ映画とコーキ映画』もある。
    公式ブログ

    冒頭の長まわしはヒッチコックばり!
    黒澤明 
    『デルス・ウザーラ』はソ連に招かれて作った。これ以前に米フォックス社との『トラ!トラ!トラ!』がポシャったりして、自殺まではかった彼を救ってくれたのが当時冷戦真只中のソ連(モスフィルム)だった。こと芸術に関しては理解が深く寛大な(体制批判者以外には)国だ。
    エピソードを2つ。ロシア人俳優2人の会話のシーンで黒澤は突然NGを出した。実は台詞をトチっていた俳優たちは驚いて「黒澤さん、ロシア語がわかるのか?」黒澤はロシア語など全く分らないが、俳優の表情を見て失敗したのが分ったそうだ。さすが天才は違うという話。
    もうひとつ。ソ連政府が撮影場所として提供してくれた町は、当時外国人の立ち入りは一切禁じられていた場所だったそうだ。軍事秘密ってやつらしい。それを聞いた日本の外務省がソ連政府にクレームをこうつけた。「われわれですら行けないところに黒澤を連れて行くとはけしからん!」困惑したソ連側が黒澤に相談すると彼は「放っておけ」。後に「”黒澤に自由に映画を撮らせて欲しい。そのために貴国のどこでも連れて行って”と日本政府が頼むべきだろう。全く逆だ。日本のお役人と言う奴は」と黒澤は嘆いている。なお、ソ連映画の企画としてこの後、ドストエフスキーの『死の家の記録』、エドガー・アラン・ポーの『赤い死の仮面』の2本が挙がっており、『赤い〜』は脚本まで完成させていたが映画化まで至らなかった。

    その後『乱』はフランスのグリニッチフィルム、『夢』スティーブン・スピルバーグが資本参加した。また『影武者』の外国版はルーカスとコッポラがプロデューサーである。『パールハーバー』を見た時に、『トラ!トラ!トラ!が黒澤監督だったらどんな映画になっただろうと感慨深かった…。監督解任の理由はいろいろな話が伝えられている。長男久男氏の話は『トラ!トラ!トラ!』へ。映画評論家西村雄一郎氏の本によれば実際はアメリカ側の監督はフレッド・ジンネマンが予定されていたらしい(『黒澤明vs.ハリウッド』によれば、アメリカ側の監督は他にも何人か大物が挙げられていて、単に黒澤明の希望だっただけのようだ)。他にこんなことが伝えられている。日本側のスタッフは当初黒澤と気心の知れている東宝の砧撮影所で行なわれる予定だった。しかし製作者から予算の都合で東映京都太秦に変更された。黒澤は全く初めて接するスタッフと仕事させられ、しかもビッシリ決められたスケジュールを強いられた。いつもスタッフキャストを完璧な状態になるまで持っていき、その時に納得のいくまで撮影する主義をとっていた彼にはできない方法である。その時2つの事件が起きた。一つは「カーテン事件」。黒澤は、ある建物の白いカーテンに使い古した感じのものを要求していたが、用意されたのは真新しい折り目の付いていたものだった、というもの。もう一つは「果たし状事件」。劇中、「送られて来たたくさんの手紙」を用意させたところ、この中にヤクザ映画で使用されていた「果たし状」が混じっていたという事件。この時は助監督たちを並ばせて殴ったと言われる。殴られたのは気の毒だが、あの黒澤が激怒したのは分かる。彼は現場で孤立してしまい、これを契機に自ら降りた形になった。(表向きは病気による降板)

    さて、黒澤の優れた脚本は多数翻案され、映画化(日本人原作の映画へ)されている。また、国際賞の主な受賞歴はこちら。
    その他文化勲章(映画監督としては他に新藤兼人のみ)、国民栄誉賞を受賞している。



    デルス・ウザーラ モスフィルム・アルティメット・エディション

    ↑この映画に出てくる夕日の美しさだけでも大感動!
    伊比恵子
    日本女子大国文科に在学中の19歳の時に、母親が応募したミス日本コンテストでグランプリに輝く。さすがに美人だ。学生時代は、はしごして映画を見る程の映画好き。松竹系のシナリオ研究所に通っているうちに、いつか夢は「アメリカで勉強して見たい」に変わった。どうにか母親を説得して留学し、ニューヨーク州のシラキューズ大学で2年間、映画批評と映画制作を学んだ。さらにニューヨーク大学院の映画学科に転入。1000分の40の競争率をくぐり抜け、監督、脚本、撮影、録音、照明、美術、プロデュース等映画制作に関するあらゆる作業を経験しながらその全てを体得した。ユダヤ系の老人たちの生活を温かくユーモラスに描いた『THE PERSONALS ザ・パーソナルズたそがれのロマンス』1998でアカデミー賞ドキュメンタリー短編賞の受賞。この時のスピーチは半ベソだったが感動的だった。
    スクリーミング・マッド・ジョージ
    (1956-)大阪生まれ。主にモンスター造型・特殊メイクでハリウッドで活躍する。
    『エルム街の悪夢4』
    『ブラッド・ハンター』
    死霊のしたたり2
    スピーシーズ・リターン/種の終焉
    ファウスト』 など、独特のクリーチャー創造で実力を発揮。『強殖装甲ガイバー』で本格的に監督としてもデビュー。これは日本のマンガがハリウッドで実写映画化された最初の作品。CG全盛のこの分野では現在少々苦戦中か?2005年には日本ハム新庄選手のかぶりものを作って話題になった。パンクバンド「THE MAD」での活動や、ミュージックビデオの分野でも活躍。マリリン・マンソン、ナインインチ・ネイルズ、ベック、メタリカ、オジー・オズボーン、デュラン・デュラン、アイアンメイデン、エミネム、インシンク、リッキー・マーティン、エアロスミス、オフスプリングスなどの大物アーティストのPVに参加。

    みやひろ様から以下のご意見いただきましたが、

    せっかく「外国で映画を作る日本人」の中で、スクリーミング・マッド・ジョージ氏の『ガイバー』に言及されているのなら、「日本人原作の映画」に入れてあげてはどうでしょうか。 高屋良樹氏の漫画が原作なのですから。『ガイバー』はパート2も作られていますし、一作目にはマーク・ハミルが、ちょい役ではなく出演しています。

    ありがとうございました!ですが映画については日本人原作のものを日本人監督が日本の資本で作ったものだし、残念なことにハリウッドで一般に話題になったということもないので、このサイトではこの項だけにしておきます。ハリウッド映画はCG全盛の時代になって、彼のような技術は今後芝居・音楽などのパフォーマンスやイベントに活躍の場が移りそうだ。それにしてもマーク・ハミルは『スター・ウォーズ』以外全く奮わない役者ですね…。公式サイト

    ↓彼の作品じゃないけれど諸事情により紹介させていただきます。



    自叙伝・作品集『変態―TRANSFORMATION
    布袋寅泰
    テリー・ギリアム監督の『ラスベガスをやっつけろ』のオリジナル音楽をレイ・クーパー(英国の最も有名なロック系パーカッショニストで『バロン』に出演もしている)とともに担当。音楽家としてはこちらも
    いかにも悪役面で身長187cmという容姿を活かして日本映画にも出演。『SF サムライ・フィクション』 (1998)、『新・仁義なき戦い。』 (2000 音楽も。)、『赤い月』 (2003 降旗康男監督)など(演技はまだまだだが)配役的にはいい線いっていると思う。



    参考書は→ハーフマニア
    牛原虚彦
    映画監督。チャップリンに私淑し、『サーカス』撮影中に映画術を学ぶ。後、パリで勉強中にヨーロッパ訪問中のチャップリンに呼び出され、一緒に日本に行って欲しいと頼まれたそうだ。

    入団試験でやる「しょーもない芸」という「芸」と、猿に噛まれながら綱渡りするシーン(スタントマンなしだそうだ。もちろん「合成」なんぞできないぞ当時は)はひっくり返るほど笑った→
    サーカス
    トム小谷
    加山雄三の若大将シリーズなどの監督として有名。

    以下、INDY様の投稿です。

    初期ではありませんが、ハリウッドで活躍した監督・小谷承靖(つぐのぶ)の愛称です。
    『極底探検船ポーラーボーラ』という合作映画を撮っています。

    ありがとうございました。『極底探検船ポーラーボーラ』はなんだかちゃちな恐竜みたいな怪獣が登場していたのを覚えています。『バミューダの謎』も引き続き作られて両作品はアメリカでTV放映されました。主演のリチャード・ブーンを使った『武士道ブレード』も彼の監督作。ちなみに東宝のアイドル映画若大将!+怪獣映画の両方できた人はあまりいないですね。
    ハリー三村(三村明)
    カメラマン。1919(大正8)年渡米、カメラマンを目指しハリウッドで修業。1928年日本人として初めてカメラマンユニオンに加入が許された。ジョージ・バーンズ、グレッグ・トーランドらに師事後1934年に帰国。
    山本嘉次郎監督『馬』
    ハワイ・マレー沖海戦
    黒澤明『姿三四郎』
    山中貞雄『人情紙風船』
    マキノ正博浪人街』、
    など日本映画史上に残る傑作も多く手がけ、日本の撮影技術の向上に貢献した。被爆半年後の広島・長崎を米軍の要請でカラ−撮影したことでも知られる。日本映画撮影監督協会の理事長も永く勤め勲四等瑞宝賞受賞。
    波瀾の人生は工藤美代子著『聖林からヒロシマへ―映画カメラマン・ハリー三村の人生晶文社刊(名著!)に詳しい。まだ放射能が残るヒロシマをカラー撮影している。そのカメラマン魂!

    ハワイ・マレー沖海戦
    この時代、実は世界一の特撮技術だったのでは?


    日本映画の至宝。もっと世界にアピールすべき作品。
    岡崎宏三
    カメラマン。アナタハン』『ザ・ヤクザ』『モラエス 恋の浮島』、他に
    『だいじょうぶマイ・フレンド』 『最後のサムライ/ザ・チャレンジ』 『がんばれ!ベアーズ大旋風』など多数。
    海外と日本との合作映画の場合にまず招かれる名カメラマンといえる。『アナタハン』が完成した時、監督のスタンバーグは「お前が俺の年令になる頃にはきっと俺以上のカメラマンになっているだろう」と、気難しい完璧主義者と知られる監督にしては最大の賛辞を贈られたそうだ。
    他の代表作に川島雄三監督の『暖簾』(1958)、『貸間あり』 (1959)、久松静児監督の『喜劇 駅前温泉』(1962)他駅前シリーズ、小林正樹監督の『いのちぼうにふろう』(1971)、豊田四郎監督の『恍惚の人』(1973)、山本薩夫監督の『華麗なる一族』(1974)、木下恵介監督の『衝動殺人 息子よ』(1979)、丹波哲郎製作・監督の『大霊界 死んだらどうなる』(1989)、今井正監督の『戦争と青春』(1991 工藤夕貴主演)など。監督に関わらず森繁久弥主演の作品が多かった。
    タク・フジモト
    1939年生まれ、本名フジモトタカシという日系2世。
    羊たちの沈黙
    フィラデルフィア
    シックス・センス
    などアカデミー賞受賞作で撮影監督を務める、ハリウッド屈指のカメラマン。6才まで日系人収容所で過ごす。カリフォルニア大学バークリー校で政治学を修めた後ロンドンの映画学校で学びハリウッド入り。数年は下積みだった。最初の仕事は連続殺人を描いた低予算映画(『BADLANDS』というマーチン・シーン&シシー・スペイセク主演映画と思われる)の助手。途中で撮影監督が監督と喧嘩して辞めてしまったため、急遽代役で撮影監督を手がけたそうだ。それがジョナサン・デミの眼にとまり、以来活躍することになった。
    シックス・センス
    この映画で表現される「赤」が印象的。
    ルネ・オーハシ
    カメラマン 名前から日本人もしくは日系人と思われるが詳しくは不明。主にテレビムービーなどで活躍。SF『ミレニアム1000年紀』1988を手がけている。
    ミレニアム~1000年紀~
    ヒデアキ・コバヤシ
    カメラマン
    『ミニー・ザ・ムーチャー』調査中。

    カズオ・イシグロ 
    イギリス在住の日系作家。『日の名残り』の原作者。長崎生まれだが5才の時、父の仕事の都合で渡英。1989年『日の名残り』でブッカー賞(英国文学の最高賞)を受賞。『女たちの遠い夏』『浮世の画家』『充たされざる者』『わたしたちが孤児だったころ』『わたしを離さないで』など世界30ヶ国に翻訳出版されている現代英国文学の代表的作家である。オリジナル脚本『上海の伯爵夫人』がジェームズ・アイボリー監督によって映画化された。『わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)』はクローン人間を題材にした、異色のSF風小説で世界的なベストセラーになっており、これも2010年に映画化されている(日本公開は2011年)。
    公式サイト(英語)


    カズオ・イシグロ―境界のない世界
    ジミー・T・ムラカミ 
    宇宙の七人、アニメの『風が吹くとき』を手がけた監督。かのロジャー・コーマンの門下生。

    原作: レイモンド・ブリッグス。ムラカミは監修。
    黛敏郎
    『天地創造』の音楽を担当。もっとハリウッド映画を手がけててもよさそうだが、思想的な問題でもあったのでしょうか。今村昌平監督作品では常連だった。音楽家としての詳細はこちら。
    中野昭慶 
    東宝の特撮監督。円谷英二の弟子で『ゴジラ対ヘドラ』などの怪獣特撮映画、東映などの戦争映画『二百三高地』、『連合艦隊』などの戦闘シーンを多く手がけている。1985年、北朝鮮に呼ばれて『大怪獣プルガサリ』の特撮を担当した。薩摩剣八郎も出演。
    ワダエミ(1937-)
    京都生まれ。映画・演劇・ダンス・CMなどの分野で活躍する衣裳デザイナー。1985年黒澤明監督の『乱』でアカデミー衣裳賞を受賞。『乱』では既製の布を使わず、織り・染めの段階から手がけ、主人公ら武将・妻たちから道化・町民に至る1400点!のデザインを担当した。ピーター・グリーナウェイ監督のプロスペロ−の本』『8 1/2の女たち』『枕草子、オペラ『エディプス王』(エミー賞最優秀衣装デザイン賞受賞)、チャン・イーモウ監督『HERO』、『LOVERS』、勅使河原宏監督の『利休』なども手がけている。演出家和田勉(ダジャレ好きなガハハおじさん)の奥さん。
    公式サイト

    参考書:『ほんものの日本人


    プロスペローの本
    石岡瑛子
    (1939-)東京生まれ。衣裳デザインを中心に活躍するヴィジュアル・アーティスト。東京生まれ。東京芸術大学でデザインを専攻。資生堂やパルコなどの広告を手がけるが、80年代にニューヨークに移住。ポール・シュレイダー監督のMISHIMA: A Life in Four Chapters(85年)で美術監督を手がけ、カンヌ映画祭芸術効果 賞を受賞。また87年には、マイルス・デイビスのアルバム『TUTU』でグラミー賞最優秀アルバムパッケージデザイン賞を受賞する。90年代に入ってからは、92年にフランシス・コッポラ監督の『ドラキュラ』で衣装を担当し、アカデミー最優秀デザイン賞を受賞。また同年、『M.Butterfly』(ブロードウェイ演劇)でトニー賞最優秀舞台デザイン、最優秀衣装デザイン賞も獲得している。97年と98年の間には、アムステルダム国立歌劇場でのオペラ『ニーベルングの指輪』四部作の衣装を手がける。2000年秋に、ニューヨークの出版社Callaway社から『MISHIMA』以降の仕事を集大成した「EIKO ON STAGE」が出版される。彼女の作品はニューヨークの現代美術館をはじめ、世界中の美術館で永久コレクションとして扱われている。最近では映画ザ・セルの夢の中でのジェニファー・ロペスのイメージが非常に強烈だった。
    大島渚 
    『マックス、モン・アムール』1986。美しい人妻が愛したのは猿だそうです。北京原人よりは精力ありそうだけど。シャーロット・ランプリング、アンソニ−・ヒギンズ主演のフランス映画。
    フランス資本の愛のコリーダ1976はヨーロッパで絶賛され、続く愛の亡霊1978はカンヌで監督賞を受賞した。イギリス資本の『戦場のメリー・クリスマス』1983ではハリウッドでも注目を浴びた。しかし、ここ数年はTVで論客として活躍していた。それにしても、『儀式』『少年』の時代の大島は凄かった!今は闘病中とのことで残念。
    愛のコリーダ 完全ノーカット版

    生頼範義
    (おうらいのりよし 1935-)兵庫県生れ。SF雑誌や冒険小説の単行本の表紙絵、平成『ゴジラ』シリーズのポスターなどでよく知られるイラストレーター。スター・ウォーズ エピソード5 帝国の逆襲』『テンタクルス』など、ハリウッドからの依頼によるポスター用イラストで世界的に有名。ゲームソフトメーカー光栄(現コーエー)の『信長の野望』『三國志』シリーズなどのパッケージイラストなどでもおなじみ。


    生頼範義イラストレーション

    アルバート・ノザキ
    『宇宙戦争』1953、『十戒』1956で美術演出を担当(他スタッフと共にオスカーノミネートされた)。1912年東京生まれ。3歳で両親と共にアメリカに移住、大学卒業後にパラマウント社に入社、数多くの美術を担当した。大平洋戦争中は日系人捕虜収容所に入れられたが米国への忠誠を誓い出所し、映画界で活躍したそうだ。『宇宙戦争』(アカデミー特撮賞受賞)に登場する火星人の円盤(ウォーマシン)のデザイナーとしてオタク系ではつとに有名だった。2003年11月16日死去。

    原田眞人
    (1949-) ハリウッドで修行した映画監督であり、映画評論も多数手がけており、黒澤明との対談をまとめた本もある。日本ではSFやアイドル映画などジャンルにとらわれることなく、どの映画にもひと味違ったテイストを加え独特な作品に仕上げている。だが、これといった大傑作がまだ生まれていないのは残念。ハリウッド映画『ラスト・サムライ』 では得意な英語の台詞を披露しつつ日本人の唯一の悪役を堂々と演じた。
    で。彼の監督作でアメリカオールロケ作品があります。以下、Tanu2 様からの投稿です。

    ペインテッド・デザート
    これはオリジナルビデオシリーズで『タフ』っていう若き殺し屋の映画があったんですけど(全4巻)、それの続きのハナシ、後日談です。
    木村一八演じる主人公が、米国に渡り、砂漠のサロン(バーみたいなものですね)で標的を待つという。ただ待ち続けるという。登場人物で日本人は木村ひとりです。あとは米国人ばかり。でも松竹映画で原田監督作品。バリバリの「日本映画」です。
    ちなみに、もんのすごーく退屈な映画でした。特になにも起きず。待ってるだけですから。 それと『タフ』と『ペインテッド・デザート』の間に『タフ・カリフォルニア』というのがあったのを思い出しました。これは2作をつなぐための中編で、主人公が米国にいる、ということを知らせるためだけの短い内容でした。

    ということです。『ペインテッド・デザート』にはノブ・マッカーシーも出演していました。
    …まあ早く世界をあっと言わせる大傑作を作って欲しいものですね。
    原田監督は俳優づいていて、ロニー・ユー監督、ジェット・リー主演の香港・米合作『SPIRIT(スピリット)』2006に中村獅童とともに出演している。

    アトランタ・ブギ

    原田眞人の監督術

    黒澤明語る
    辻一弘
    特殊メイク・アーティスト。『もしも昨日が選べたら』(ビル・コルソ共同)でアカデミー賞メイクアップ賞にノミネートされた。「『スター・ウォーズ』が特殊メークに興味を持つきっかけだった」という辻は、1969年京都出身。高校3年生で趣味の特殊メークを始めた。黒澤明八月の狂詩曲』、伊丹十三ミンボーの女』などを手がけた後、米1996年、映画の都での活躍を夢見て渡米。 特殊メイクの神様リック・ベイカーに師事。「勤勉で情熱を持っている。技術も素晴らしい」とは先日来日したリック・ベイカーの辻評。(60人いるといわれるベイカーの弟子のうち、専用の部屋を与えられているのはわずか4人。そのうちのひとりである)。代表作はティム・バートンの『猿の惑星』(2001年)や『メン・イン・ブラック2』(2002年)など。『マッド・ファット・ワイフ』(2007)でリック・ベイカーとともに再びアカデミー賞メイクアップ賞にノミネートされた。
    増田昌子
    セットデザイナー。
    『恋愛小説家』(アシスタント・アート・ディレクター)のほか、『ターミネーター3』、『ディープ・インパクト』の宇宙船など、恋愛ものからSFまで幅広く手がけるが、スピルバーグに重用され、『ジュラシック・パーク』のクライマックスシーンで登場する展示場の円形ドーム、そして『A.I.』の日本的な風景は彼女のアイデアが採用された。
    井上仁
    スペシャルエフェクトスーパーバイザー。
    メン・イン・ブラック』ではエイリアンの声(エイリアン語)を手がける。うがいの音などをミックスして作ったが何となく日本語みたく聞こえるようになってしまったそうだ。『タイタニック』では船体の汚れを取る・付けるなどリアルに見せるための部分を担当。
    鈴木松根(マット・スズキ)
    ビジュアルエフェクトアートデザイナー。セットデザイン、コンセプトデザイン、アートディレクションなど活動は多岐に渡り、『チキン・リトル』のようなCGアニメでも視覚効果のためのモデル造りなどで寄与している。
    子どもの頃からの機械好きで、成蹊大では日本学生模型協会の会長を務めるほど模型作りに没頭した。大学卒業後ブリヂストン系のデザイン会社に入るが、プラモデル製作の技術を活かそうと26歳の時に渡米。あのシド・ミードを輩出した名門アートセンター・カレッジ・オブ・デザインで学んだ後、特殊効果を手がける会社に入社し映画界入り。『クリムゾン・タイド』の潜水艦の模型、潜航する人形などを手がけ注目を浴びた。1995年にアンブリンによるテレビシリーズ『アースG889 Earth 2』でプロダクションデザインを手がけエミー賞を受賞。
    手がけた作品は主なものだけでも『ザ・ロック』『コン・エアー』、『ファンタスティック・フォー2:銀河の危機』、『30デイズ・ナイト』、『魔法にかけられて』、『ジャンパー』、『ナルニア物語 第2章:カスピアン王子の角笛』、『地球が静止する日』、『ラブリーボーン』、『アバター』など超メジャー級作品がずらり。
    今後もディズニーのアニメ『ラプンゼル』 (2010)、スピルバーグが手がける3Dアニメ『タンタンの冒険』など超大作が控えている。

    2010年4月になんとご本人からメールをいただきました!大感激であります。
    こちらが公式HP→http://matsunefx.com/
    鈴木氏が凄いのはSF、アニメ、歴史ものなど映画のジャンルを問わず、乗り物、建築物、衣装などオールマイティなところ。これからもご活躍お祈りしています!
    (辻、増田、井上、鈴木、下のナラ・ターナーについては何年か前に放送された『たけし・所のWA風がきた!』というテレビ番組を参考にしました)
    アイリス・ヤマシタ
    硫黄島からの手紙』でアカデミー賞脚本賞ノミネート。
    日系2世。大学では機械工学を専攻し修士を取っている。コンピュータのソフト会社で企業のHPなどデザインしたりしていた。2002年ごろ日米開戦前夜に来日した英語教師を描いた脚本をあるコンクールに応募し、最優秀賞に選ばれたが、この脚本がイーストウッドの目にとまった。「硫黄島のことはまったく知らなかった」という彼女が硫黄島に関する映像や資料を読みまくり、母親から聞かされていた東京大空襲の話や本音は生きて帰りたいと思う日本兵のことなどを盛り込んだ脚本を組み立て、大抜擢された。「いずれは作家になるのが夢だった」という彼女だが、次回作はどんな作品なのだろうか?

    アカデミー賞を獲る脚本術
    スティーブン・オカザキ
    日系人(3世)監督。『リビング・オン・TOKYO・タイム』では監督・脚本・撮影。
    『公式命令9066 日本人強制収容所』1985
    アカデミ−賞長編ドキュメンタリー賞(長編)ノミネート

    『収容所の長い日々 日系人と結婚した白人女性』1985 アカデミ−賞短編ドキュメンタリー賞受賞
    『The Mushroom Club』1985
    など、第2次大戦中の米国に暮らしていた日本人を描くドキュメンタリーなどで高い評価を受ける。アカデミ−賞短編ドキュメンタリー賞の常連。
    最新作は広島・長崎の被爆者を取材した『ヒロシマナガサキ(原題ホワイトライト/ブラックレイン)』。2007年8月6日、全米ケーブルテレビで放送された。
    公式命令9066 日本人強制収容
    植村秀(シュウ・ウエムラ)
    メーキャップアーティストで、世界的な化粧品ブランド「シュウウエムラ化粧品」名誉会長。1957年にユニバーサル映画『東京特ダネ部隊』の撮影でアシスタントを務めたことからハリウッドの映画製作に触れ、その後、渡米。マリリン・モンローやフランク・シナトラ、ルシル・ボール、エドワード・G・ロビンソンなどのスターたちのメイクを手がけるようになる。1962年、『青い目の蝶々さん』で病気で倒れたメイクアップアーティストの代理として主演のシャーリー・マクレーンを見事に芸者に仕立て、フランク・シナトラ主演の『勇者のみ』でもメイクアップ・アーティストを務め、絶賛された。1960年代半ばから東京でメイクアップの学校を開き後進の指導とオリジナルのコスメ・ブランドの立ち上げなど、ビジネス面でも広く知られるようになった。 2007年12月29日、死去。
    シュウ・ウエムラ公式サイト

    クレンジングオイルの重要さを日本に広めた功労者です。

    カオリ・ナラ・ターナー
    ハリウッドのメーキャップアーティスト。
    1933年生まれ。元は世界を又に駆けた売れっ子ダンサーで、香港公演中に『砲艦サンパブロ』撮影中のハリウッドのメーキャップ・アーティスト、ビル・ターナー氏と知り合い、スティーブ・マックイーンの仲人にて結婚。

    その後夫の影響でメイクアップアーティストに転じ、1983年、『フラッシュダンス』で評価されて以来ハリウッドで活躍する。2003年に徹子の部屋に出演し、華麗なハリウッドセレブたちとの関係を披露していた。
    キム・ベイシンガーお気に入りのメイクとして
    『ブラインド・デート』
    花嫁はエイリアン
    アメリカン・ビューティー』など。

    他にTVシリーズ『アリーmy Love
    チャーリーズ・エンジェル
    キル・ビル
    ラスト・サムライ』他クレジットされていない映画も多数。
    2003年、TVシリーズ『エイリアス 2重スパイの女』で日本人初のエミー賞(個人)を受賞した。現在、化粧品のプロデュース、メイクアップ教室など日本でも活躍している。 公式サイト

    永田鉄男
    フランスで活躍する撮影監督。1952年長野県中野市生まれ。日本での撮影助手を経て29歳の時ヨーロッパの映画作りに憧れて渡仏。コネもなく、CMやミュージックビデオの仕事を続け、44歳の時CMを見た映画監督から声がかかり念願の映画界へ。以後約10年間で15本の映画を手がける。『将校たちの部屋』(2002日本では横浜フランス映画祭2001で上映)、『エディット・ピアフ』(2007)でセザール賞最優秀撮影賞を受賞。その他の代表作は『うつくしい人生』 (1999) 、『スティール』 (2002)、『ナルコ (2004)、日本映画『大停電の夜に』(2005)も手がけている。
    公式サイト

    参考書一覧

    参考書パート2

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    外国人が見る日本と日本人(前編)

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    外国人が見る日本と日本人(後編)

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